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2014年9月26日 (金)

自分は何者であるか

【今朝のごあいさつ 〜2014年9月26日】

 
 おはようございます。
 今朝は、生きる上での根本的なことをお話します。
 昨日は、「自分を信じる」というテーマでお話しましたが、その前提として、「自分の本質とは何か?」という問いに答えなければならないと思いました。それは、どうしても避けて通れない根本的な部分です。
 結論から言いますと、私は、自分の本質を、無限の可能性を持つ神聖な存在だと信じています。神、仏、あるいは宇宙の大生命…と、人によって呼称は異なるかも知れませんが、そういった大いなる存在、エネルギーと、ひとつながりの生命こそ、自分自身の本質だと思っているのです。
 自分をそんな“高み”に上げるとは、なんて不遜な! と非難されるかも知れませんが、この現れの身である肉体の自分自身ではなく、その奥にある本質こそが、神聖性を備えた尊い存在であると信じているのです。ですから、生身の私は、いろいろ悩むこともありますし、課題に直面してオロオロすることもあります。完全、完璧とはずいぶんかけ離れています。
 でも、私が「自分を信じる」という場合の「自分」とは、そんなオロオロする自分ではなく、何があっても動じない「不動の自分」、一切は自分の責任であり、自分が変われば世界が変わるという「一切者の自覚を持つ自分」を指しています。ようするに、大いなるエネルギーと直結した自分なのです。私のすべての力の源泉はそこにあり、その深い意識の中では、すべての存在とつながっていると信じているのです。
 人生には何度か転機が訪れると思いますが、私の最初の転機は、中学2年生の時でした。親に勧められて中学生を対象とした生長の家の練成会に参加したのがきっかけです。あまり深く考えず、気軽な旅行気分で2泊3日の合宿に参加したのですが、そこで、「人間の本質は無限の可能性をもつ神の子である」と教えられ、ズシーンと胸に響きました。本当の自分がそんな素晴らしい存在だと分かったことが、もう、うれしくて、うれしくて、帰りの電車の中では、見るものすべてが輝いて見えました。向かいの席に座るおじさん、おばさんさえも、他人には思えず、話しかけたくなりました。自分を生んでくれた両親にも心から感謝の思いがわいてきて、帰宅してから、「ありがとう」と告げました。
 それからですね、私の人生が一変したのは。それまでは、落ち着きのない、友達とけんかもする、勉強ギライの“ヤンチャ坊主”でしたが、やればできると分かって、家庭学習もするようになり、担任が「何かありましたか?」と、いい意味でびっくりするほど、生活態度が良くなりました。当然、成績も急上昇です。それがまた、自信につながりましたね。
 思い返すと、私の人生のベースは、この中学生時代に築かれたように思います。人間とはちっぽけな存在ではなく、無限の可能性をもつ大いなる存在である。すべての人とは、生命において、ひとつながりである。そうした私の信念は、中学時代からずっと変わりなく、今に続いています。
 今日も、長文を読んでいただき、ありがとうございました。
 皆さまにとっての今日が、かけがえのない、素晴らしいものでありますように。
 小関 隆史(TK)

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