2009年11月15日 (日)

わんだふる・わーるど(19) なぜか高層ビルの前で弁当

Photo09111401 今日(11月14日)は小学6年の長女の誕生日。土曜日で学校が休みで、私もそれに合わせて休みをもらっていたので、長男と長女を連れて買い物に出かけた。長女は、おしゃれに目覚めているので、最寄り駅の近所にある大型スーパーでグレーのニットのワンピースと長めのスパッツを購入。事前に祖母からもらっていた誕生日プレゼント代で自分で支払っていた。
 その後、京王線に乗って新宿へ。長男がゲームカードを買いたいというので、専門店まで足を伸ばした。
 この日、なぜか子供たちが弁当を作りたいというので、朝、早くから簡単な弁当づくりにみんなでチャレンジした。
 3人の子供たちが、それぞれの好みで、玉子焼きを作った。調味料に、塩と砂糖を加える子、砂糖は入れずにしょう油だけの子など、味付けはいろいろだ。長女は玉子焼きは初めて作るということだったので、巻き方のコツを教えた。
 あとは子供たちの好きなウィンナーやシーフードを炒めたりするのも、子供たちに任せた。私がいつも自分で弁当を作っているのを見て、自分たちも弁当が作りたかったのだろう。
 新宿に着いた時、ちょうど正午前だったので、「さて、どこで弁当を食べようか?」と見渡し、デパートの上階に座って食べられるところがないか行ってみることに。しかし、上階のレストラン街には、各レストランの待合い席はあるものの、弁当を食べるイスはなかった。もし、ここのイスでおもむろに弁当を食べたら…、と想像すると笑えた。屋上には、芝生のスペースがあったが、あいにく雨水で濡れていたので、断念。結局、デパートとデパートをつなぐ「カリヨン橋」という陸橋の上にいくつか休憩用のイスがあったので、そこで弁当をひろげた。Photo09111402
 雨もすっかり上がり、雲間から日差しが出てきて暑いほどだったが、目の前の高層ビルを眺めながら食べる弁当は、なかなかおいしかった。こんな場所で弁当を食べている親子の姿は、通行人からきっと不思議な光景に見えたに違いない。
 子供といると、いろんな体験ができるから、おもしろい。

 小関 隆史

 2009年11月15日

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2009年11月13日 (金)

わんだふる・わーるど(18) 心楽しき一日 ~長男の誕生日を迎えて

Letter_for_kk091112  11月12日は、小学4年生の長男の10歳の誕生日。前日、担任教師から渡された長男への誕生日のメッセージ記入用紙に、私は左の画像(クリックで拡大)のような内容を書いた。できるだけ具体的な話の方が印象に残るだろうと思い、先日、長男が一人で玉子焼きを作ったことに言及した。この“親からのメッセージ”は、クラスメート全員の前で担任が代読し、みんなで誕生日を祝ってくれるという。

 幸い昨日は、休日だったので、夕方、帰宅した長男に「先生、読んでくれた?」と尋ねると、「読んだにきまってるよ」とそっけない返事が返ってきたが、本人、なんだか上機嫌である。
 夕食の食材を買いに私が「スーパーに出かけるよ」と子供たちに告げると、長男だけが「ついていく」とニコニコ顔で言った。
 長男と手をつないでスーパーまで歩く道すがら、「この子は私と二人きりになりたかったんだな」と思った。誕生日は、主役になれる特別な日である。私が自宅にいる時は、いつもほとんど3歳の子供が私にまとわりついてくる。長男は、やはり少しさみしい思いをしていたのではないか。そんなことが脳裏に浮かんだ。

 この日の夕食のメニューは、たらこスパゲッティー、サラダ、そして長男のリクエストを採用してのシーフードシチューだ。Tk_eft_091112
 パスタを大きな鍋でゆでている間に、別の小鍋でシチューを煮る。一度に別の料理を作るのは、なかなか忙しい。その合間に、サラダ用にキャベツをみじん切りにし、プチトマトを添える。
 きっと、長男は学校で担任教師から、「一人で玉子焼きを作ったの? すごいね」と讃嘆されて注目の人になったのだろう。「ボク、手伝うよ」と言って、たらこをバラしてマヨネーズで合えるのとか、パスタが鍋にくっつかないように混ぜるのを手伝ってくれた。とっても、うれしそうに。
 14日が長女の誕生日なので、誕生パーティーはその日に合同で開くため、この日は、普通の食事。でも、好きなシチューを2杯もおかわりして満足げだった。
 私は、料理を作るだけでエネルギーが切れてしまい(笑)、食後の後かたづけは、妻に任せた。
 私にとっても心楽しき一日。
 少しずつ成長してくれる子供。それでいて、変わらずに私に慕ってくれていることが、ありがたく思えた。

 小関 隆史

 2009年11月13日

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2009年11月11日 (水)

“postingjoy(ポスティングジョイ)”がスタート

 このブログをご覧の方は、すでにご存じの方も多いと思いますが、このほど、(宗)生長の家が「postingjoy(ポスティングジョイ)」という誰でも無料で参加できるSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)型ウェブサイトを開設しました。
 「よろこびの投稿SNS」というキャッチフレーズで、うれしかったこと、楽しかったこと、いい話、明るい面に注目して作った(描いた)作品――など、他人が読んでも楽しく、心明るくなるような情報をどんどんネットに掲載して、世の中を明るくしていこうという趣旨です。これは、生長の家が昭和5年の立教以来ずっと続けてきた人類光明化運動の今日的な展開の一つです。
 どうぞ、皆さま、ネットを通して、明るい情報を発信していくこのムーブメントに、どうぞ、ご協力ください。
 ちなみに、私は、TKのハンドルネームで、「絵手紙・絵封筒」のコミュニティの管理人として参加しています。こちらのメンバーにもなっていただけると、うれしいです。

 最後に宣伝を一つ。現在、この「postingjoy」のトップページの中程に、生長の家の新月刊誌の見本誌が、全ページ、PC上で「立ち読み」できるようになっています。その『いのちの環(わ)』の50~51ページに、「絵手紙ぽすと」という絵手紙と絵封筒の投稿コーナーがあり、私がその欄の担当をしています。そちらの方も、気に入っていただけたら、投稿をお願いします。

 小関 隆史

 2009年11月11日

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おもしろ写真館(29) 今日のイシベくん(2009年11月9日)

Ishibe091109 そろそろ冬支度のいしべくん。この日は、ニット帽にマフラーという出で立ちに。しかし、何でも似合いますね。
 この日は、ガラス越しに初めて院長先生らしき男性を見かけました。
 私は、この院長先生が、女性スタッフのセンスに任せて“いしべくん”の装いを変えさせているのだと勝手に想像しています。院長先生も、スタッフもユーモアのセンスがある方なのだろうなあ。
 毎日のように医院の前で“犬の置物”を撮影している私は、医院の皆さんには知られているのかな。「今日も撮ってたよ」、なんて。
 いつか、医院の方とお話しする機会ができるといいな。

 小関 隆史

 2009年11月11日

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私の弁当(13) 今日は枝豆付きで

Lunchbox091109 11月9日に作った昼の弁当です。
 小芋とインゲンとカボチャの煮物は、2日ほど前にまとめて煮て、冷蔵庫で保存していたものを温め直して詰めました。忙しい朝には、こういう食材を利用すると便利ですね。
 ご飯には、醤油、鰹節、マヨネーズを合えたものを混ぜています。
 別の容器に枝豆だけを詰めました。私、ビール党ではないのですが、枝豆好きなのです。塩ゆでして冷凍したものを解答して入れるだけ。ちなみに容器のフタにはアンパンマンの絵が。子供の趣味です、お間違えなく。(笑)
 この日も手抜きっぽい弁当でした。

 小関 隆史

 2009年11月11日

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2009年11月 9日 (月)

わんだふる・わーるど(17) 楽しんでやろうよ!

 最近、電話で取材した長野県のSさんのモットーは、「なんでも楽しくやる」こと。
 電話で話しているだけでも人の良さが分かるほどのSさんは、現在、地元の福祉センターの管理人をしている。「人が見ていないところでもいい仕事をする」ように心がけているそうで、トイレットペーパーの紙を交換する時は、次に使う人が気持ちよく使えるように、紙の端を三角に折り曲げる。冬場は利用者が来る少し前に部屋を暖めておく――など、思いやりの心を大切にしてる。だから、利用者からは、「今日の当番がSさんで良かった」と言われるほど人気があるそうだ。
 そんなSさんは、人から頼られて、地域でもいろんな役を持ちかけられる。共有林を管理する管理組合の副会長をはじめ、公民館の活動、老人クラブの会計、小中学校や高校の同級会の幹事、そしてもちろん生長の家の役員でもある。頼まれると断れないタイプの人なのだ。
 でも、偉いと思ったのは、引き受けたからには、どんな仕事も「楽しんでやる」ことに徹している点。だから、周囲の人は余計に、この人に頼みたくなるのだろう。

 そんなSさんと対照的な人に昨夜出会った。
 月刊誌の締め切り直前のため、深夜まで職場で仕事をした後、終電近い電車で帰り、最寄り駅からタクシーに乗った。そのドライバーは、私が行き先を告げても返事もしない。途中でお金の持ち合わせがないことに気づき、運転手さんに「カードが使えますか」と尋ねると「使えるけど、そんな大したお金かかんないよ」と答え、「現金だったらいったん自宅に入って持ってきますけど…」と言うと、「カードでいいんじゃないの」とそっけない返事。「仕事をするのがそんなに嫌なんですか?」と思わず問いたくなった。降車際に「ありがとうございました」とお礼を言っても、やはり何の返事もなかった。

 その後、ふとこんなことを思った。嫌々仕事をしている人の側にいると、こんなにも不快な気分になるのだということを。ああ、そうか、あの運転手さんは身をもって私に教えてくれたんだな。Sさんとは真逆の方向から、「やるんだったら、楽しんでやる」ということの大切さを。
 仕事が忙しくなると、ついつい後ろ向きの気持ちになってしまい勝ちだ。でも、きっと周囲の人はそんなマイナスの思いを察知して、いい影響を受けないはず。恐ろしいと思った。Sさんと運転手さん、対照的な2人は、同じことをまったく違う形で私に教えてくれた。

「楽しんでやろうよ!」と。

 小関 隆史

 2009年11月9日

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2009年11月 8日 (日)

私の弁当(12) 手抜きおにぎり弁当

Lunchbox091106   11月6日の朝、あまり時間がなかったので手早く“手抜きおにぎり弁当”を作りました。
 手抜きというのは、既製の冷凍食品を使うこと。今回は、白身魚フライとイカの天ぷら、ブロッコリーがそうです。
 それらをレンジで温めてから詰め、玉子焼きだけ手製のものを加えました。
 おにぎりの具は、しょうゆ、マヨネーズ、鰹節をあえたもの。お寿司用の大きな海苔で全体をくるんでみました。

 小関 隆史

 2009年11月8日 

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2009年11月 7日 (土)

オーバーホール

 半月ぶりに、いつも使っている銀色の腕時計が戻ってきた。
 電池交換だけのつもりで店に持ち込んだが、しばらく経って返ってきたのは予想外の「オーバーホール(※)が必要です」との返事だった。費用は1万円かかるとも。電車の中だったが即断した。「お願いします」と。

 この時計は私にとって“思い出”が詰まる大事な時計。17年前、故郷の京都を出て東京の職場に就職した際、知人のご婦人方6、7人から「餞別に」と贈ってもらった品物だ。京都の四条河原町にある老舗の時計店に私を連れていってくださり、そこで私が気に入った時計を選ばせていただいた。白い文字盤のごくシンプルなデザインで、使っていても飽きがこない。Overhaul
 17年間、私の腕でずっと私の生活ぶりを見守ってくれていたこの時計。幾度となく電池を交換し、金属製のベルトの金具を交換しながらも、しっかりと時を刻んでくれていた。この時計を見ると、私を送り出してくれた人々の気持ちが思い出され、どれだけ勇気づけられたことだろう。

 半月ぶりに手にしたこの腕時計を見て驚いた。新品と見まごうばかりにピッカピカに輝いているのだ。ずっと気になっていた隙間にあるホコリがすべて洗い流され、傷はあるものの、銀色のステンレスの輝きが蘇った。

 気分一新。

 仕切直しだ。

 オーバーホールって、いいな!

 

  小関 隆史

 
  2009年11月7日

 ※ オーバーホール(overhaul)とは機械製品を部品単位まで分解し清掃・再組み立てを行い、新品時の性能状態に戻す作業のこと。

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私の弁当(11) ナスと油揚げの煮物

Lunchbox091106 今朝作った弁当です。
 ナスの煮物が食べたくて、油揚げと一緒に甘辛く煮込みました。
 
 小関 隆史

 2009年11月6日

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2009年11月 6日 (金)

バランス感覚についての考察

 最近、同僚の一人と雑談していた時にお酒の話になり、私が「僕、酩酊状態になるまで飲んだことがなくて…。そこまで飲みたいとは思わないんですよね」と言った後、相手から「小関さんはバランス感覚がいいですよね」とポツリと言われた。まるで虚をつかれたように返す言葉が見つからなくてちょっと間が空いてしまったが、「そうですか、ありがとうございます」と返した。それから話題はほかへ移ったが、先の言葉が、何か自分の本質に触れる重要な事のように感じ、しばらくその事が頭から離れなかった。

 バランス感覚――つまり平衡感覚のことだが、スポーツ、仕事、人付き合いなどいろんな場面で広く使われている言葉だ。特にスポーツで印象に残っているのは、サッカー元日本代表の中田英寿さんが現役時代、国際試合の時に「ボディーバランスがいい」とテレビ解説者に褒められていたこと。サッカーは文字通り体と体が直接ぶつかり合う競技で、試合中に選手は相手の激しい当たりが来てピッチに転がされることもしばしば。でも、中田さんは、なかなか倒れなかった。素人目にも、常に彼の重心は低く、まるでグラウンドに吸い付いているかのように安定して見えた。専門的なことはよく分からないが、当たられた時も、相手の力をうまく逃がしながら体の軸がぶれないようにバランスを保っているのだろう。
 ほかにも大きくは地球環境の保全、国際政治から、小さくは職場での仕事の進め方、自治会、夫婦関係、子育てに至るまで、この「バランス感覚」は重要な役割を果たす。平たく言えば、「偏らないようにする」ということだろう。偏ってしまうとなぜ良くないかと言えば、調和が崩れるからだ。地球環境問題においても、人間本位の生活が二酸化炭素の急激な増加を引き起こし、大気のバランスを崩したことが、地球温暖化の危機を招く結果に結びついている。

 ところで、やはり人は、本人が意識するしないは別として、誰しもいろんな場面でバランスをとりながら生きているのだろう。自分の事を振り返ってみても、それは分かる。
 だが、バランスにばかりとらわれてしまっても、物事の本質から外れる場合もあるだろうから、そこは注意したい。話を分かりやすくするためにそれを絵画に例えると、もっともバランスがとれるのは左右対称に描くことだ。でも、余程それを狙った作品でない限り、それでは面白みに欠ける場合が多い。やはり、均衡を少し崩すことによって画面に動きが生まれ、なんともいえない魅力ある空間ができる。色も同じ。前に日本画家の千住博さんの言葉を紹介したように、どんな色同士でも調和するが、色の面積(分量)などのバランスを工夫することが、その前提となると言っていたことと同様だ。
 こう考えてみると、バランスをとるということは実に奥深い。ただ、こうして書きながら考察を深めるうちに、バランスを保つには「重心」が大切だということは、分かってきた。ならば、私たちが生きる上で何を重心とすれば良いのだろうか。そんなことを考えていると、「人間の魂の重心は神である」という生長の家創始者・谷口雅春先生の言葉を思い出した。最後にその詩を紹介して言葉を結びたい。

 人間の魂の重心は神である

 宇宙の心はバランスを欲するのである。
 バランスを得ないものは倒れて壊ける
 今は、力のバランスで
 辛うじて世界の平和が維持されている。
 月が地球を旋(めぐ)っていて
 急降下して地球と衝突しないのも、
 遠心力と求心力とのバランスが得られているからである。

 船が傾いて沈没しないのも、
 船には水荷があってバランスを得ているからである。
 あなたが二本の脚で道を歩いていて倒れないのも
 バランスを得ているからである。
 あなたが自転車に乗っていて倒れないのも、バランスを保っているからである。
 
 重心が大切である。
 重心が外れたら
 すべてのものは倒れてしまう。
 人間も重心が大切である。
 人間の心が重心を踏み外すとき
 重大な悲劇がそこに起るのである。
 人間の魂の重心は神である。

(『神と偕に生きる真理365章』谷口雅春著、P115~117より)

 

 小関 隆史

 2009年11月6日

【参考資料】
『神と偕に生きる真理365章』(谷口雅春著、日本教文社、平成14年2月25日17版)

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2009年11月 2日 (月)

おもしろ写真館(28) 今日のイシベくん(2009年11月2日)

Ishibe091102 今朝のイシベくんは、チロリアン風のハットを被っていました。
 どこからか、ヨーデルが聞こえてきそう。

 小関 隆史

 2009年11月2日

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わんだふる・わーるど(16) 夢への一歩

 最近、『日時計日記』を付けて体験が生まれた人を連続して取材しているが、実に一人一人から学ぶことが多い。
 そのうちの一人、埼玉県在住のKさん(男性)は、『日時計日記』に、毎日ではないが絵手紙風の絵を描いていた。月間スケジュール表の1日分のスペースを使って「お月見」の絵を描いたり、1日ごとの記載欄にも、その日、印象に残った出来事や見た風景などを描き、言葉もそえている。それが実に雰囲気がいいのだ。「『日時計日記』は他人に見せたくなる日記です」と言って、地方講師として誌友会(※)に出講する際には必ず持参し、参加者に日記の内容を披露しているそう。私も手にとって見させていただいたが、とても魅力的だった。そして、自分も描いてみたいと思った。
 Kさんは、こうして『日時計日記』に絵(手紙)を描くようになって、たくさんの絵手紙を描いて送れるようになってきたという。誰に絵手紙を送ったかも日記に付けている。Kさんは言う、「絵の上手下手は第三者が判断することで、全然気にならなくなってきました。ただ描くのが楽しくて…」と。そして、意外なことに、もともと絵を描くのは苦手だったというのだ。
 しかし、日記に絵を描き、人に絵手紙を出すうちに自信がつき、今ではもっといろんなことにチャレンジしたいという思いがわいてきたという。私は「これだ!」と思った。何事でも苦手なものを克服できたとき、誰しもすごい自信を得る。そして、その自信はその人の生活全般を変えることにつながっていく。

 私はKさんと出会って、自分の心に火がつくのを感じた。やりたいことで「今はできない」とあきらめていることはないだろうかと。実は私にはそんなことがたくさんある。その一つが音楽だ。幼いころから歌うことは好きだったが、音楽の授業は苦手だった。楽譜も読めないし何か自分とは縁遠いものと思っていた。が、その一方で、歌を聴くのは大好きで、知人や友人が出演するライブハウスにも好きで何度が通ったことがある。そんな時、魂に響く音楽の魅力に心打たれ、「自分も歌いたい」という思いがふつふつとわいてくる。だから、いつ頃からか、アコースティックギターをマスターしたいという思いにかられるようになっていった。
 何事も一足飛びにはいかないことも分かっている。けれど、今できることもあるはずだ。やりたいことをあきらめずに、今できる一歩を踏み出すこと、それが人生においてとても大切なことだと学んだ。ならば、いつ実を結ぶかは分からないけれど夢に向かって一歩を踏み出す自分でありたい。そう最近強く思っている。
 昨日、発表した歌詞は、実は私のそんな思いから生まれたものだ。私は時に、自分の内なる思いを詩にしたいと思う。絵でもなく、話し言葉でもなく、詩という形式で。さらにそれをリズムに乗せて歌うことができたら、どんなにか気持ちいいだろうかと思う。

 幸い、最近私が購入したMacには、コンピュータ上でギターやピアノの音色をミックスさせて曲が作れるソフトが標準でインストールされている。まだ使い方はよく分からないけれど、何かができそうな予感がする。しかも、そのソフトにはギターの弾き方のビデオ教材も入っているのだ。
 ひょっとしたら楽譜が読めない私でも、曲が生み出せる日がくるかも知れない。

     (※)信徒の家庭や公民館などで生長の家の教えを学ぶ地域単位の集い

 小関 隆史

 2009年11月2日

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2009年11月 1日 (日)

Wonderful World

Wonderful World

              作詞 小関 隆史

耳を澄ませてごらん
聞こえてくるよ心の声が
そうさ、どう生きたいのかは
ほんとの自分が知っているから
Wonderful World 自分の心が決める世界

迷った時は外に出てごらん
教えてくれる「一人じゃない」と
そうさ、天地のすべてのものと
一つの“いのち”つながってるよ
Wonderful World 大いなるわれ今ここに

心の眼(まなこ)で見てごらん
見かけの違いの奥わかるから
そうさ、生きてる一人一人は
かけがえのない輝く一人
Wonderful World それぞれの音奏でるよ

Wonderful World 自分の心が決める世界
Wonderful World 大いなるわれ今ここに


2009/11/01

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私の弁当(10) きつね丼弁当

Lunchbox091031 昨日作った弁当です。『もっと私たちのお弁当』(クウネルお弁当隊編)の中で誰かが作っていた「きつね丼弁当」を、一度作ってみたかったので、チャレンジしてみました。とは言っても、油揚げとネギを水、砂糖、みりんで煮込んだものをご飯にのせるだけの簡単なものです。冷えていても、なかなかおいしかったです。
 後のおかずは、ゆでブロッコリー、卵焼き、ピーマンを炒めて醤油と鰹節で合えたもの。そして、冷凍の白身魚フライです。お腹は結構、満腹になりました。

 小関 隆史

 2009年11月1日

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2009年10月31日 (土)

わんだふる・わーるど(15) 実相を観るということ

 先日、職場の歓送迎会が都内の某飲食店で開かれた。こういう機会には私は司会進行役を頼まれることが多い。要するに場の“盛り上げ役”になるのだ。私もマイクを持つのが嫌いではないので(カラオケも含む、笑)、任命されれば引き受けることにしている。
 さて、今回はその店のバーテンダーA氏とのやり取りの中から学んだことを書きたいと思う。
 会を始めて30分ほど経ったころ、私が主賓2人のために注文したドリンクと私のドリンクが、かなり待っているのになかなか出来てこず、私もとうとうしびれを切らした。
 カウンターでドリンクを作るA氏にそれを尋ねると、注文が通っていないという。さらに「使っているグラスと交換に注文してください」ともクールな表情で言われた。3人共、最初の注文なのでグラスは手元にはないのにである。これにはさすがの私もカチッときて、「グラスはまだありません」と言ってにらんだ。
 それからである。A氏はしらけた顔で、まったくやる気のないそぶりを見せるようになった。貸し切りの会場で、しかも私たちに接客してくれるのはこのA氏ただひとり。テーブルにはこの日を楽しみにしていたメンバー十数名が何も知らずに座っている。
 その時、私は心のスイッチを切り替えた。「感謝しかない」と。
 皆の注文をA氏に伝える時には、微笑みながら最後には「お願いします」と丁寧に言い、できた飲料を受け取った時には、微笑んで「ありがとうございます」とA氏の顔を見て言うようにした。誰かが「これはおいしい」とつぶやけば、それをA氏に「好評ですよ〜」とも伝えた。
 すると、徐々にA氏の表情が和らいでいくのが分かった。私とA氏との間に流れる空気が確実に変わっていったのだった。
 極めつけは、最後に主賓の3人だけにチョコペンシルで本人の名前入りのメッセージが書かれた“特製デザートプレート”が出された時。それを用意してくれたA氏に全員で感謝の拍手を送った。
 するとどうだろう、最後の記念写真の時、彼は電気を少し明るくして撮影のために便宜を図ってくれた上、頼まないのに写真を撮ってくれた。そして、最後に幹事と私が店を出る時、親切な言葉と笑顔で見送ってくれたのだった。

 存在(もの)の実相(ほんとのすがた)を観るにはどうしたらよいかといいますと、「自分の実相」によって存在の実相を照らし出して見るほかはないのであります。(『生命の實相』頭注版第2巻P104)

 今回の体験で、人間関係で亀裂が生じた時には、相手と同じ次元に立って悪感情を持っていては解決しない。こちらが相手の善性(神性)を認めて感謝の気持ちで接する時、即ち、まずこちらの実相を顕した時に、自ずと隠れていた相手の実相が顕われてくるということが、しみじみと実感できた。
 この世界は、まさに自分次第なのだ。

 小関 隆史

 2009年10月31日

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“MacBook Air”の専用ケースに“紙袋”

Air_tk091030 愛機“Air TK”を持ち歩く時は、写真のような紙製の書類入れを使っている。これは「SIWA/紙和」という製品で、ちょうどA4サイズでマチが2センチほどあるので、MacBook Air にぴったりの大きさだ。仕事用のビジネスバッグにもさっと入り、ちょっと出かける時なら、この紙袋だけでも持ち歩ける。クッションなどは入っていないので衝撃には弱いが、インナーケースとして傷や汚れの防止だけなら十分だと思っている。
 紙特有のシワ感がしっくりと手に馴染むためなかなか気持ちがいい。当然ながらシワも増えていくが、それも味わいとなる。私の場合はネットで製品を見つけ、ちょうど職場の近くのショップで販売していることがわかり、直接、Airを店に持ち込んで収納の具合を確かめてから購入した。色は黒、ベージュなどがあったが、私が好きなダークブラウンを選んだ。
 このSIWAにはこれからも愛機をやさしく包んでほしいと思っている。

 小関 隆史

 2009年10月30日

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2009年10月27日 (火)

“Air TK”を持って代々木公園へ

Airtk091027 昼休み、ぽかぽか陽気に誘われて、職場にほど近い代々木公園まで散歩にでかけた。
 ひりひりするような日差し。園内に入って木陰のベンチを見つけて座った。
 ざわわと木の葉が揺れ、涼しい風が全身に触れる。
 愛用の“MacBook Air TK”のデスクトップ画面には、カラフルな落ち葉の壁紙。
 やや上を見ると、青空の上にぽっかりと綿菓子みたいな雲が浮かんでいる。上空も強い風が吹いているのだろう、瞬く間に、ひとかたまりの雲は散り散りになった。
 のんびりと目の前を行き交う人。同じ街の中なのに、公園という場所は人々を和ませ、歩くペースもかえてしまう。
 ただここに座っているだけで、満たされた気分になる。

 さあ、そろそろ時間だ。
 ゆっくり歩いて帰ろう。

 小関 隆史

 2009年10月27日

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おもしろ写真館(27) 今日のイシベくん(2009年10月27日)

Ishibe091027 今朝のイシベくん。まだ開院前だったので、ドアの内側からひっそりと外を眺めていました。
 グリーンの地に犬の足跡の模様が白く染め抜かれたスカーフ。
 今日もなかなかおしゃれです。

 小関 隆史

 2009年10月27日

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2009年10月25日 (日)

わんだふる・わーるど(14) 悲しみの奥にある光 〜後編

 長男のケガについて、記事を読んだ方から心配のメールや言葉をいただいた。ありのままを一気に書いてしまったので、私の感情がストレートに伝わってしまったのだろう。ご心配をおかけしました。そして、ご愛念をいただき、ありがとうございます。

 さて、今日は休日だったので一日、子供たちと遊んで過ごした。長男の様子はというと、いたって元気だ。ケガをした当日は、結局、仕事が遅くなって長男には会えなかったため、今日、ゆっくりと歯の様子も見られた。妻からのショートメールに書かれていたように、歯科医が欠けた部分を樹脂で埋めてくれていたので、想像していたよりも状態は良く、安心した。先端部分が欠けたため、よく見ると少し歯が短くなったのがわかる程度だ。歯茎の腫れも引いたようで、痛みもないとのことだった。
 心配だった本人のショックもなさそうで、いつものように元気過ぎるくらいだったので、それが何よりうれしい。入浴時、長男と一緒になったので、どういう状況でケガをしたのか聞いてみたが、今日は話す気にならないとのことで、明朝、二人きりの時に話してくれると約束してくれた。ケガをしたのが恥ずかしいのか、それとも別に話したくない理由があるのか、子供ながら微妙な心理状態にあるのだろう。私としては、どんな状況でケガをしたにしても本人を責める気持ちはなく、ただ事故状況を把握しておきたいという気持ちだけだ。

 今回の体験を通して、ショックを受けた時には、まず神想観をして心を光の方向に振り向け、自分自身の心を落ち着けること。そうすることによって、取り越し苦労や心配は消えることを学んだ。今回は、長男の担任教師であるM先生の「歯が真ん中から砕けた」という説明で、悲惨なイメージが膨らんでしまい、当初は気が滅入ってしまった。状況が見えない中では、こちらの受け止め方によって、自分自身の心理状態が大きく左右されることも、今回のことから学んだ。必要以上に心配しないことが大事なのだろう。

 読者の皆さんには、心配をおかけしましたが、こういう状況ですので、どうぞ、ご安心ください。

 小関 隆史

 2009年10月25日 

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2009年10月24日 (土)

わんだふる・わーるど(13) 悲しみの奥にある光

 午後3時前、仕事中に携帯が鳴って耳にあてると、小学4年生の長男の担任のM先生からだった。ただ事ではないと直感し、席を外して別室に移動した。
「実は…」と言いにくそうに切り出された話を聞くと、長男が昼休みに2本の前歯を崩すケガをし、これから歯科医院に連れていくという。思わず深呼吸をしながら詳しい話を聞くと、だんだん絶望的な気分が心を支配し始めた。
「2本の前歯の真ん中から砕けるような形で…、マスクに歯のかけらが少し残っていたのですが…」
 聞くほどに、目の前が真っ暗になっていく。
 自宅の電話も妻の携帯もつながらなかったため、M先生はとりあえず報告を、と私にかけてきたのだった。とりあえず歯科医院で治療した後、M先生から妻に連絡し、妻が学校に長男を迎えにいくことになった。
 電話を切り、妻の携帯にかけると、長いコールの後、外出先の妻につながった。事情を手短かに説明し、学校からの連絡があることを伝えた。妻も少なからずショックを受けているようだった。
 大きく波立つ心。悲しみが心を支配していた。このままでは仕事場に戻れない。すぐにでも長男の元に行きたかったが、この日は月刊紙の締め切り日で、まだ長い原稿を書いている途中だった。けれど、どういう顔で部屋にもどったらいいんだ…。
 携帯をポケットにしまうと、肩を落としながら「實相」の額が前方に掲げられたホールへと向かった。祈るしかなかった。
 陽光が差し込むホール2階の窓際に正座し、神想観を始めた。
 小声で祈りの言葉を唱えながら、意識してゆっくりと呼吸をした。
 最初、敢えて長男のことは忘れようとして、「神の無限の智慧の海…、神の無限の愛の海…」とひたすら、神の世界にいて明るい光に包まれている自分を想像した。
 しばらくして、心がだんだん落ち着いてきた。次に、傷ついても傷つかない長男の実相を思った。現象的には歯が崩れて不完全になっても、傷つかない実相の本当の姿。長男の笑顔が脳裏に思い浮かんできた。
 ああ、そうだった。命に別状がなかっただけでも良かったではないか。何を不満に思う? 何を不足に思う? そう、もう一人の「私」が私に語りかける。
 そうだ、「ありがとう」だった。長男の命があることに「ありがとう」だった。
 ゆっくりと涙が両方の頬をつたった。
 すべては、「ただ神の栄光が現れんがため」なのだった。
 子供たちが生きていることに、どれだけ感謝している自分だったか。どれだけ深い思いで子供たちを抱きしめていた自分だったか。反省の心がよぎる。
 こうして命あるありがたさが私の胸いっぱいに広がった時、いつもの自分に戻れた。そして何事もなかったかのようにデスクに戻った。

 午後4時半、携帯のメールを受信した音が鳴り、開いてみると妻からの次のようなショートメールが入っていた。

「歯医者さんに行って来たけど、まあまあきれいに歯を治してくれました。様子をみましょうということでした」

 このメールでほっと胸をなで下ろした。
 いつしか、軽やかに冗談が言える私に戻った。

 小関 隆史

 2009年10月24日

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2009年10月23日 (金)

神の視点

 今朝、家を早く出て、新宿駅構内のカフェで立ったまま朝食をとりながら、駅構内を行き交う人の流れを見て考えた。神の視点とは何かを。
 私の前を通り過ぎる人に誰一人として同じ顔はなく、きっと考えていることも違うだろう。神には無限性があると教えられているけれど、このような無限の創造ともいえる多様な世界を創り出した神は、例えば一人一人の人間を見て、どんな気持ちになられるのだろう。きっと、誰がどこの会社に勤めていても、どこの学校に通っていても、どんな場所に住んでいても、どんな容姿をしていても、そんな違いは神様にとっては、どうでもよいことなのではないだろうか。自分がたとえどのような名で呼ばれようとも、気にされないに違いない。世界を、人々を区別するために壁を作ったり、見えない境界線を引くこともされない、そんな心の広いお方が神様であってほしい。
 こんなことを考えていると、心が軽く自由になってきた。
 いままで自分で自分を縛ってはいなかったか。
 生長の家の信徒とほかの人を区別してはいなかったか。
 伝道したいと思った時に自他を分ける心が邪魔をしてはいなかったか、等々。
 神の視点に立つ時、自他を区別する境界線は自ずと消えているはず。
 全世界の人々を大切に思い、人間だけでなくすべての生き物を大切に思われる神の視点。
 そんな神の視点で物事を考え、仕事ができる人になりたい。

 行き交う人々の流れを見ながら、こんなことを考えた。

 小関 隆史

 2009年10月23日

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2009年10月22日 (木)

Macライフをスタート

「MacBook Air」を購入して3日目、自宅の無線LANにインターネットがつながらなくて、ずっと心がもやもやしてたが、休日の今日、朝からMacのコールセンターに連絡して1時間ほど電話を介して丁寧にアドバイスを受けながらあれやこれや試みた結果、無線でネットにつながるようになった。つながった瞬間、思わず「つながりました!」と声が弾んだ。Mac初心者の私がいきなりつまずいた形だったが、Macのオペレーターの方の親切な対応がとても心強く、これからもMacライフを続けていけそうな気がした。今は駅に向かうバスの中でこの文章を書いているが、できるだけこのAirを持ち歩いて、早くMacに慣れたい。

 小関 隆史

 2009年10月22日

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私の弁当(9) 出張用弁当とサンドイッチ弁当

Lunchbox091019 左は、10月19日、茨城県に取材で出張した際、特急の車内で食べるために持参した手製のおにぎり弁当。おやつにチョコ棒を添えています。
 右は、10月21日に宿泊学習で八ヶ岳に出かけた小学生の子供たちのリクエストに応えて作ったサンドイッチ弁当。玉子、キュウリとチーズのサンドと鶏の唐揚げ、ブドウなどが入ってます。子供たち、おいしく食べてくれたかなぁ~。Lunchbox091021

 小関 隆史

 2009年10月22日

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2009年10月17日 (土)

私の弁当(8) 好物の茄子を煮る

Lunchbox091017 今日のお昼の弁当です。“お揚げ”を使って何か調理したいと思って、大好きな茄子の煮物を作りました。揚げと茄子に少しだけ鶏の細切れを入れました。昨晩、この煮物を作っておいて、朝は煮直すだけに。おかげで今朝の弁当づくりは余裕をもってできました。最近、『もっと私たちのお弁当』(クウネルお弁当隊著)を読んで、モチベーションが高まっています。いろんな人のアイディアをいただいて、弁当ライフを楽しみたいと思います。

小関 隆史

2009年10月17日

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おもしろ写真館(26) 今日のイシベくん(2009年10月17日)

Ishibe091017 今朝のいしべくんです。前回に続くハロウィーンの第2弾という感じ。う~ん、このサービス精神には頭が下がります。芸人ならぬ芸犬。いつも気持ちを和ませてくれて、ありがとう。(TK)

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2009年10月16日 (金)

第31回生光展に母を案内する

Seikouten00  休日だった昨日、東京・銀座画廊美術館で開催中の、「第31回生光展」に母を案内した。母は、私が出品していることもあって、毎回、関西からはるばる来てくれる。この日も、昼前に東京駅に着き、一緒に食事をした後、ゆっくりと全部の作品を見て回ってくれた。実は会場には母が私の子供たちに宛てて出した絵手紙も4点、展示されているのだが、母には飾ることを内緒にしていたので、作品が展示されていると知って、「え~っ!」とのけぞって驚いていた。が、ほかの絵手紙、絵封筒、絵画作品の数々を見て回るうちに、描く意欲が高まってきたようで、会場で一緒になった母の元同僚に、「あんたも絵手紙から始めたらいいよ。なんでも訓練やから。私も最初描くつもりはなかったけど、孫から絵手紙が送られてきたら、文字だけの手紙で返事するわけにいかへんやろ」などと、絵手紙を勧めているのが微笑ましかった。Seikouten01
 絵手紙と絵封筒は、初めて応募してくださった方が3分の1以上はいて、「絵てがみは苦手」という文字と絵手紙を描いている自分の姿をクレヨンで描いた作品には、思わず笑った。それはお世辞でも上手とは言えない絵には違いないが、苦手を逆手にとるユーモアがあり、開き直りもあり(笑)、痛快だ。絵手紙はこれでもいいと思う。この作者は、青森の人で、先日、このブログでも紹介した田中道浩・青森教区教化部長が、講師を対象とした研修会で絵手紙を実習する時間を取り入れた際に、参加者と一緒に描いた作品のようだ。
 ほかにも、たまたま目の前にあった黒板を描いた作品も、「ああ、こんなものでも絵になるのか!」と感心した。一所懸命に描いたものは、たとえその表現が稚拙だったとしても、見る人に伝わる。そして、楽しんで描き続けるうちに、表現は着実に上達する。それは、この2年間、いろんな人の絵手紙・絵封筒を見てきた実感だ。

 来年は、今年の2倍の絵手紙・絵封筒の応募があっても展示できるように、今から展示方法を考えている。このブログをご覧の皆さまも、来年は(も)、どうぞ遠慮せずに、ご応募いただきますよう、お願いします。

 開催中の第31回生光展は、今度の日曜日、10月18日まで開催中。
 どうぞ、お誘い合わせてご来場ください。

 小関 隆史

 2009年10月16日

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私の弁当(7) イモの茎のきんぴら

Lunchbox091014  10月14日に作った弁当です。11日に聖使命新聞の取材で「びわこ生命学園」の芋掘りに同行。収穫の一部を頂きました。スタッフでもあるベテランの奥様方から、イモの茎の調理法を学び、早速、イモの茎のきんぴらを作りました。味付けは、しょうゆ、みりん、砂糖少々。生の茎を少し水につけてからさっと湯通しして、炒めて出来上がり。子供達も朝食の時に喜んで食べていました。新鮮な茎だったのでまったく苦みはなく、フキみたいな感じです。今度は、これで佃煮を作ってみようと思います。今日のあとのおかずは定番の煮物。あまり煮込む時間はありませんでしたが、ゆで卵もだし汁で煮て、少し浸しておきました。
 午後から急な取材が入ったりでバタバタの昼休みでしたが、この弁当を持参してたので、なんとか出発時刻に間に合いました。弁当の効用ここにあり。(TK)

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おもしろ写真館(25) 今日のイシベくん(2009年10月14日)

Ishibe091012 10月14日のイシベくんは、ハロウィーンの装い。小さな魔法使い風のハットがお似合いでした。(TK)

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2009年10月11日 (日)

美は生に直結する ~強制収容所でのフランクルの体験

 夕空を眺めて

 昨日今日の、雲と空と夕陽が織りなす情景ときたら、思わず見とれてしまう美しさだ。台風が列島を縦断して、大気を浄化してくれた恩恵とも言える。
Sunset091010 
 新幹線がゆっくりと速度を落として米原駅に近づいた時、ふと、窓いっぱいに広がる空が視界に入り、息を飲んだ。もくもくとした量感のある雲が遙か彼方まで続く。雲がたっぷりと水分を含んで重そうだ。
 翌日つまり今日の夕方、帰京する新幹線の窓から見た夕焼け空もまた美しかった。放射状に雲が広がり、光がそれらの雲をオレンジ色に照らす。
 空を見るのが好きで、航空機でも列車でも空いていれば必ず窓側をとる。ずっと景色を眺めているわけではないけれど、日常と異なる景色を見るのが好きだ。絵に描きたい衝動に駆られることもしばしばだ。

 過酷な強制収容所で美に目覚める

 日常でのんびりと景色を眺めて、その美しさを楽しむなんていうのは、私みたいな絵描きか写真家、それとも心にゆとりがある人だけだと思っていた。が、生きるか死ぬかの切迫した状況に置かれた人でも、神秘的な風景や美に触れることが〝生きる心の糧〟になることを、最近読んでいる本で知った。

 生きるか死ぬかの…、というのは、第二次世界大戦時のアウシュビッツ強制収容所での生活のことである。オーストリアの精神科医、ヴィクトール・エミール・フランクル(-1997)は、自らの収容所での体験を小説などの著作の中に綴っているが、そこには、私が関心を抱いている「美」についての興味深い記述がある。
 その前置きとして、如何に収容所での生活が過酷で、人々が限界状況に置かれていたかを少し説明したい。アウシュビッツ収容所はポーランドにあった。冬は極寒で、当然ながら大部屋に暖房はない。就寝時、人々は密着してひとかたまりとなり、9人でわずか2枚の毛布をまとって眠る。日中は屋外に出かけて重労働をさせられ、食事はほとんど具のないジャガイモのスープ。生きていくためのギリギリの量。誰かが亡くなると、身ぐるみをはがし、物品を奪い合う――地獄の光景。

 疲れを忘れて夕陽を見つめる

 しかし、そんな環境の中でも、「芸術や自然に関するきわめて強烈な感性も目覚めた」(フランクル)という。以下は『フランクルに学ぶ―生きる意味を発見する30章』(斉藤啓一著、日本教文社刊)43ページより引用。Sunset091011
 たとえば、労働で死んだように疲れ、バラックの土間に横たわっているときでさえ、仲間が飛び込んできて、極度の疲労や寒さにもかかわらず、日没の光景を見逃すまいと、急いで外に来るように求めたというのである。
「われわれは外で、西方に暗く燃え上がる雲を眺めた。幻想的な形をした雲が、青銅色から真紅に至るこの世のものとは思えない色彩で、さまざまに変化していく光景を見つめた……」
 感動の沈黙が数分続いた後に、だれかがこうつぶやいたという。
「世界って、どうしてこんなに美しいんだろう!」

 引用終わり。
 切迫した状況だからこそ、神秘的な風景を目にすることで、光を感じ、そこから目に見えないエネルギーや希望を感じ取り、自己に摂取していたのだろう。

 残された一輪の花

 次に、強制収容所の中での、別の事例を紹介する。以下は引用。

 一方、ゲルタ・ワイスマンという女性は、点呼のために何時間も立ち続け、飢えと疲労のために気を失いそうになったとき、驚くべき発見をしたと語っている。
「壊れたコンクリートの片隅から一輪の花が顔を出しているのに気づきました。毎朝、何千人もの人たちが脚を引きずるようにして歩きながらも、その花を踏まないようにしているんです。私は、美や芸術を堪能するために強制収容所に入るようになどと、いっているわけではありません。でもそこには信じられないような瞬間があったのです」(同書、43~44ページ)

 こうした事例を挙げながら、斉藤氏は、次のように結論する。

 つまり、美に接することで、生存にとって有用な何かを本能的に得ようとしたのである。そしてそれは、これまでの文脈から自明のように、ロゴスの生命エネルギーに他ならない。
 おそらく、ロゴスは、美に接することによっても目覚めるのであろう。だからこそ囚人たちは、まるでパンをむさぼり食うように、夕陽の美をむさぼり眺めたのである。彼らはロゴスを呼び覚まし、ロゴスの生命エネルギーを〝食っていた〟のだ。(同書、44ページ)

 斉藤氏が言うところの「ロゴス」とは、偉大なる力、即ち神のことである。
 生長の家でも、神を説明する時に、「真」「善」「美」の3つの性質を挙げることがある。また、神はすべての創り主であるから「生命の本源」であり、私たちが夕陽を見た時に感じる生命感は、「夕陽を通して神を感じている」と言い換えることができる。

 普段、私たちは美をそれほど重要視していないかも知れないが、実は、「美」は私たちの生に直結した重要な要素なのである。
 明日から東京・銀座で生長の家芸術家連盟美術展「第31回生光展」が始まる。
 プロ・アマ問わず出品作家たちが制作した「生命の芸術」に、ぜひ触れていただきたい。

 小関 隆史

 2009年10月11日

【参考資料】
○『フランクルに学ぶ―生きる意味を発見する30章』(斉藤啓一著、日本教文社刊)

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2009年10月 6日 (火)

絵手紙を取り入れた誌友会の開催についてのご質問に答えて(1)

 昨日、このブログを読んでくださっているhiroさんから、メールで質問をいただいた。
hiroさんは、先日、初めて自宅で絵手紙の実践を取り入れた誌友会(※)を開いたそうだ。参加者は大人が10人(うち夫婦4組)で子供が3人。講師でもある開催者のhiroさんが、『自然と芸術について』(谷口雅宣著、生長の家刊)をテキストに講話をした後、絵手紙の制作を参加者の前で実演。その後、参加者が絵手紙を制作し、最後にhiroさんが参加者の作品を褒めたという。参加者の中には、「早速、絵の道具を揃えたい」という人もいて、好評だったそうだ。こうした誌友会の進め方については、このブログも参考にしていただいたそうで、少しでも役立てたことがうれしかった。 (※ 地域ごとで開催されている小規模な真理を学ぶ集い)
 
 ところで、以上のような報告に続いて、hiroさんから、次のような質問をいただいた。

(1)2回目以降はみなさんどう進めているのでしょうか? 次回も同じように絵を描くつもりですが、それが続くだけでは飽きが来てしまうのかなと。

(2)毎回参加したいという気持ちにさせるには、皆さんどういう工夫をされているのでしょうか?

 そこで、概略、次のような返事をさせていただいた。
----------*---------------*---------------*--------------
 私の場合は、2回目以降でも「絵手紙を描くのは初めて」という参加者がいらっしゃった場合は、やはり最初に『自然と芸術について』をテキストに「第1章 新しいタイプの誌友会」のところに描かれている基本的な話をします。
 経験者だけが参加の場合は、上記テキストの別の部分を紹介したり、絵手紙を描く上で参考になるような画家の言葉を紹介したりもします。まあ、私がこのブログで時々紹介しているような“絵を描く時の心得”のようなもの。「まっさらの目で観察することが大事ですよ」とか、「自然の中にもっとも美しい配色があります」などの内容です。また、自分が受け取って感動した絵手紙・絵封筒を紹介することもあります。
 絵手紙の実習の方は、初心者がいる場合は、やはり誰かが最初に手本を見せてあげた方がいいと思います。経験者だけの場合は、それは省略して、一斉に描き始めたらいいと思います。
 私は1年ほど、毎月、自分が住んでいる寮の集会室で、「絵手紙教室」(リアル版アトリエTK)を開催し続けていますが、毎回、参加者が自分で描きたいモチーフ(題材)を持参して描いていますので、皆さん、その都度、新鮮な気持ちで制作に臨まれているようです。すでにhiroさんも経験されていると思いますが、何もかも忘れて絵手紙・絵封筒の制作に没頭できる時間は、なんともいえない清々しいものですよね。月に1回でも、そういう時間がもてれば、すごく生活が豊かになると思います。
 絵手紙を始めると、何気ない風景や草花などに美を感じられるようになるなど、世界の見え方が変わってきますので、そうした日時計主義を生きる喜びを誌友会で互いに発表し合っても、いいかもしれませんね。特に、新しい参加者があった場合には、「絵手紙を描くようになって、こんなに自分が変わりました」などという体験を講話の前にちょっと話してもらうといい導入になると思います。
----------*---------------*---------------*--------------

  ところで、hiroさんは、以前から家族で絵手紙を描いてこられたそうで、今回のメール交換の中で、奥さんやお子さんを含むご家族3人の絵手紙を掲載したWebサイト~小次郎さんの一般公開ギャラリーを紹介していただいた。素晴らしい力作が並んでいるので、興味がある方は一度、ご覧あれ。
 今回の質問ならびにWebサイトの紹介にあたっては、hiroさんから快く了解していただいた。hiroさん、ありがとうございます!

 小関 隆史

 2009年10月6日

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2009年10月 4日 (日)

心に響く言葉(10) 対象そのものが持つ真実の姿を表す

日本画と洋画

 日本画と洋画の違いに始まり、絵を描くことの本質を語る日本画家、畠中光亨(こうきょう)さんの言葉が心に響いた。
 まず畠中さんは、日本画と洋画の決定的な違いは使う絵具の違いであるとして、洋画はチューブから出した絵具を筆につけてすぐにキャンバスに描けるため、描きたい気持ちを瞬時に描けるという特徴がある。方や日本画に使う絵具は、最初、粉末状の粒子であるため、そのままでは紙に定着できず、絵具に、接着剤の役目を果たす膠(にかわ)を混ぜて、絵具を一色ごとに塗らないといけない。しかも、絵具の粒子の粗さや、季節の変化に従って、絵具に混ぜる膠の分量を微妙に変えなければ、絵具の発色が悪くなったり、ひび割れたりする。このような説明をした後に、次の言葉が書かれていた。(以下、引用)

 このように、早く描きたいと思いながら、日本画では画面に向かうまでにクッションをおくのである。これによって、描く対象を生の姿、生の感情でとらえて画面にぶつけるのではなく、自分の想いを高め、その人の思想や哲学にまで深めたものを表現することが可能になるのである。絵具を溶きながら繰り返し絵を描くことの意味を自分に問い、絵に語りかけ、絵具を溶く指先や乳棒(※)にも自分の思いを伝えていく。日本画の絵具は、初めから対象を説明的に描くものではなく、無駄なものを省き、対象そのものが持つ真実の姿を現そうとするところにその特徴がある。(『日本画を学ぶ』28ページ)
  ※ 日本画で使う白い絵具である胡粉(ごふん)をすり鉢で砕く時に使う棒

 この言葉を読んで、一見、「絵具の扱いに手間がかかる」という日本画のマイナスに見える要素も、実はプラスになることが分かり、改めて、便利さや楽なことが至上ではないということを肝に銘じなければいけないと反省した。と同時に、「真実の姿」を現そうとする日本画家の精神性の高さに打たれる思いがした。この画家が現そうとしているのは、言い方を変えれば、モノの奥にある本質ではないだろうか。日本画と洋画、どちらが優れているというのではなく、本質に迫ろうとする画家の気迫に心打たれるのである。

 小関 隆史

 2009年10月4日

【参考資料】
○『日本画を学ぶ(1) 静物写生から本画制作 日本画の用具用材』(京都造形芸術大学編、角川書店刊、平成10年5月20日初版発行)

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おもしろ写真館(24) 小さな公園 ~レゴブロック

Rego091002 すべり台、ジャングルジム、鉄棒、シーソー…、小さな公園には色とりどりの遊具がいっぱい。
 ドアをくぐって、いろんなお客さまがやってくる。
 あっくんもその一人。特に幅の広いすべり台がお気に入りだ。
 階段を一歩ずつ登って、一気にすとーん。勢いあまって、おしりを地面に着けたまま、ずいぶん遠くまで行っちゃった。
 小さな公園で、今日も子供たちは夢のつばさを広げる。


 小関 隆史

 2009年10月4日

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2009年10月 3日 (土)

TKの本棚(18) 『NHN趣味悠々 動物を描く 竹内浩一の日本画入門』(NHK出版)

Nhk091003 これは、先月から10月にかけてNHK教育で毎週月曜日に放映されている「NHK 趣味悠々」のテキストになっている本です。
 竹内浩一さんという京都在住の日本画家が講師となってのテレビ講座。「動物を描く」がテーマです。この竹内さんは、日展の評議員をされている偉い方で、私の高校の大先輩。この方のお嬢さんと私は美大の日本画科のクラスメートでした。
 そんなご縁もあり、9月28日放映の第4回「動物園で描く」から見始めました。とは言っても、たまたま沖縄滞在中のホテルでチャンネルを回していたら、この番組に行き当たり、夢中で見たという経緯。実は、新聞の番組欄で見て、気にはなっていたのです。見るべきもの、出合うべきものは、必然的に目の前に現れてくるこの世界。偶然はないのですね。

 ところで、私がホテルで見た9月28日の番組(再放送:10月5日(月)正午~12:25)の中では、噺家の桂南光(なんこう)さんと竹内さんが一緒に動物園に行き、猿やダチョウなど、さまざまな動物をクロッキー(スケッチ)していくわけですが、竹内さんの優しい人柄が画面から伝わってきて、ほのぼのとします。
 竹内さんは、動物と対話しながら描くなかで、目の前の動物の姿と自分の生き方を重ねる時があるといいます。そんな思いが、最終的に本制作を行う時に生きてくるのだそうです。

 竹内さんは、テキストの「はじめに」の中で次のように語っています。

 いつからか、動物をよく描くようになっていたが、なぜなのかはっきりしない。「竹内さんは動物が好きなのですね」と声をかけられる。愛おしく思っているが、素直に「はい」と応えられないでいる。知らぬうちに虫を踏み、鳥や動物を殺生している。ほどをわきまえていても心は痛む。侘びるおもいだけは持っていたいと思う。

 「心は痛む」との、この優しさに、私は思わず目頭が熱くなりました。
 竹内さんは、「はじめに」の最後を次の言葉で結んでいます。

 心の軸にあるのは、絵の空間からはるかな慈悲の心が漂うよう願っている。いつの日か、明恵さんの楽園に遊んでみたい。

 明恵さんとは、鎌倉時代の高僧、明恵上人のこと。明恵さんのように、生きとし生けるものすべてを慈しむ境地を目指して制作を続ける日本画家の心中を思い、身が正される思いがしました。

 日本画に興味がある方、これから学んでみたい方にお勧めの一冊。


 小関 隆史

 2009年10月3日

【参考資料】
○『NHN趣味悠々 動物を描く 竹内浩一の日本画入門』(NHK出版、定価1050円)

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2009年10月 2日 (金)

わんだふる・わーるど(12) 沖縄の出張で出会った人々

 1泊2日の日程で沖縄に出張した。初日は、旧コザ市である沖縄市、2日目は、そのお隣のうるま市で、それぞれ別の人を取材した。いずれも月刊誌『生長の家相愛会』の取材。
 沖縄市には、那覇空港から路線バスで約1時間半ゆられてたどり着いた。地図ではそれほど遠く感じないが、移動してみて、その距離を実感した。
 初日の取材を終えて、宿泊したのが胡屋(ごや)という地。近くには嘉手納基地があり、大通りを迷彩色の軍用大型トラックがビュンビュン走るかと思えば、ゲート通りと呼ばれる道には、400メートルほど、両側にヒップホップ系の若者向けの服屋が並ぶ。が、人通りは極めて少ない。
 宿泊したホテルの玄関脇に、赤いポストのような英字新聞の販売機があり、米軍基地とともに共存してきた沖縄らしさを感じ、翌朝、ホテルに備え付けの封筒にスケッチした。Tk_eft_092909
 すると、フロントの若い女性が寄ってきて、「85円でも買えますよ」と親切に声をかけてくれた。が、私は新聞を買うつもりはなく、絵を描きたかっただけなので、絵封筒のことを少し説明すると、「初めて見ました。私も絵が好きで、絵手紙を習ったことがあって…」などと興味を示してくれた。
 スケッチを終えて、フロントに部屋の鍵を取りに行くと、さっきの女性と自然に会話が始まった。彼女によると、このホテルに勤めたのは2カ月前で、高校時代から裁縫が得意で、前職はイスやソファーの布地を張り替える仕事をしていたという。「手先を使うのが大好き」ということで、絵封筒にも興味をもってくれたというわけだった。「お仕事で絵を描いているのですか?」と問われたので、「仕事と趣味の半々」と答えた上で、生長の家に勤めて新聞や月刊誌の記者の仕事をしていること、「光のギャラリー ~アトリエTK」やこのブログを開設していることなどを紹介すると、「ブログを後で見てみますね」と言ってくれた。思わぬところから、話が発展して、うれしかった。

 前夜、このホテルにチェックインした際には、朝食の領収書に、「生長の家と書いてください」とお願いすると、その時応対してくれた私より年輩の女性が、「生長の家、知ってますよ。父が熱心でしたから」と話し始め、子供のころには、実家で誌友会が毎週開かれていて、大勢の人が集まり、接待を手伝っていたこと、その後、自分はクリスチャンになったが、姉が今も講師として活動していることなどを話してくれた。このホテルを何気なく選んだのも、波長が合ったからなのかな、とふと思った。Tk092909_2

 最近このブログで紹介しているように、ホテルに泊まるとフロントの方と自然に話が盛り上がることが多い、笑い話だが、今は亡き実父が生長の家だったという後者の女性は、私がホテルの部屋に戻った後、しばらくして部屋に電話をかけてきて、「ところで、明日の朝食は、和食と洋食のどちらでしたか?」と尋ねてきた。「話を長々としてしまったもので、忘れてしまいまして…」と。なんとも微笑ましかった。

 旅の魅力の一つは、国内外を問わず、現地の人々とのふれ合いにあると思う。今回取材したお二人の男性もそれぞれ素晴らしい魅力のある方だったし、きさくなホテルの従業員の女性たち、1万円札が両替できず1円足りなくてもこころよく許してくれた路線バスの運転手さん等々、今回もいい人たちと出会えた、いい旅だった。
 やっぱり、この世界は素晴らしい!

 小関 隆史

 2009年10月1日

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2009年10月 1日 (木)

「第10回絵手紙・絵封筒を描こう!」における講話(5) ~最終回、心惹かれるものを描きましょう

心惹かれるものを描きましょう

 皆さんもどうぞ今日は後ろのテーブルにいろんなものを――こういう「つっこみ如来」を描いてもらっても良いし、あるいはこういう落ち葉をこの機会に、いっぱいありますから是非見てみてください。実にこの一枚の落ち葉の中に微妙な色彩が表れてます。千住博という世界的にも評価の高い日本画家の方はですね、“自然の中に、もっとも美しい配色のパターンがありますよ。葉っぱの緑を見てください。その葉っぱの緑の中にほんとに美しい配色があるんですよ”って言ってますね。ですからそういう「美しさを発見する」っていう気持ちでね、見ていただいたら、そこには形の美しさ、色の美しさなど今まで感じたことのない世界が皆さんの前に開けていきます。それを素直に絵で表現していただければ、そこに皆さんの感動が絵に表れて、それはきっと私が見たら「あぁ、この方はこういうところに感動されたんだな」っていうふうに分かる。良さが必ず表れている。それが私に伝わってくると思います。
 ですから今日は皆さん是非、絵手紙でも絵封筒でもいいですし、チャレンジしていただきたいというふうに思います。どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございます。

 絵の題材を選ぶポイントは、眺めてみて、「面白そうだな」とか「これは綺麗だな」とか、心惹かれたものを描いていただけたら結構かと思います。それが一つモチーフ選びのポイントでございます。鉛筆も用意していますので、基本的な描き方としては、鉛筆やペンや筆で、ものの輪郭(アウトライン)をとって、それに色を着けるというのが一つの基本です。基本はあくまで基本で、「いや、自分は色から描きたい」と思われる方は色鉛筆から描いていただいても結構ですし、「この描き方でないといけない」っていう、そういう決まったルールはございませんので、どうぞ自由にのびのびと描いていただけたらと思います。
 ハガキからはみ出るように描いていただいても結構ですよ。「あぁ、これは迫力があるなぁ」と思ったらですね、バーンと思い切って画面からはみ出ても、逆に良いのができるかもしれません。御参考までに。よろしくお願いします。
 私はちょうど前の席でですね、絵手紙を実際に描きますので、最初どう描いたらいいか分からないという方はそれを見学に来ていただいても結構ですし、後ろにあるモチーフをすぐに描きたい、じっくり時間をかけたいという方は即描いていただいても結構です。よろしくお願いします。

(おわり)


小関 隆史

2009年10月1日

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「第10回絵手紙・絵封筒を描こう!」における講話(4) ~才能がないと思っている人に

才能がないと思っている人に

 それでですね、この中に「自分は絵なんか描いたことない。絵というのは才能のある人だけが描けるんであって、自分にはムリです」って思ってる人もいるかもしれないけれども、そうじゃないんです。皆さんの中にね、才能が隠れてるんです。

 実例を紹介しますね。私は毎月第2木曜日の午前中、自分の住んでる寮で絵手紙教室(リアル版アトリエTK)というのを開いてまして、まさに今日のような場ですね。その絵手紙教室に、半年ほど熱心に通ってこられた方で、今は青森教区の教化部長をされている田中道浩さんが、最近「そのままのこころ」というご自身のブログで絵手紙を描くようになったきっかけを紹介されてたんですね。「僕が絵を描くようになったわけ」っていうタイトルの今年9月19日の文章で。その内容をちょっと朗読させていただきますね。
 ※ 以下の( )の中は私の註釈です。

 ぼくが現在のように絵を描くようになったのは昨年の9月11日からだ(まだ最近ですよね)。それまでは絵が得意でなく、自分には描けないと思いこんでいた。でも、生長の家では絵手紙を描くことを勧めている。さて、どうしようかと考えていた時だ。同じ寮に住む小関さんが寮で絵手紙教室を開催してくれることになった。最初は参加するかどうか迷っていたが、家内と2人で思い切って参加してみた。最初に文房具屋に絵手紙の道具を買いに行った(最初に参加者全員で道具を買いに行ったわけです。大手の文具店が私たちの寮の真向かいあるので)。それで、その道具を見ていると不思議なことになんだかやる気が湧いてくる(絵でもね、絵の具とか画材をそろえるとやる気が出て来るんですよ)。寮に帰り、小関さんの指導、描く対象をよく見ること。一番良いと思う角度から描くこと

(まぁ、こういうカボチャでもね、一番美しく見える、「あぁ、いいなぁ」と思う角度から描いたら良いですよと、そういうことをアドバイスしたんですね)

と指導があった。そして目の前で手本に果物を描いてくれた。それが大胆な色遣いで「あぁ、そういう風に大胆に塗っても良いんだ」と思った。


 まぁ、ほとんどの参加者が初心者でしたので、見本にまず私が描いてみたんです、皆さんの前で。今日も後で皆さんの前で描いてみます。もう充分ベテランの人は見なくて良いですよ。即実習に移って欲しいんですけれども、絵てがみを初めて描くとか、「どうして描いたらいいか分からない」という人は私が前で描きますので、それを見て参考にしてもらったらよろしいかと思いますね。でね、この田中さんが描いたのはブタさんの貯金箱。これ初めて描いた絵手紙だそうですね(と言って作品を見せる)。「はじめて絵てがみかきました! すっとんきょうなブタくん」と言葉が添えてあります。それで私がですね、「あぁ、良い色が出てますね」と良いところを褒めてあげたんですね。そうしたらすごくうれしかったようで、この初めての絵手紙制作を通して、次のようなことを田中さんは気づいたんですね。

 絵を描いている時は今に集中して、ほんとに今を生きている。頭の中を過去や未来が占めるのではなく、今、その今を生きている。頭の中ですごい切り替えが行われたと思う。そして自分でも全く描けないわけではなく、描けるということが分かった。

 素晴らしいことに気づかれたでしょう。それがね、田中さんの中で大きな自信になって、今や青森教区の教化部長として、自分が描けるようになった喜びがあるもんですから、教区の信徒の皆さんに絵を描く喜びを伝えておられるんです。それで、先日もこういう皆さんに集まって絵を描いてもらったら、こんなステキな絵手紙が描けましたということで、ご自身のブログで参加者の絵手紙をされて、今、青森教区で絵手紙を描く人が増えてきてるということを知りました。

 ですから私は田中さんが喜んで絵手紙を描き、「どなたでも描けますよ」と絵手紙の輪を広げておられる姿を見た時にですね、私自身は小さなころから絵は好きだったけれども、絵が苦手だと思ってる人も、絵手紙を描くことがきっかけで絵を描く喜びを感じることができると改めて気づかされました。

 そして田中さんは直接私に言ってくださったことがあります。「今までだったら落ち葉なんか踏んで歩くもんだと思ってたけれども、今はそれを拾ってその美しさを眺めて、それを絵を描く事ができるようになった」と。ずいぶん大きな変化ですよね。「踏む物」と見ていたものから「美を愛でる対象」への変化です。そういう変化が起こってきて、見える世界が変わってきた。ほんとにそういう自然の美しさを感じたりできる感動ある日々を送ることができるようになったということなんですね。
(つづく)

小関 隆史

2009年10月1日

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2009年9月30日 (水)

「第10回絵手紙・絵封筒を描こう!」における講話(3) ~感じたままを素直に表現する

感じたままを素直に表現する

 感動ある生活を送るための第1番目に大切なことは、感覚優先モードに切り替える事。第2番目に何が大事かというと、「感じたままをそのまま素直に表現する」こと。これが実は、絵手紙を描くコツでもあるんです。「感じたままをそのまま素直に表現する」っていうことがすごく大事なんですね。
 これに関する部分が説かれたところを紹介します。テキスト『自然と芸術について』の47ページをちょっとお開きいただけますか? 『新版 幸福生活論』をお持ちの方は318ページに書いてありますね。「いのちといのちと触れ合っていのちを表現したのが芸術である」って言うことですね。その真ん中辺のところを読みます。

 そういう具合に、いのちといのちと触れ合って、いのちを表現したのが芸術である。先ず芸術家が無我になって対象に対して自分のいのちを投げかける。そして対象のいのちと一つになって対象のいのちを自己に摂取してそれを表現するのである。(『自然と芸術について』47ページ)

 これはどういう事かと言いますとね、私が今日持ってきました「カラスウリ」。面白いでしょ、このカラスウリ。これは、私の同僚の方が趣味で農園をされてるんですけれども、草刈りをしていてこのカラスウリを発見して、そのまま捨てるんじゃなくて、「小関さんに持っていったら絵手紙描くんじゃないかな」と思って職場に持ってきてくれたんです。それで、これを見てたらですね、同じカラスウリの実でも色が違ってね、両方きれいでしょう? 緑の実は緑の美しさがあり、このオレンジ色の実は、オレンジの美しさがあって互いに引き立てあってますよね。これを見て、「ああ、きれいだなぁ」って感じるわけです。このいのちが。このカラスウリのいのち、カラスウリのいのちは、いわばここに現れているわけですよね。その現れているカラスウリのいのちを私が「ああ、きれいだな」と思うことによって、私のいのちがカラスウリのいのちと触れ合ってるんです、ここで。感応しあってるんですね。そして「きれいだな」と私が思ったその思いを絵に描くとそのいのちが表現されることになる。そこに客観的にね。で、それを見た第三者が「小関さんはカラスウリのこういう色の対比を美しいと思ったんだな」と思って、絵手紙なんかをもらった人に私の感動が伝わるわけです。絵手紙を通して。

 それでここが大事なんですけども、じゃあ、普通のこういうビンとか、一見、死物――いのちが無いと見えるもの――に対してはどういう気持ちで描いたらいいか、ということもこの『自然と芸術について』には分かりやすく書いてあるんですね。今日は時間の関係でかいつまんで説明しますと、この容器だったら容器を作った人がいるわけです。設計した人がいる。それで、これはですね(と言って、踊るようなおどけたポーズをとった玩具の“仏像”を掲げる)、先日ちょっと子供たちと、遊園地に行った時にゲームをして入手した景品です。面白いでしょ、仏さんがなんかこんな風におどけてますけど、「つっこみ如来」って言う、これ懐中電灯なんです(笑い)。これ“意味優先”だったら懐中電灯なんてこんな形にデザインしませんよね。遊び心があるからこういう形してるんです。

 でね、やっぱりその物にもね、それぞれの作者のいのちが表現されてるっていうことがこのテキストに書かれてるんですね。それはどういう事かというと、このオリーブオイルのビンだったら、オリーブオイルらしい色をしてますでしょ? グリーンの濃い。そこにこういう反対色である赤い帯のラベルが貼ってあって、その上にはオリーブオイルのイラストが白地に深いグリーン色で描いてあって、なんかステキじゃないですか。一目見て、「ああ、いいなぁ」と僕は思ったんです。家の食器棚にあったんですけれども。そうした時に、作者のいのちと私のいのちがここで触れ合う。そういうことなんです。
 こちらの仏像型懐中電灯は、これを企画・デザインした「みうらじゅん」っていうタレントさんと私のいのちが、私が「あぁ、おもしろいな」と思うことで触れ合ってるんです。それを感じたままをそのまま素直に表現すればいいんですね。絵手紙や絵封筒で。
 今日は、私が後ろに用意した、落ち葉や花、置物などの中から、皆さんが気に入ったモチーフを選んでいただいて、絵を通して感動を表現していただきたいと思っております。
(つづく)

小関 隆史

2009年9月30日

【参考資料(テキスト)】
『自然と芸術について』(谷口雅宣著、生長の家刊)

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2009年9月28日 (月)

「第10回絵手紙・絵封筒を描こう!」における講話(2) ~感動ある日々を送るためには?

感動ある日々を送るためには?

 それでは、次に、どうすれば感動ある日々を送れるようになるのか、というポイントをお話ししていきたいと思います。
 もうすでにここにいらっしゃる方の中には、「日々感動している」という方も多いと思うんですけれども、「感動したいんだけれども、なかなか感動できず平々凡々な日々を送ってしまっている」という方も世の中にはいらっしゃるわけなんです。
 まず、感動できるきっかけは、“感覚優先モード”になる必要があるんですね。
 で、これは、生長の家総裁・谷口雅宣先生が常々ご指導くださっている事なんですけれども、この人間の脳――脳の話を簡単にしますね――ごくごく単純に脳を図に描くと、正面から見たらこんな感じで、こっちが左脳ですよ。左にありますからね。こっちが右脳。右側にある脳ですね。これはですね。左脳というのは、「論理的」。これは、こういう意味があって、こうするんですよ、というように論理的に判断する脳。それに対して、右脳は「感覚的」。「この落ち葉、きれいだな!」とかね、そういう感性を司る脳なんですね。で、双方には、メリットとデメリットがあるんですね。左脳のいいところ、メリットはですね。いろんな判断ができる。これは自分にとって必要か、必要でないかとか、それぞれに意味づけをしたりできる。そうすることによって「効率的な生活」ができるわけです。例えば、真っ赤なリンゴを見てもね、「ああ、そろそろ熟してきているな」とか判断できるわけです、色を見て。一方、デメリットもあるんですね。全部、意味とか目的ばかりを優先に生活してしまうと、例えば、家から最寄り駅まで行く際、「駅に行く」という目的を持って歩くわけです。すると、その目的ばかりにとらわれていると、道中にどんなに美しい風景があったとしても、それに気づかなかったりする。そういう「意味優先」、「目的優先」に偏ってしまうと、「潤いがない生活」になってします。
 ところが、この右脳の場合のメリットは、感覚器官を司りますから、感動があるわけです。花を見て「きれいだな!」とか、そういう感覚器官を通して感動を得ることができる。じゃあデメリットはどうなのかというと、いわゆる感覚にばかり流されてしまうと、日常生活に支障が出たりする。日常生活が滞ったりする。
 例えば、今朝、おもしろいことがありました。「今日は皆さんと一緒に何を描こうかな?」と思って、家から最寄り駅までの間で、ちょうど今、桜の落ち葉がきれいなんです。私の家の前には、桜並木がずっと続いている。今朝、まず目に付いたのは、桜の落ち葉。すごくきれいでしょ(と、参加者に落ち葉を見せる)。黄色から緑に変わるグラデーションがなんともいえない美しい色です。それから、家から駅までずっと25分くらいあるんですけれども、ずっと下を向きながら歩いていたんです(笑い)。いつもは、前向きに生きているんですよ(笑い)。でも、今日は下向きに生きてたんですけれど。そして、途中で武蔵台公園の中を通ったら、ドングリの実が落ちていたんです。ドングリもまたかわいいな、と思って、また下を向いて実を拾いながら歩いていたんです。そしたら、気がついたら、全然、駅と違った方向に向かって歩いていたんです(笑い)。これがデメリットです。日常生活に支障が出るんです、感覚にばかり流されちゃうと、気がつけば方向違いの方に行ったりする。「ああ、そうか、これが右脳に偏るデメリットだな」と今朝は再確認しました。
 それで、じゃあ、その辺のことがテキストにどのように書かれているかというと、42ページの最初から3行目ね、ちょっと読みますね。

  普段我々は、多くの場合、物事に名前をつけて、それで事足れりとしている。

  これは左脳がやっていることです(論理を司る脳)。名前をつけるということは、言語を操作して、物事に意味を与えるということで、左脳はそれで事足れりとしている。

  あそこにミカンがあり、テレビがあり、テーブルがあり、電話が鳴っている――という程度の認識しかしていない。そこに置いてあるミカンの表面の滑らかな曲線や、艶やかで弾力のある皮の質感、手に取った時の心地よい重さ、鼻を近づけると分かるあの甘酸っぱい香りなどは一切無視して、「あ、ミカンだ」と対象に名前を貼りつけて、すぐに別の対象に注意を移していく。                (同書42ページ)

 というふうにね、皆さん、普段ね。私たちは日常生活の中で、いろんな周りのものに接している中で、「あっ、カボチャがある」と見て、今日の食材はね、これの「煮物にしようかな?」とか、そういうように考えるかも知れないけれども、まじまじとですね、カボチャを手にとって、この模様のね、なんともいえない美しさを味わうということは、なかなか普通の方はできないですよね。それは、ついついモノに名前をつけて、これはこういう意味なんだと、この左脳だけを使ってしまっている傾向があるんじゃないか、ということなんですね。
 で、43頁の終わりから7行目をちょっと読みますね。

 普段から「忙しい、忙しい」という心で生活している人にとっては、そうしないと(さっき、みたいに意味づけをしないとですね)会社や子供の学校に行く時間に遅れてしまうのでしょうから、無理のない面もあります。しかし、そのために分刻みで効率のいい生き方を左脳を使って行っても、それをやればやるほど、右脳の方がおろそかになる危険性がある。

 っていうことなんですね。
 ですから、谷口雅宣先生は、現代人の生活が、皆さんそれぞれ、右脳も左脳も持っているんですけれども、忙しい人なんか特に左脳に偏りがちじゃないでしょうか、もっと右脳の方を、感覚的な面を開発していくことで、左右バランス良く使っていく、これが大事なのだと。左脳は左脳としての役割がありますから、これも大事です。私みたいにね、ドングリを拾っていて、あらぬ方向に行っては生活できませんから。左脳も大事にしながら右脳も働かせる、左右の脳をバランス良く働かせた生き方をしていきましょうっていうことなんです。これが、私たちが豊かに感動ある日々を送る大きなコツというかポイントなんですね。
 そうして皆さんが、今まで活用してこなかったかも知れない右脳を開発していく時にですね。どうしたらいいか、ということが次に書かれているんですね。 
(つづく)

小関 隆史

2009年9月27日

【参考資料(テキスト)】
『自然と芸術について』(谷口雅宣著、生長の家刊)

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2009年9月27日 (日)

「第10回絵手紙・絵封筒を描こう!」における講話(1) ~導入

 感動を絵に

 皆さん、ありがとうございます。
 今日は、「第10回絵手紙・絵封筒を描こう!」ということで――私の聖典講義の時は、最近は皆さんと一緒に絵手紙または絵封筒を描きながらですね、日時計主義の生き方を実際に皆さんと体験しましょう、というような時間とさせていただいています。
  今日は、生長の家総裁・谷口雅宣先生の『自然と芸術について』という本をテキストに進めさせていただきます。
 最初に導入のお話をします。
 今日は、後ろのテーブルに「秋らしいもの」として、おイモさんとか、その辺に落ちていた桜の落ち葉、ドングリの実とかいろいろと持ってきましたけれども、そういったものの絵を描くことを通して、皆さんには、まず、その物を見て感動していただいて、それを表現していただきたいなぁ、と思っています。
 その感動というものはですね、感謝の心につながっていきますので、私たちの生活も日々感動することによって、豊かな生き甲斐のある人生を歩んでいけるということになっておりますので、そういう点で、生長の家が提唱しています「日時計主義の生き方」にですね、絵を描くことはつながっていくんだ、ということでございますので、その辺をご理解いただければと思います。

 前のスクリーンに、私が日々書いております、インターネットのブログ――インターネットをされている方はご存じだと思うんですけれども――「絵を描く喜び ~アトリエTK」という名前で、私はほぼ毎日、いろんな事を文書にしたり、絵に表現したりして、このブログにアップしてるんですね。
 Tk_works01 これは、今年の9月19日にアップした絵なんですが、私は家族――妻1人と子供が4人おりまして――まぁ、妻1人は当たり前なんですがね(笑い)、まぁ子供が4人おりまして、休みの日はだいたい子供を連れて遊びに行ったりとかするので、一人でフリーで出かけることはまずないんです。ところが、今年7月に妻と子供たちが夏休みを利用して、「北海道に行きたい」ということでですね、私は「どうぞ、どうぞ」ということで、妻と子供たちには北海道に3泊4日で行ってもらいまして、家族が北海道に行っていない間に、ちょうど私も2日間だけ連休がとれましてね。「僕はじゃあ単独でスケッチに行きますわ!」というわけで、奈良県の方にスケッチ旅行に行ってきたんですね。そのときに描いた絵がこの3つの絵なんですね。いいところでしょ、なかなか。曽爾村というところでねTk_works03、これは池なんですけれども、湿原のような感じになっていて葦(あし)がずっと生えているんですね。そういうところに行って、 こういう茅葺き屋根の民家などもあってね、「ああ美しいなぁ」と思って絵に描いたんですけれども、これは曽爾川といって、水のきれいな川があって、そこに架かっている葛橋(かずらばし)を渡っていて、ふと川の下を見ると、川の中に青空が見えたんですね。皆さん、川は普通、川底が見えたりTk_works02_3ね、魚が見えたりしますけど、なかなか川の中に青空って見えないですね。ところが水がすごく美しくて、ちょうどその時、天気が良かったから、まるで鏡のように水の面にですね、 こういう青空が浮かんでいた。それに非常に心打たれたんですね。で、それを元に私は、第31回生光展(会期:2009年10月12日~18日)に出品する『曽爾川に生える』(20号)という絵を描いたんですね。これはアクリル絵の具で描いたんですけれども。
  私は、さきほど、「川に映った青空に非常に感動した」と言いましたけれども。
 と同時に、その2日間というのは、関西地方に大雨の予報が出ていたんですよ。それで、出発前から雨を覚悟して、リュックサックの雨よけのためにカバーを新たに購入するなど、Tkworks090906 入念な雨対策を行っていたんです。雨でもかまわない、今しか行くチャンスはないと。ところが、雨の予報は見事にくつがえって、カラッと晴れて――近畿地方の大部分は雨だったんですけれども――私がいた奈良県と三重県の県境だけは晴れていたんですよね。それで私は、その時思ったのは、「ああ、神様は私を祝福してくださっているな」って感じたんですよ。ただ単に風景を見た感動だけではなくて、「私は本当に神様に導かれ、護られているんだな。祝福されているんだな」っていう感動の気持ちを私は絵にさせていただいたんですね。ですから、私はこの絵を描きながら、ほんとに自分の感動を再確認させていただいたということなんですね。
 ですから、絵を描くということは、ただ単に物質的なものを見て描くというよりも、自分の感動した思いをキャンバスに表現する、ということが絵の魅力ではないかな、と思わせていただきました。
(つづく)

小関 隆史

2009年9月27日

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今日は日曜誌友会 ~私の講話準備ノート

Tks_note_090927 今日は午前10時から正午まで、生長の家本部会館で、「日曜大誌友会 ~第10回絵手紙・絵封筒を描こう!」を開催します。
 最初に30分ほどの講話をして、それから絵手紙・絵封筒の実習をします。
 今回のテキストは『自然と芸術について』(谷口雅宣著、生長の家刊)。私はいつも、左の写真のように頭の中にある「講話の流れ」と「ポイント」をA4の紙に手書きで記載します。今回は、右脳と左脳の働きも説明するつもりなので、板書する簡単なイラストも入れています。
 なぜパソコンに入力しないかというと、考えながら、文字やイラストで書くことでより頭に入りやすくなると思うからです。まだ途中段階のメモですが、この後、マーカーや赤ペンなどを使って、重要なポイントに印をつけたり、書き加えたりという作業が続きます。これを演壇の上に置いて、チラリと見ながら講話を進めます。
 今日は、「感動を描こう! ~感動は感謝のスイッチをONにする」というテーマでお話しするつもりです。
 感動を絵に描くことを通して、感謝の生活が送れるようになる――ことを体験を交えて説明できればと思います。
 
 私は、取材などで人の話を聞くのは得意ですが、話す方はそれほど得意ではないので、いつも講演や講話の前は緊張して、プレッシャーを感じます。今朝などは、夢の中に、脳の図が出てきて、それで誰かに説明していました。講話で何を話そうか、ここしばらく考えていたからでしょうね。プレッシャーなどを感じず、もっと自然体でいいと思うのですが…。まだまだ修行です。

 まぁ、そういった緊張も誌友会が始まるまで。スイッチが入れば、内から自然に言葉が出てくるものです。
 今日は、絵手紙や絵封筒が描けると知って参加される方、しかも初めてそれらに挑戦される方もおられるはず。

 「描くことって、こんなに楽しかったんだ」

 そう思っていただけるような楽しい2時間にしたいと思います。

 小関 隆史

 2009年9月27日

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