わんだふるわーるど(60) 病の中で輝く
8月28日の『讀賣新聞』朝刊の「認知症と向き合う」のコラムに、心惹かれた。タイトルは「輝き続ける文才」。認知症の専門医である木之下徹氏の文章だ。曰く、「認知症になると頭が悪くなると思っている方がおられるかもしれませんが、想像に反して、優れた文才のある人は認知症になっても優れた文章を書き続けるというのが私の実感です。たとえ、誤字脱字が増えても、文章の基本構造が崩れてきたとしても、です」とあり、さらに、「認知症を抱えることにより、一層、輝くような文章を書かれる方もいます」という例も。禍(わざわい)を転じて福と為す、という諺があるが、これは、まさしくそれを地でいく例だと思う。
認知症に限らず、病気や障害、困難な状況…等々は、誰の身にも起こり得ることだ。そうした時の受け止め方、これはとても大事だ。そのことを受け入れるまでに、時間がかかる時もある。人間の弱い面が、突きつけられた現実を「受け入れたくない」と思ってしまうから。その思いの根底には、今直面した問題というよりも、来るべき将来のことを自分なりに想像(心配)し、恐怖心を抱いてしまうことがあると思う。
木之下さんも、先の原稿の中で、「認知症になると、自分が壊れてしまうという絶望感に襲われがちです。(中略)文章の例で示したように、すべてできなくなるわけではありません。最期まで、自分が人生の主人公のままで生きていけるように、人生のごく普通の一つの過程として受け止められるような世の中になるとよいなあと思います」と書かれている。
この考え方に私も賛成だ。
人間というのは、素晴らしい潜在能力を持っていて、この体にしても、私たちが気づかないところで、足らざるところを補い合って、実にうまく生命体としての活動を支えている。だからこそ、病気や障害をもっても、素晴らしい能力を発揮できるのだ。
かつて、全盲のイラストレーターのエムナマエさんは、言っていた。目が見えなくなってから、心の眼で色鮮やかな映像が見えるようになった、と。実際、やなせたかしさんは、「目が見えていた時よりも、絵がシンプルで良くなった」という主旨のことをエムさんとの対談で語っていた。
何があっても、必ず良くなる。良くなるしかない。その思いが、現実の人生を“そのように”創造していく。マイナスをプラスに変える力が人間にはある。
もっと言えば、マイナスというのは、そう見えるだけで本当にはない。要は、私たちが、その物事をプラスと捉えられるかどうかだ。人は、人生という舞台でさまざまな経験を通して、それらを学び、いつしかアクシデントや不測の事柄をもろともしない“主人公”として成長していくのだろう。
小関 隆史
2011年8月31日
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