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2015年2月28日 (土)

見えないものを描く 〜『等伯』を読んで(1)

【今朝のごあいさつ 〜2015年2月28日】

 見えないものを描く 〜『等伯』を読んで(1)
 おはようございます。
 『等伯』も第4章に入り、いよいよ面白くなってきました。
 どのような気持ちで絵を描いていたか、についての描写が出て来たからです。
 等伯が生きた戦国時代、「ご尊像」というものを僧侶が、絵師に描いてもらっていたのですね。
 自分自身の悟りの境涯をそのまま絵師に写し取ってもらうことで、後進の僧達の修行に益するためです。
 ただし、「写す」といっても簡単なものではありません。
 それは、写真のように表面を写すのではなく、目には見えない、僧の内面を描写するのですから。
 その点、等伯は造形感覚、色彩感覚に優れていただけでなく、人物を描く場合に、その人物の今だけでなく
内にはらんだ未来をも予見させるほどの深い描写力をもっていた、とこの小説では表現しています。
 曰く、教如という若い僧を描いたときの、描写は、
「若者の表情はもともと物足りないものだ。人生の試練に直面していない顔には、大人のように歳月が刻みつけた個性が表れないからである。
 しかし、その分若い可能性がある。手つかずの豊穣な大地のように先につながる未来の時間が眠っている。そこをとらえきれていないと、信春(のちの等伯)は頭をかかえた。
 この絵の中で今の教如は生きているが、未来を予見させるほどの深みと迫力に欠けていた。
 信春はじっと絵を見つめ、どうすればいいか考え込んだ。
 (中略)
 若者は未来の時間が多いだけ、死によって失うものが大きい。だから死に対する恐怖心が大人よりも強いのは当然である。それでもなお、教如は二年前から戦の渦中に身をおき、父とともに本願寺を守り抜こうとしている、
 この絵に欠けているのは、教如のそうした思いだった。死と向き合う不安と恐怖。それに打ち克とうとする信念と覚悟。
 それをとらえきれていないから、表情が内側から輝いてこないのである」(本書P185〜)
 こうした葛藤の後、等伯は、1枚の絵を描き直し、2日間昼夜ぶっ通しで描き上げた。
 そして、その絵は、自身も依頼者も驚くほどの出来映えとなった。
 こうした制作描写を読むと、無性に絵が描きたくなってきます。
 絵(人物画)というものは、こうして、1枚の作品で、実に深いものを表せる可能性をもつことに、感動を覚えるからです。
 さらに、本書を楽しみに読み進めたいと思います。
 今日も、お元気で!

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