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2015年3月14日 (土)

色の声を聴く 〜『生きる哲学』を読んで(5)

【今日のごあいさつ 〜2015年3月14日】

 こんにちは。
 引き続き、『生きる哲学』を読んでいます。
 第五章の「聴く 志村ふくみと呼びかける色」を読んで、色に対する志村さんの染織家としてのさまざまな思いに、深く共感するものがありました。

 色(ハーモニー)が先なのか、間(リズム)が先なのか、両者に追いつ追われつ、そんなときは手にふれた杼(ひ)をそのまま投げている。なにかあるリズムにのって。即興の歌をうたっているような気がする。無意識ではなく、意識のかたまりのような。その中心に入ると、思わず織れてしまう。つぎは何色を入れようなどと考えるひまがない。手のほうが先に杼にふれている。(中略)

 全体像は何となく心に描かれていて、細部はわからない。その場に直面すると見えてくる。ほとんど迷いなく、色が旋律する。いままで織った部分がつぎの色をほしがっている。つぎの音を奏でている。あやうい空中の橋を渡っているような部分こそ、色の旋律が鮮明にきこえる瞬間なのだ。(『色を奏でる』)」(『生きる哲学』P110〜111)

 ここで、杼(ひ)とあるのは、「機織(はたお)りに経糸(たていと)を据え、緯糸(よこいと)を通す時に用いる」もので、糸が巻き付けてある木製の道具のことです。それを飛ばしながら、職人さんは、機織りを行っていくのですね。

 先ほど引用文からは、頭で考えて制作されているのではない、リズムに乗って、「何かに導かれるように」仕事をしている志村さんの様子がありありと思い浮かんできます。
 「色が旋律する」「つぎの音を奏でている」と描写されているように、志村さんの場合は、色から音(色)を感じ取って、次の色を選ぶ。色が語りかけてくるというのですね。それに無我になって従う。
 これは、私が絵を描く時の感覚と似ています。前にも書いたかも知れませんが、色が色を呼ぶ感じです。ある色を塗ると、その色が隣にくる色を呼んでいる感じがして、それが連鎖していって、1枚の作品が仕上がる。そんな体験をしたことがあります(2015年1月29日の「朝のごあいさつ」で紹介した作品)。

 同様のことを、ルドルフ・シュタイナーも次のように語っています。

 「色彩と対話することが大切です。色彩が画面の上でどのようでありたいかを、色彩自身に語らせるのです。これが現実の内部に深く参入し、そうすることで芸術にまで高められる考察力なのです」(『色彩の本質』ルドルフ・シュタイナー)(『生きる哲学』P111)

 これを受けて、著者の若松英輔氏は、「芸術は、美を表現することであるより、美が人間に内在していることを告げ知らせる出来事である」(同書P111)と語っています。ようするに、表現以前に美は人間の中にあり、色彩との対話によって、美が引き出されるということではないでしょうか。

 さらに、志村さんは、「芸術とは人をなぐさめ、よろこばせることはいうまでもないが、実は人生を蘇生させるほどの力をもっている」(『薔薇のことぶれ』)(『生きる哲学』P111〜112)とまで言い切っています。
 その言葉の背後には、内在する美が引き出されることにより、それに伴って生命力が引き出される、本当の美と生命力とは不可分である、との信念を感じます。

 私が、先の中学校の卒業式で合唱の美しく清らかな歌声に感動し、生きる力をもらったのも、この所以なのです。
 真の芸術は、生きる力を呼び起こす。
 ありがたいですね。

 今日も、お元気で!

【参考資料】
○若松英輔著『生きる哲学』(文春新書、2014年)

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