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2015年3月 7日 (土)

自分の足で歩く 〜『生きる哲学』(若松英輔著)を読んで(2)

【今朝のごあいさつ 〜2015年3月7日】
 おはようございます。
 今朝も、同書から得た学びについて書きたいと思います。
 第一章「歩く 須賀敦子の道」のP30に次の一段落があり、心にしみました。
 引用させていただきます。
「 自分の生きている場所は狭い。しかし、そこはすべて自分の大切な人々のかけがえのない毎日とつながっている。それを想い出し、しっかりと感じるためにも、人は歩かなくてはならない。どんなにゆっくりであっても自分の足で、大地を踏みしめて進まなくてはならない。歩くという日常的な行為が、日常を突き破り、心の奥深くに魂の故郷が芽生えていたことを告げ知らせる」(『生きる哲学』P30)
 これは実に奥深い言葉だと思いますね。
 おそらく、読み手にとって、いろんなことを示唆されるに違いありません。
 若松氏は、ここで個人的な感想ではなく普遍的なことを述べているように感じます。
 時に人は、目に見えるさまざまな出来事、つらいこと、悲しいこと、切ないこと、などから、自分とまわりとが何か離れてしまったように感じることがあるものです。
 でもほんとうは、離れてなどいない。切り離されてなどいないのですね。
 自分が今生きているそのままで、大切な人とつながっている。
 それを何かしらの理由で、忘れてしまっているだけなのですね。
 ずいぶん前の話になりますが、私は二十歳のころに父を亡くしました。
 しばらくは大きな喪失感にさいなまれました。
 自分を見失うような状況の中で、一人旅に出ました。
 わずか一泊二日、それも奈良の奥地という、京都からは近い距離でした。
 そして、曽爾高原という場所に着き、夕日を浴びて輝くススキの群生を見たときに、私は感じました。
 今も父の愛に包まれていることを。
 目の前の風景を通して、忘れていた記憶が甦ってきたのですね。
 あたたかい、父と私の心のつながり。
 画像は、2006年に、その時のことを思い出して描いた油絵です。
 『まほろば』Ⅰ、Ⅱという題名を付けました。
 昔のことばで、中心という意味です。
 幸い、この絵を展覧会で発表すると、たくさんの方から評価していただきました。
 うれしかったのは、「秋の風景なのに、あたたかい感じがする」という声があったことでした。
 未熟な作品ではありますが、少しでも見る人の心の奥深いところにある普遍的な思いと
 作品を通してつながることができたのかな、と思いました。
 「魂の故郷」を感じるために、これからも自分の足で歩きたいと思います。
 今日も、お元気で!
【参考資料】
○若松英輔著『生きる哲学』(文春新書、2014年)
Mahoroba_1
Mahoroba_2_1

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