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2015年3月15日 (日)

感謝と励ましを込めて 〜地元の中学校の卒業式に参列して(2)

【今朝のごあいさつ 〜2015年3月15日】
 おはようございます。
 長男の卒業式に、ぜひとも参列したかったのは、長男が昨年、4カ月ほど学校に登校できない時期があり、それを乗り越えて、3学期は1日も欠席せずに登校できたことへの「私の思い」を表現したかったからです。
 その「私の思い」というのは、一言では表現しにくいのですが、ねぎらい、讃嘆、感謝、激励などの気持ちが混ざったような内容です。
 そして、息子が心配をかけ、お世話になった、先生方に一言、感謝の気持ちを伝えたかったというのもあります。
 家族であっても、その胸のうちの深いところは、なかなかわからないものです。長男のことも、「学校に行けない」という特殊な事情が起こってきて初めて、身を乗り出したようなところがあります。
 どんな思いで、家族が引っ越して来て、どんな思いで日々を過ごしているのだろうかと、どれだけ心を配っていた私であったか。寄り添う気持ちでいられたかなど、反省することがたくさんありました。
 わが家には、学齢期の異なる4人の子供がおりますが、それぞれ状況が異なる中で引っ越し、環境が変わり、学校が変わったわけです。それを自分の身に置き換えて考えてみると、不安や期待など、少なからず緊張感をもって日々を過ごしていたことが想像できます。勇気もいったことでしょう。戸惑うことも多かったに違いありません。
 私は、先日の卒業式の後、長男のクラスの学級会に出席させていただき、1時間程度、担任教師と生徒たちの様子を見ることができました。
 最後の学活ということで、保護者も同席して、生徒全員から「1年を振り返って」という内容の発表がありました。担任教師との関係や個々のキャラクターも見えて、非常に興味深いものでした。
 その中に身をおいた時に、私なりに息子の立場を少し思いやることができました。それは、教育現場を知るという思いがけない貴重な機会でした。その場にいないと分からない、感じられないものがありました。それを知るのと知らないのでは、息子への接し方もまったく違っていたであろう、とも思いました。
 要するに、どれだけ子供(家族)に寄り添えるか、ということなんですね。
 対面することも大事ですが、同じ方向を見て寄り添うということ。難しいことかもしれませんが、同じ立場に立って、同じ風景を見ようと努力すること。それだけでも、当人にとっては大きな励ましや力となるに違いありません。
 最近、長男が、夜、私の帰宅時刻に合わせて、バス停まで迎えに来てくれることが何度かありました。まだ寒い日が続くというのに。176センチの大きな体の息子に迎えられるのは、少々不思議な感じで、気恥ずかしい思いもありますが、その態度や表情から、私の帰りを心待ちにしていたことがよく分かり、うれしいものです。
 自宅までのほんの2、3分、一緒に歩くだけですが、貴重な二人きりの時間となります。家にいるときよりも、息子が素直な感じがします。二人だけだから、素(す)を出しやすいのかも知れませんね。
 触れ合いというのは、時間の長さじゃないと思うのですね。たとえ、わずかな時間であっても、そこで確認し合えるものがある、培えるものがある。私はそう感じました。
 親というのは、子供のために、何をおいても大事にしなきゃいけないときがあると思うのですね。その覚悟が行動をうみ、道を切り開いていく。
 ここぞという時を見定め、勇気をもって行動できる私であるように、毎日の家族との触れ合いを大事にしていきたいと思います。
 今日も、お元気で!

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