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2015年2月14日 (土)

『魂にメスはいらない』を読んで(4) 自我と自己

【今朝のごあいさつ 〜2015年2月14日】

 おはようございます。
 今朝は、このシリーズの続きで、「自我と自己」について考えてみたいと思います。これは、創作活動を進める上でも、重要なテーマです。
 最初に、本書から、詩人の谷川俊太郎さんの言葉を紹介します。
 詩を書いている人間には、「文化的無意識」をも含む無意識の領域そのものに到達したいと思っている人が多いんじゃないかと思うんです。たとえば河合さん(河合隼雄氏)が患者の言うことを聞いている間は、一種創造的な退行状態(※)に入っている。それは、詩人が詩の行が出てくるのを待つ状態と非常によく似ているという気がしたんです。
 前にぼくが、詩のもとになるエネルギーを感情よりも感動と呼びたいと言ったのも、感動というものに到達するためには、一種退行した状態でポケッとしてないといけないようなところがある。そのポケッとしたときに、言ってみれば自我のレベルじゃなくて、自己のレベルで自由連想みたいなものがわりと行われている。そして一番深い自己につながるような言葉が出たときに、詩を書く人間としては一番満足するということなんですね。だから、インスピレーションという言葉はいまやもうはやらなくなっているんだけど、やっぱりぼくはインスピレーションというものがあるだろうと思うんです。(同書、P209)
 これに続いて、河合さんが、次のように語ります。
 ぼくも本当にそう思います。何か非常に深いところと瞬間的につながったという感じかな。自我と自己との間に一本の線がスッと引かれたというか、そういう感じですね。
 これに対して、谷川さんも、
 そうなんです。つまり、自我を抜きにした自己というのはあり得ないですね。実際に言葉を書くのはやっぱり自我のレベルの作業になってくるわけだから。(同書、P210)
 ここは非常におもしろいところですね。
 二人は、人間の表面に近い意識を「自我」とし、「自己」はもっと深い普遍性につながる意識として捉えているのです。
 そして、自分の表現が、深い部分の自己から出てきたときに、自分自身が感動する。これは、絵画や音楽などの芸術全般に共通していることだと思います。
 別の表現ですが、あの小林秀雄さんも、『ゴッホについて』の講演の中で、ゴッホが精神的な病(個性)と戦いながら、偉大な芸術を生み出したことについて言及しています。
 ここでの個性は「speciality」、特殊性です。もって生まれた特殊性やクセを乗り超えて、独創かつ普遍性のある表現を生み出すこと、そこに偉大な芸術家の努力があるのだと、指摘しています。
 私たちが、個性だからと自他を許しているのは、ひょっとしたら単なる自我やクセかもしれない。
 もちろん、自我もあっての人間だと思うのですが、やはり、狭い自我の殻(カラ)を破って、広げていく努力も、ある段階において必要になってくると思います。もともと人間の本質には普遍性があるのですから。
 ちょっと難しい話になってしまいました。つづきは、また、今度。
 今日も、お元気で!
※ここでは「創造的退行」をさす。ユングは「退行」を、心的エネルギーが自我から無意識の方に向うことと考え、創作過程にも生じるとした。
【参考資料】
○河合隼雄、谷川俊太郎共著『魂にメスはいらない [ユング心理学講義]』(朝日出版社刊、1979年)

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