『アルケミスト――夢を旅した少年』(パウロ・コエーリョ著、山川紘矢+山川亜希子訳、角川文庫、本体552円、平成9年初版、20年31版)
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一人の羊飼いの少年が、夢に従って旅をしながら自己の内面と対話し、ついに大切な“宝物”を見つける童話風のお話。
主人公のサンチャゴ少年は、羊を伴っての旅の途中で朽ち果てた教会にたどりつき、眠っている間に、見知らぬ子供が手を引いてピラミッドへ連れていき、“ここにくれば宝物が見つかるよ”と少年に告げる――という印象的な夢を2度見る。
その後、占い師の老婆から「その夢は神のお告げ」と説明されるも信じられなかった少年だが、ひょんなことから不思議な話をする老人(実は賢者の王様だったのだが)と出合ったことで心が動き、エジプトに向かう。
その旅の途中で、泥棒の少年、イスラームを信仰する商人、らくだ使い、錬金術師、心惹かれる娘――こういったさまざまな人と出合うなかで、サンチャゴ少年は人生に関する学びを深めていく。
そして、ラストで待ち受ける「宝物」をめぐる思いがけない展開――。
読み進むうちに、少年と自分が一緒に旅をしているような気になり、登場人物が語る真理の言葉が胸に響く。そして、内心を見つめ直している自分に気付いた。
例えば、文中のこんな言葉が響いた。
「私は食べている時は、食べることしか考えません。もし私が行進していたら、行進することだけに集中します。(中略)私は今だけにしか興味を持っていません。もし常に今に集中していれば幸せになれます。砂漠には人生があり、空には星があり、部族の男たちは人間だから戦う、ということがわかるでしょう。(中略)人生は、今私たちが生きているこの瞬間だからです」(らくだ使いの言葉、100頁から101頁)
「どうやって未来を推測するのかだって? それは現在現われている前兆をもとに見るのだ。秘密は現在に、ここにある。もしおまえが、現在によく注意していれば、おまえは現在をもっと良くすることができる。そして、おまえが現在を良くしさえすれば、将来起こってくることも良くなるのだ。未来のことなど忘れてしまいなさい。そして、神様は神の子を愛していると信頼して、毎日を神様の教えにそって生きるがよい。毎日の中に永遠があるのだ」(千里眼(棒占い師)の言葉、122頁)
「人が本当に何かを望む時、全宇宙が協力して、夢を実現するのを助けるのだ」(錬金術師の言葉、136頁)
「賢人は、この自然の世界は単なるまぼろしで、天国の写しにすぎないと言っている。この世が存在しているということは、ただ単に、完全なる世界が存在するという証拠にすぎないのだ。目に見えるものを通して、人間が霊的な教えと神の知恵のすばらしさを理解するために、神はこの世界を作られたのだ。それが、行動を通して学ぶとわしが言ったことなのだよ」(錬金術師の言葉、150頁)
こうした学びを得て、サンチャゴ少年は、物語のラストに近づく時、砂漠や風、太陽などの大自然と心の中で対話ができるようになっていく、そしてやがて、少年は自分自身の心の底からの「真実の願い」を発見する。
この物語では、「前兆」という言葉が頻繁に登場する。ようするに、自分の身の回りのものが発する「無言の言葉」から、何か大切なメッセージを感じ取るということだ。
この「前兆」というのは、実は私たちが普段気付かないだけであって、「見る目」や、感じ取れる「感覚」をもてば、必ず見出せるのではないかと思えてきた。
それは、ひょっとしたら、道端に咲く一輪の花の中にも、隠されているかも知れないのだ。私は、この物語の奥底に流れているのは、「すべては“いのち”の世界において一体」という世界観だと思った。すべては一体だから、砂漠や風や太陽を見ても、その発するメッセージを受け取ることができる。
本書を読み終わった昨日、私は1歳半になるわが子・晃を連れて、公園へと向かった。その道中、わが子の様子を見ていると、実におもしろいことに気付いた。彼は、「感覚の世界に生きている」と思ったのである。
一足一足、アスファルトの地面を踏みしめ、道路端の段差に置かれた鉄板の上で足踏みして音を楽しむ。他人の家であろうとお構いなしに近づいていき、ドアノブを回す。モルタルの壁面の感触を味わうように手でさわる……等々。わずか、100メートルの距離を進む間にも、実に目に見えるもの、手に触れるものを、「感覚」しているのだ。
そんな彼は何を私に伝えているのか――。それはもちろん、先入観を捨てて、裸の目で外界を見ることの大切さだろう。それができれば、実にもっともっと今まで気付かなかった豊かな情報が私の中に入ってくるだろう。
この日の夕方、自転車でスケッチの題材を求めて出かけると、ちょうど頃合いのベンチが遊歩道脇にあるのに気付いて、そこに腰掛けた。
目の前には、鬱蒼とした木々に囲まれた公園が広がる。木々の隙間から、ピンクや黄色の原色に彩られた遊具が見える。耳を澄ますと、たくさんの鳥がさえずる声がこだまする。
私は、そんな目に見え、耳に聞こえてくるものを、絵に描きたいと思った。
はたして、生まれて初めて、屋外で描いた抽象画が1枚出来上がったのである(右)。
小関 隆史(TK)
2008年5月28日
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