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2011年3月 8日 (火)

岡本太郎著『今日の芸術』を読んで(2)

絵はすべての人の創るもの

 岡本太郎氏は、「見るということ自体に、あなた自身が創るというけはいがなければならない。この二つはそれぞれけっして離すことのできないものなのです」と言う。つまり、「創ることと、味わうこと、つまり芸術創造と鑑賞というものは、かならずしも別のことがらではない」ということ。

 こんな提起をしてから、岡本氏は、概略、次のように説明する。
 人は、ある絵の前に立って鑑賞する時、目の前のキャンバス、目に映っている対象を見ていると思いながら、実は「見たいとのぞんでいるもの」を、心の中に見つめている。それはイマジネーション(想像)によって、自分が創りあげた世界。だから、10人が一つの絵を鑑賞していたとすると、10人の心に映る絵の姿は、それぞれ異なる。同様に「この作品が好きだ」と言っても、「その好き方」もさまざまだ。見る人数だけ無数の作品となって、それぞれの心の中に描きあげられたことになる。さらに、それは、心の中でその精神の力によってつねに変貌し創られつつある。この単数でありながら無限の複数であるところに芸術の生命がある。

 以上のような岡本氏の言説を読んで、なるほどと私は合点がいった。生長の家でも、「外界は内界の現れ」であり、「一人一人が見る世界は、その人自身の心がつくっている」と説いている。また、絵画作品は画家の生命(いのち)の表現だから、鑑賞者は作品を見ることを通して、作者の生命と触れ合っているとも言える。だから当然、鑑賞者の内面的な変化が、絵の見方にも影響を与えることになるだろう。岡本氏が、「精神の力によってつねに変貌し創られつつある」ということは、そういうことだろうと思う。

 私たちは、通常、芸術鑑賞をする際に、何かすでに出来上がったものを受け取る(感じる)だけのように考えてはいないだろうか? 「何が描いてあるか分からない」という理由から作品を遠ざけるのではなく、一歩近づいて、作者が描こうとしたものは何かを想像しながら、自分なりのイメージを膨らませること、その時に自己の内に新たな価値が創造される。それは自分自身の心の器を広げる営みにもなるのではないだろうか。鑑賞(味わう)とは創造の喜びでもあること、岡本氏はそう教えてくれている。(つづく)

小関 隆史

2011年3月8日


【参考資料】
○『今日の芸術』(岡本太郎著、光文社刊)光文社知恵の森文庫
 ※初版は1954年

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