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2015年3月10日 (火)

在りのままを描く 〜『等伯』を読んで(5)

【今朝のごあいさつ 〜2015年3月10日】
 おはようございます。
 今朝、『等伯』(下)を読了しました。
 ラストの数ページは、感動の涙があふれてきて、じゅくじゅくの体(てい)でした。
 本書もまた、今、読むべくして出合った本でした。
 絵を描くことの意味と、絵が持つ力、そこに在りのままの真・善・美を表すという真の絵の道を示してもらえた気がします。
 在りのままの実相を描き、悟りの世界にいざない、見る者すべてに己に通じるものがあると感じさせる。(本書P347)
 その境地を目指しての、長谷川等伯の画業でした。
 はたして、それは国宝となった『松林図屏風』に結実したのですね。
 そこに描かれたものは、追われるようにして離れた故郷・七尾の海岸の松林であり、等伯にとって、生きる力を与えてくれた、あたたかい原風景だったことが、この胸に迫ってきました。 
 しかしながら、本書では、さまざまな欲に翻弄され、迷走し、ジェットコースターのように浮沈する人間・等伯の姿も描かれていて、読んでいてハラハラします。
 それでも、絵に対する真摯な態度は一貫し、思うような表現ができずに苦しみ、のたうち回りながらでも、自分の心を見つめ、安易に妥協せずに自分が納得する作品を描こうとする剛毅実直な等伯の姿が描かれていて、好感を抱きました。
 本書では、等伯に影響を与えるキーマンの一人として、公家の近衛前久が、等伯(信春)に、こういう言葉を投げかけるのですね。
「ええか信春、俺ら政(まつりごと)にたずさわる者(もん)は、信念のために嘘をつく。時には人をだまし、陥れ、裏切ることもある。だが、それでええと思とる訳やない。そやさかい常(とこ)しえの真・善・美を乞い求め、心の底から打ち震わしてくれるのを待っとんのや」(同書P340)
 これは回想を含めて、2回繰り返される重要なフレーズであり、世の人の「真実の声」だと受け止めました。
 そんな、どんな人の心の奥底にもある、真・善・美を求める「まことの心」に対して、画家が絵を通して、自らの(普遍的な)在りのままの姿を、そこに表現できたとき、見る人それぞれの実相(ほんとうのすがた)が、そこに現れる(呼び出す)ということなのですね。
 それが本書の最後の方の場面で、描写されていて、感動するのです。
 実相が現れていないのは、誰のせいでもない。
 ただ自分が現せていないだけ。
 だから、自分が「在りのまま」であるように、「在りのまま」が表現できるように、精進していけば良いのですね。余分なものを削ぎ落とすように。
 そのことに、改めて、気づかせてもらった、冒頭の私の涙なのでした。
 ようするに、自分が変わればいいんですね。
 等伯がずっと心の支えにしていた法華経の神髄、実相の教えも、ここにあるのでしょう。
 準備は整いました。
 機会を見つけて、等伯が愛した能登、七尾を旅して、当地でその歩みをたどりたいものです。
 そして、東京国立博物館にある『松林図屏風』に描かれた世界を、この目で確かめてみたいです。
 今日も、どうぞ、お元気で!
【参考資料】
○安部龍太郎著『等伯』下(日本経済新聞出版社刊、2012年)
Touhaku_ge_20150310

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