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2015年5月15日 (金)

柳澤佳子著『いのちの日記』を読んで

【今朝のごあいさつ 〜2015年5月15日】

 おはようございます。
 昨日、近所の図書館で、サイエンスライターで歌人の柳澤佳子さんが書かれた『いのちの日記 神の前に、神とともに、神なしに生きる』という本を借りました。
 これは良書です。
 「科学者が書いた宗教書」というのが私の印象。
 100ページちょっとの薄い本なのですが、読み始めるとグイグイと内容に引き込まれ、気がつけば半分以上読んでいました。
 ごく簡単に内容を紹介すると、
 柳澤さんは、第一子を出産後、病に苦しめられるのです。腹部の痛みを伴う病で、時間をおいて3回にわたって手術を行い、子宮摘出、卵巣摘出などの辛い体験をしますが、一向に回復しませんでした。
 その苦しみの中、医療にも誰にも頼れなくなり、心から宗教を求められるのですね。
 しかし、既成の教団や信仰には心は向かず、宗教を独学しようと心に決めます。
 以後、キリスト教、仏教、心理学などの解説書や研究書を読んでいく。
 その中で、自分の信仰を確立していくのです。
 そしてついに、自己と非自己をわける非一元的なものの見方から脱却。
 つまり、自我を滅し、すべては一つであるという一元的なものの見方を会得されるのです。
 本書の副題にある「神の前に、神とともに、神なしに生きる」とは、神とは、自分の外側だけでなく内側にもおられる存在で、神と自分とを切り離すことはできない、と。
 つまり、「神なしを生きる」というのは、ちっぽけな自分から離れた高みに神をおいて崇め、頼るのではなく、今、わが内に神を感じて生きるということなのです。
 と私は、彼女の信仰を読んで解釈しました。
 まだ、最後まで読み切っていませんが、私は柳澤さんの宗教観に深く感銘し、自らの信仰と共通するものを感じました。
 あらゆる宗教の教えが説くところの自我を滅却するということは、自と他とを分けるところの小我を捨て去り(小我は本来なしと悟り)、すべてと一体である、大我を生きることであります。
 そこに至って初めて、身に病などの不完全を現しながら、その姿にとらわれない喜びや安心立命の境地に達することができます。柳澤さんの場合もそうでした。
 本書は、歌人らしく、各章の冒頭に短歌があり、折々の日記や美しい少女時代の写真が挿入されているので、辛い闘病生活の描写も、やわらかく中和されています。
 さらに、自らの神秘体験も、科学者らしく学問的な知見から冷静に分析・解説されているので、宗教に抵抗がある読者も論理的に考えられて、読みやすいでしょう。
 宗教や宗派にとらわれない本当の信仰とは何か、を求めておられる方にもおすすめです。
 私は、読後、とても爽やかな気持ちになりました。
 今日も、どうぞ、お元気で!
【参考資料】
○柳澤佳子著『いのちの日記 神の前に、神とともに、神なしに生きる』(小学館刊、2005年)
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