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文化・芸術

2011年3月 1日 (火)

Brooklyn Parlor(ブルックリン・パーラー)

 仕事が半ドンだったので、前から一度来てみたかった新宿の「Brooklyn Parlor(ブルックリンパーラー)」に来てみた。最近、「古書店とバー」「書店とカフェ」を組み合わせた店が都内に少しずつ現れてきている。この店もその一つ。デパートの地下一階にあるのだが、ブルックリンの名の通り、レンガの壁や古材風のフローリングなど、どこか古きアメリカという感じの落ちついた雰囲気の店。壁面には備え付けの書棚があり、「グラフィック」「たてもの」「絵本」「雑誌」などのカテゴリ別にいろんな種類の本が並び、好きな本を手にとって席で読める。購入も可能だ。近頃流行の“マンガ喫茶”とは随分異なり、上品な大人の雰囲気がする。座席にもいろいろタイプがあって、ゆったりしたソファー、アーリーアメリカン風の木のテーブル、相席になる大テーブル等々。私は一人だったので、ステンレス製のオシャレな2人用のテーブルに案内された。
 マシュマロの付いたラズベリーホワイトラテをオーダーして、『光の教会 〜安藤忠雄の現場』という本を書棚から選んで席で読む。店内を見渡すと、本を読まずに会話をしている人、私のようにパソコンを打っている人、読書をしている人、さまざまだ。「図書館みたいだね」と隣席から声が聞こえてきた。無線LANでネットにもつながるので、この記事もあとでこの店からアップしようと思う。

 さて、私が手にした『光の教会』だが、やはり読むべくして手にとったということが分かった。無意識のうちに、私の問題意識に合う本を選んでいたのだ。この世には偶然はないというが、つくづくそう思う。
 この本は、建築家の安藤忠雄氏が、大阪にある教会の礼拝堂の建築を依頼されたことについてのドキュメントなのだが、安藤氏の建築に対する考え方が素晴らしい。建築というものを、地域との関係性の中でとらえ、環境を生かすことを重視していることが分かった。少し、文章を引用してみよう。

「前に木があって通る時邪魔ならば、木を避けて通ったらええわけで、それをみんな伐りすぎるんですね。人間、なんで、いつもいつも真っ直ぐ歩く必要あるか、僕はそこで人間が曲がったらいいと思う」
 つまり、人間の便利さを追求するのではなく、すでにある「自然」を生かすということだ。
 さらに同書では、地域の中における宗教施設のあり方について、次のように言及する。

 これから時代が「地域」を大切にするということになっていくとすれば、お寺や教会というものが重要な役割を果たすことになるのではないか、と彼は考える。(中略)例えば、緑があって人々がホッと息をつくことができる場所。子供の遊び場になる場所。祭りがあって地域の人々が参加する場所。そのような「場」をそれぞれの地域が持ち、人々がその「場」を大切にする。(同書32ページ)

 これにも私はまったく同感だ。生長の家が目指す「森の中のオフィス」も可能な限り、地域の中でこうした“役割”を果たせる施設でありたい、と私は思う。
 さらに、安藤氏は、「光の教会」という「場」をつくる上での願いを次のように語る。

「心で伝達していく、つながっていく、そういうことが非常に重要やなぁと思ってますけどね。だけど僕はますます難しい社会になっているなぁという気がしますね。今は日本中、お寺とか神社とか教会とか、そういう人が集まる『場』を非常に気楽に考えていますから、もっと真剣に、こういう社会にこそ、そういう『場』に集まって来て、精神的な拠り所にするべきなのではないかと。だから、そんな『場』をつくろうと思いました」(同書32ページ)

 こうして彼は、教会の要望で極めて低コストで、教会を設計・建築していくことになる。今の私の仕事にも、とても参考になるテーマなので、続きをぜひ読んでみたいと思った。
 つくづく、いい本を手にしたと思う。

 さて、そろそろ愛用のMacBook Airを閉じる時間がきた。この文章を無線LANでブログにアップしてから、家族が待つ家に帰ろうと思う。
 人に教えたくない店、ブルックリン・パーラーを後にして…。

 小関 隆史

 2011年3月1日

【参考資料】
○『光の教会 安藤忠雄の現場』(平松剛著、建築資料研究社刊、2008年12月24日 第8刷)

岡本太郎著『今日の芸術』を読んで(1)

 最近、文庫本の『今日の芸術 〜時代を創造するものは誰か』(岡本太郎著、光文社刊)を読み始めている。先月の26日、生誕100年を迎えた岡本太郎の足跡をたどる試みは、3月8日から東京国立近代美術館で開催される「生誕100年 岡本太郎展」をはじめ、NHKのテレビドラマ「TAROの塔」などさまざまな形で行われようとしている。その流れの中で本書も書店の目立つところに置かれていた。

 彼は油絵などの平面作品だけでなく、立体造形も多く手がけ、彼を象徴する代表作の一つは、1970年に開催された「大阪万博」のパビリオンとなった「太陽の塔」だ。当時、5歳だった私は、両親と一緒に京都から大阪まで出かけ、太陽の塔に登ったことを強く覚えている。細長く上に伸びた塔内の薄暗い急な階段と、内部に何かしらの展示がされていたことを思い出す。
 長じて美術の道に進んだ私だったが、岡本太郎の芸術にさほど興味を抱くことはなかった。率直に言って、作品からエネルギーは感じるものの、「芸術は爆発だ!」などの岡本太郎の言動や、焦点が定まっていないようなその表情に何か違和感を感じていたことが大きい。そうした彼の表面的な奇抜さが、どうしても受け入れられず、彼に対する理解を妨げていたのだろう。
 そうした彼への偏見〜偏った見方が薄れてきたのは、近年のことだ。彼の短い言葉を集めた著作の一つを読んで、しびれるような感動を覚えた。それは、異動で職場を離れる後輩を勇気づける書籍を探していたときのことで、パラパラとその本のページを繰って、短いフレーズを読んだだけで、大いに勇気づけられた。

 このたび、彼の「芸術論」というよりむしろ「生き方」「人生のあり方」をしるした本書を読んでいて、またまた彼に対する見方が変わっていくのを感じている。
 彼の作品から受けるイメージとは裏腹に、その語り口は実に穏やかで紳士的だし、論旨も明快で論理的だし、何より真理を穿った内容にみちている。
 本書から、芸術に対する彼の基本的な考え方を次に紹介しよう。

 芸術は、ちょうど毎日の食べ物と同じように、人間の生命にとって欠くことのできない、絶対的な必要物、むしろ生きることそのものだと思います。
 しかし、なにかそうでないように扱われている。そこに現代的な錯誤、ゆがみがあり、またそこから今日の生活の空しさ、そしてそれをまた反映した今日の芸術の空虚も出てくるのです。
 すべての人が現在、瞬間瞬間の生きがい、自信を持たなければいけない、そのよろこびが芸術であり、表現されたものが芸術作品なのです。(同書16ページ)

 この「よろこびが芸術」とする岡本太郎の考えに私は深い感銘を覚えた。
 生命と芸術とを切り離さず「ひと連なり」だとする考え方は、「美とはそこに生命があらわれていることである」(谷口雅春著『生命の實相』頭注版13巻)とする生長の家の芸術観に非常に近いと思う。
 まだ本書を読み始めたばかりだが、今から60年近く前に書かれた本なのにまったく古さを感じさせないことに驚いている。この先の内容がとても楽しみだ。(つづく)

 小関 隆史

2011年3月1日

【参考資料】
○『今日の芸術』(岡本太郎著、光文社刊)光文社知恵の森文庫
 ※初版は1954年

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