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2008年7月 3日 (木)

第2回「絵手紙を描こう!」における講話(1) ~日時計主義の生活とは

 去る6月1日(日)に開催しました「日曜大誌友会」における第2回「絵手紙を描こう!」の中での講話を筆録したものに若干の修正を加えた文章を掲載させていただきます。
 長文になりますので、何回かに分けて掲載します。 小関 隆史

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 皆さま、ありがとうございます。
 本日は第2回目の「絵手紙を描こう!」というテーマで日曜大誌友会を開催させていただきます。
 まず本日の簡単なプログラムの説明をさせていただきます。最初に30分ほど、私の方から「なぜ絵手紙を描くのか」ということについてお話をさせていただきまして、その後、絵手紙の実修を皆さんと一緒に、40分くらいですね、させていただいて、最後の20分間で神想観(※)を実修させていただいて、正午に終了とさせていただきたいと思っております。 (※  生長の家独得の座禅的瞑想法)
 皆さん、左手の窓際の方をご覧いただけますか? たくさんの花を今日は用意させていただきました。今日は皆さんと花を一緒に描いてみたいと思っています。前回は皆さんだけでしたが、今回は私も皆さんと一緒に絵手紙をこの場で描きたいと思いますので、興味のある方は私が描くところを見学していただければと思っております。
 先ほど司会からお話がありましたように、本日は生長の家副総裁・谷口雅宣先生の『太陽はいつも輝いている ――私の日時計主義実験録』という本をテキストとして使わせていただきたいと思います。それと、サブテキストとしてこの『聖経版 真理の吟唱』(谷口雅春先生著)も使わせていただきたいと思っております。また、時間があれば私が監修した『光のギャラリー 絵手紙はWebにのって』にも絵手紙等が載っておりまして、こちらも使いたいと思っています。

日時計主義とは?

 最初に、「日時計主義とは?」というテーマでお話をさせていただきたいと思いますけれども、前方のスクリーンに、「日時計主義とは、人生の“明るい面”に心の焦点を合わせた生き方である」という文字が出てきましたけれども、テキストの25頁を開いていただきたいと思います。25頁の真ん中辺に小見出し「日時計主義に必要な心」というところがございますので、そこから読ませていただきます。

 前著で詳しく述べたように、日時計主義とは、人生の“明るい面”に心の焦点を合わせた生き方である。日常生活の中で楽しいこと、明るいこと、感謝すべきこと、教えられること等に注目し、それを心に強く印象づけることで、「唯心所現」の原理を発動し、実際の生活を明るく、豊かで、感謝に満ちたものに変革する生き方であり、生活実践である。だから、単に理論や主義主張を訴えるだけでなく、日常の生活で具体的な行動を起こすことが重要である。

 というふうにございまして、簡単に言いましたら、前のスクリーンに出ておりますように、人生にはいろんな出来事がございますけれども、そういう出来事の中の明るい面に心の焦点――そこを心に印象づけて、自分自身も明るい気持ちで生きていくというのが「日時計主義」ということなんですね。
 つづいて、25頁の終わりから1行目のところを読ませていただきます。

まず、人生の光明面を発見し、それを具体的に記録することから始めよう。

 具体的にどのように心の焦点を合わせていくか、というところがですね、次に書いてあるんですけれども、そこを紹介させていただきたいと思います。

物事を心に強く印象づけるためには、単に心に留めるよりは、体を動かしてペンを持ち、ノートや日記帳を開き、そこに文章で記録する方法が有効である。

 例えばですね、今生長の家ではこういう『日時計日記』(谷口純子先生監修、生長の家刊)というものが発売されておりまして、これは毎日の生活の中で、良かったこと、楽しかったこととか、そういうことを、例えば夜寝る前に思い出して書く、あるいは朝目覚めた時にですね、どういう一日であって欲しいか、いうような思いを記すわけですね。
 例えば私、今日でしたら、こういうことをお祈りさせていただきました。「神様すでに本日の日曜誌友会が御心のごとく進行し、大きな実りが得られましたことを感謝申し上げます」。で、夜にですね、その結果、どうだったかということで「皆さんに大変喜んでいただけた」とか、「私自身も今日の誌友会でお話しすることによっていろんな気づきが得られた」とか、「ありがとうございます」と書くわけですね。
 そうしていったらですね、一日一日が「ほんとに神様に導かれているな」とか、「あっ、いろんな方の恵みで、あるいは助けで自分の今日の一日があったんだな」とか、そういう感謝の気持ちが起こってくるわけです。そういうことが、先ほど読んだところにありました「心の焦点を明るい面に合わせる」ということなんですね。
 で、26頁の2行目の終わりから読ませていただきます。

また、それを(そういう明るい出来事をですね)小説や戯曲、ブログの形で表現する

 ブログというのはインターネット上で誰もが見られる公開日記のようなウェブサイトです。そういうところで、明るい出来事を書いていくと世の中のいろんな人が見て、見た人が、読んだ人が明るくなる。そういう表現もできるし、

ものを書くのが苦手ならば、声を出して「ありがとう」「うれしい」「楽しい」「おいしい」「すばらしい」と言ってみよう。

 まあ、ご家庭を持っていらっしゃる方は、料理を作ってくれた奥様に、「おいしいね」と言ったりですね。あるいは、ご主人なり、家族が働いてくれていたら、「お疲れさま。あなたがいてくれるから、私たち生活できるのね」などと感謝の言葉を述べたりですね。「お父さん、お母さんがいてくれるから、自分はこの生命をいただきまして、ありがとうございます」と、そういうように両親に感謝の気持ちを言葉で表すとか、そういうことでもいいんですね。

さらにそれに表情や動作を加えれば、人々に伝わる明るさは倍加するに違いない。

 このご文章の後にですね、例えば詩をつくったり、俳句や短歌を詠んだり、写真やイラスト、絵画、音声、映像、音楽、彫刻…等々。まあ、いろんな表現ができると紹介されています。本日は絵手紙を描きますけれども、絵手紙に限定することなく、そういう美しいものとか、楽しいことを表現するってことが、日時計主義を生きる時にですね、大切なんですよ、ということなんですね。

 画面が変わりました。先ほど、日時計っていうのは、明るい面に心の焦点を合わせるって言いましたけれども、それはなぜなのかというと――「唯心所現」という文字がスクリーンに出てきました――これは「心で認めたものが現れる」という意味の真理なんですけれど、この世の法則で、「心で認めたものが、私たちの周囲に現れてくる」という法則があるんですね。ですから、明るいものを心で認めれば、ますます明るいものが、周囲に展開してくる。自分も健康になるし、周囲にも明るい出来事が増えてくる。
 こういう言葉を皆さん聞いたことはありませんか?
 喜べば 喜びごとが喜んで 喜び集めて 喜びに来る

 そういうふうに、自分がまず喜べば、それに波長が合った「喜びごと」が、喜んで自分に近づいてくる。そして、私自身もますます喜びが出てくる。そういう好循環、喜びが喜びを生み出していくという、そういうのが人生に出てくるわけですね。
 それは、同時に「唯神実相」という、これも生長の家の根本真理なんですけれども、神が創造された本当の世界は善一元である、このことも日時計主義の生き方の大きな柱になっているんですね。
 ですから、ただ単に明るい物事を見ていくという上っ面(つら)の明るさではなくて、物事の奥にある、例えば一見マイナスなり、欠点と見える奥に、すばらしさを見出していくということもまた、日時計主義の生き方なんですね。
 例えば、もし家族なり同僚が機嫌が悪そうに見えたとしますよ。ぱっと見て、「ああ、なんか今日は機嫌が悪そうだな」と。そうしたら、表面的には「機嫌が悪い」というのは、いわば「悪」ですね、良い悪いでいえば「悪」に見えるわけです。しかし、そこで日時計主義を生きる私たちは、「なぜ、そう見えるんだろうか?」とふっと思うわけですね。そうしたら、そういう不機嫌そうに見える奥にある、その人の心はどういうものなのかな、ひょっとしたら、その人に何か事情があって今日は気分が悪いのかもしれないっていうふうに相手の立場に立って見た時にですね、ちょっと自分が一呼吸おいて冷静になれるわけですよ。さらに、「彼も神の子だから本当は素晴らしいんだ」という思いで見直すとですね、その人に対する接し方も変わってくるわけです。ただ単に、「腹を立てているなぁ」という目で相手を見ると、なんか話しかけにくくなったりしますけれども、そういう表面的なものにとらわれずに、その奥を見つめて、相手を思いやって、そして、神の子として尊んで普通に接していくと、意外と相手もこちらの思いが映ってですね、和やかに会話ができるようになったりすることがあるんですね。
 そういうように、ただ単に物事の、誰が見ても良いと思うことを認めるというだけではなくて、一見悪く見えるものの奥にもですね、実は素晴らしいものがあるというように、ものの奥を見つめていく生き方、それが日時計主義でもあるわけなんですね。

 ちょっとここで、まとめてみますと、日時計主義というのは、先ほど説明しました「唯心所現」と「唯神実相」という2つの宗教的原理、これは生長の家の教えですけれども、その根本的な教えに基づいた生活実践であります。ということですから、私たちが生長の家の生活をしていく上で大切にしたい生き方であります。(つづく)

小関 隆史(TK)

 2008年7月3日

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