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論文

2011年10月18日 (火)

上田紀行・東工大准教授の記念講演を聴いて(1) 〜今、絆の質が問われている

 昨日(10月17日)、新宗連(新日本宗教団体連合会)の結成60周年記念集会が、東京・渋谷の渋谷公会堂で行われ、生長の家も招待を受けた。
 生長の家はこの新宗連には加盟していないが、近年、環境問題に関して、立正佼成会などの他の宗教団体と協同して取り組み始めていることもあり、教団の中で渉外的な役割を担う出版・広報部の一員として、上司に随行する形で喜んで出席させていただいた。

 この日の記念集会では、新宗連の60年の歩みを映像で見た後、東京工業大学大学院准教授で文化人類学者の上田紀行氏の記念講演があり、45分間、ノートとペンを手に大変、興味深く耳を傾けた。
「未来への種をまく宗教」と題したその講演では、「今、絆の“質”を問うべき」という提起に始まり、後半には、「身内だけに信仰を伝える“家”の宗教にとどまらず、今、救いを待っている人のところに出かけて行ってほしい」との宗教者(界)への期待が熱く語られた。

 前半で特に印象深かったのは、大震災以降、「絆」という言葉が至るところで目につくようになったが、「人を生かす絆」か、それとも「人の心を縛る怖い絆」なのか、その“質”が問われているとの提起。
 人を生かす絆の具体例としては、上田氏が教えている大学院に入った女子学生の体験が興味深かった。
 神奈川県の湘南に住んでいた彼女は20歳の時に、生きる意味を見失って悩み、ある夜中に家出をした。トボトボと街を歩いていると、やがて一軒のお寺が目に入った。しかし、その門は閉ざされていて、そこでふと、彼女は考えた。ここでインターホンを押してしまうと、「今、何時だと思ってるの!」と叱られるに決まってる、と。だから、何もアクションを起こせずに、再び、歩き始めた。すると、今度は、十字架を掲げたキリスト教会が目に入った。試しにドアを押すと開いたので中に入り、誰もいない礼拝堂のイスに2〜3時間、ずっと座っていた。すると、いつしか胸のつかえがすーっと降りていって、楽になり、以後、二度と家出をすることもなく、人生を前向きに生きられるようになったという。
 この話を本人から直接聞いた上田氏は、彼女が誰にも会わずしてこのような体験を得たことに注目。彼女にその時の心境を尋ねると、「どうしても我慢できなくなるほど苦しくなったら、ここ(礼拝堂)に来て叫べば誰かが出て来て助けてくれると思えた。でも、今はまだ少し余裕があるから大丈夫と思えた」と。それを聞いて上田氏は、「(たとえ真夜中でも自分を受け入れてくれるところがあると知ることで)彼女は“支え”を感じられたから、前に進むことができた」と気付いたという。
 このエピソードを紹介した後、「支えがあると思った人間は自由になれる」と上田氏が語った言葉は、ズシリと私の胸に響いた。その人の支えとなれる絆、これが「人を生かす絆」。

 一方、「人を縛る怖い絆」の例としては、先の大戦後に裁かれた日本のA級戦犯の誰もが、「個人的には戦争には反対だったが…、組織としては賛成せざるを得なかった」とか、個人としての自らの意志を抑えて、所属組織(軍隊)の中での立場や組織を守ることを優先させたことを挙げた。いわば、組織の「絆」に縛られて、自分の意志で状況を変えるような行動がとれなかったという反省。
 この「自分で状況を作っていく」ということは、日本人には苦手な人が多い。しかし、今は、その能力が問われているのではないか、「もっと日本人は自由があってもいい」と上田氏は訴えた。
 こうした話の流れの中で、上田氏は、宗教者に対して、「われわれ(人々)をもっと自由にしていく(のが本来の)宗教なんだ」と声を大にして言ってほしい、と期待を込めて聴衆に語りかけた。

(つづく)

 小関 隆史

2011年10月18日 

2011年3月 9日 (水)

岡本太郎著『今日の芸術』を読んで(3)

 岡本太郎著『今日の芸術』の「あなた自身を創造する」には、次のような興味深い記述があった。

「創るというのを、絵だとか音楽だとかいうカテゴリーにはめこみ、私は詩だ、音楽だ、踊りだ、というふうに枠に入れて考えてしまうのもまちがいです。それは、職能的な芸術のせまさにとらわれた古い考え方であって、そんなものにこだわり、自分を限定して、かえってむずかしくしてしまうのはつまりません。
 それに、また、絵を描きながら、じつは音楽をやっているのかもしれない。音楽を聴きながら、じつはあなたは筆こそとっていないけれども、絵画的イメージを心に描いているのかもしれない。つまり、そういう絶対的な創造の意志、感動が問題です。」(P119)

 私はここの文章を読んでなるほど、と思った。先月の2人展の時、来場してくださった知人の画家の一人が、「あなたの絵は“動き”がありますから、やわらかいサインを入れたらどうですか?」というアドバイスをしてくれた。それを聞いて、改めて自分の作品を眺めてみると、なるほどその方の指摘通り、直線ではなく有機的な曲線で斜め方向に動きのある構図が多いことに気づかされた。ようするに静よりも動をイメージさせる作品が多いということだろう。もちろん、案内はがきに使った「ムーンライト・サンセット」のように極めて静的な作品もあり、いずれも私の一面を表しているように思う。それはともかく、私の作品の“動きのある構図”は、私の音楽的な一面を表しているようにも思える。きっと私が動きのある作品を描いている時は、その思いを仮に演奏あるいは歌ったなら、アップテッポの曲調になるに違いないと思ったのである。
 その意味では、岡本氏が「絵を描きながら、じつは音楽をやっているのかもしれない」という言葉は実に私の中でしっくりとくる。私の中には“思い”を音楽にのせて伝えたい、という憧れがずっとあるからだ。だから、芸術表現をことさらジャンルに切り分けて、自分で限定するのではなく、岡本氏の言う芸術表現の根本(共通部分)となる「絶対的な創造の意志」「感動」に焦点を当てる姿勢に賛成だ。
 生長の家の進めている「技能や芸術的感覚を生かした誌友会」などの場においても、表現以前のこうした「感動」「創造的欲求」を大切にしたいものである。(つづく)

小関 隆史

2011年3月9日

【参考資料】
○『今日の芸術』(岡本太郎著、光文社刊)光文社知恵の森文庫
 ※初版は1954年

2011年3月 8日 (火)

岡本太郎著『今日の芸術』を読んで(2)

絵はすべての人の創るもの

 岡本太郎氏は、「見るということ自体に、あなた自身が創るというけはいがなければならない。この二つはそれぞれけっして離すことのできないものなのです」と言う。つまり、「創ることと、味わうこと、つまり芸術創造と鑑賞というものは、かならずしも別のことがらではない」ということ。

 こんな提起をしてから、岡本氏は、概略、次のように説明する。
 人は、ある絵の前に立って鑑賞する時、目の前のキャンバス、目に映っている対象を見ていると思いながら、実は「見たいとのぞんでいるもの」を、心の中に見つめている。それはイマジネーション(想像)によって、自分が創りあげた世界。だから、10人が一つの絵を鑑賞していたとすると、10人の心に映る絵の姿は、それぞれ異なる。同様に「この作品が好きだ」と言っても、「その好き方」もさまざまだ。見る人数だけ無数の作品となって、それぞれの心の中に描きあげられたことになる。さらに、それは、心の中でその精神の力によってつねに変貌し創られつつある。この単数でありながら無限の複数であるところに芸術の生命がある。

 以上のような岡本氏の言説を読んで、なるほどと私は合点がいった。生長の家でも、「外界は内界の現れ」であり、「一人一人が見る世界は、その人自身の心がつくっている」と説いている。また、絵画作品は画家の生命(いのち)の表現だから、鑑賞者は作品を見ることを通して、作者の生命と触れ合っているとも言える。だから当然、鑑賞者の内面的な変化が、絵の見方にも影響を与えることになるだろう。岡本氏が、「精神の力によってつねに変貌し創られつつある」ということは、そういうことだろうと思う。

 私たちは、通常、芸術鑑賞をする際に、何かすでに出来上がったものを受け取る(感じる)だけのように考えてはいないだろうか? 「何が描いてあるか分からない」という理由から作品を遠ざけるのではなく、一歩近づいて、作者が描こうとしたものは何かを想像しながら、自分なりのイメージを膨らませること、その時に自己の内に新たな価値が創造される。それは自分自身の心の器を広げる営みにもなるのではないだろうか。鑑賞(味わう)とは創造の喜びでもあること、岡本氏はそう教えてくれている。(つづく)

小関 隆史

2011年3月8日


【参考資料】
○『今日の芸術』(岡本太郎著、光文社刊)光文社知恵の森文庫
 ※初版は1954年

2011年3月 1日 (火)

岡本太郎著『今日の芸術』を読んで(1)

 最近、文庫本の『今日の芸術 〜時代を創造するものは誰か』(岡本太郎著、光文社刊)を読み始めている。先月の26日、生誕100年を迎えた岡本太郎の足跡をたどる試みは、3月8日から東京国立近代美術館で開催される「生誕100年 岡本太郎展」をはじめ、NHKのテレビドラマ「TAROの塔」などさまざまな形で行われようとしている。その流れの中で本書も書店の目立つところに置かれていた。

 彼は油絵などの平面作品だけでなく、立体造形も多く手がけ、彼を象徴する代表作の一つは、1970年に開催された「大阪万博」のパビリオンとなった「太陽の塔」だ。当時、5歳だった私は、両親と一緒に京都から大阪まで出かけ、太陽の塔に登ったことを強く覚えている。細長く上に伸びた塔内の薄暗い急な階段と、内部に何かしらの展示がされていたことを思い出す。
 長じて美術の道に進んだ私だったが、岡本太郎の芸術にさほど興味を抱くことはなかった。率直に言って、作品からエネルギーは感じるものの、「芸術は爆発だ!」などの岡本太郎の言動や、焦点が定まっていないようなその表情に何か違和感を感じていたことが大きい。そうした彼の表面的な奇抜さが、どうしても受け入れられず、彼に対する理解を妨げていたのだろう。
 そうした彼への偏見〜偏った見方が薄れてきたのは、近年のことだ。彼の短い言葉を集めた著作の一つを読んで、しびれるような感動を覚えた。それは、異動で職場を離れる後輩を勇気づける書籍を探していたときのことで、パラパラとその本のページを繰って、短いフレーズを読んだだけで、大いに勇気づけられた。

 このたび、彼の「芸術論」というよりむしろ「生き方」「人生のあり方」をしるした本書を読んでいて、またまた彼に対する見方が変わっていくのを感じている。
 彼の作品から受けるイメージとは裏腹に、その語り口は実に穏やかで紳士的だし、論旨も明快で論理的だし、何より真理を穿った内容にみちている。
 本書から、芸術に対する彼の基本的な考え方を次に紹介しよう。

 芸術は、ちょうど毎日の食べ物と同じように、人間の生命にとって欠くことのできない、絶対的な必要物、むしろ生きることそのものだと思います。
 しかし、なにかそうでないように扱われている。そこに現代的な錯誤、ゆがみがあり、またそこから今日の生活の空しさ、そしてそれをまた反映した今日の芸術の空虚も出てくるのです。
 すべての人が現在、瞬間瞬間の生きがい、自信を持たなければいけない、そのよろこびが芸術であり、表現されたものが芸術作品なのです。(同書16ページ)

 この「よろこびが芸術」とする岡本太郎の考えに私は深い感銘を覚えた。
 生命と芸術とを切り離さず「ひと連なり」だとする考え方は、「美とはそこに生命があらわれていることである」(谷口雅春著『生命の實相』頭注版13巻)とする生長の家の芸術観に非常に近いと思う。
 まだ本書を読み始めたばかりだが、今から60年近く前に書かれた本なのにまったく古さを感じさせないことに驚いている。この先の内容がとても楽しみだ。(つづく)

 小関 隆史

2011年3月1日

【参考資料】
○『今日の芸術』(岡本太郎著、光文社刊)光文社知恵の森文庫
 ※初版は1954年

2011年2月23日 (水)

“戦略ストーリー”について(5) 〜ストーリー作成の効用

 最近、このテーマでブログを書き綴っているため、「戦略」とか「ストーリー」という言葉に、とても敏感になっている。昨日も、『週刊 東洋経済』の読書を特集した号を読んでいて、そこで紹介されていた『スティーブ・ジョブズ驚異のプレゼン 〜人を惹きつける18の法則』(日経BP社刊)の書評に「ストーリー」という言葉が出てきて、とても気になった。そこには、iPadやiPhoneという新しい携帯端末(デバイス)でモバイルPCやスマートフォンの世界に新しい流れを起こしたアップル社のスティーブ・ジョブズのプレゼンテーション(企画等の説明、略してプレゼン)の特徴が簡単に紹介されていた。

 そこには、第一の特徴として、彼がプレゼンを考える際に、「まずストーリーを考える」とあった。私はなるほど、と合点がいった思いがした。
 彼は、アップル社のファンやマスコミを集めて新製品を紹介する「マックワールドエキスポ」などで、いつも壇上で大きなスクリーンに映像を映し出して魅力的な基調講演(プレゼン)をするのだが、その際、例えば、iPhoneを発表する際には、冒頭で「今日、アップルは電話を再発明する」などと、心に残る新製品のコンセプトを象徴的なフレーズで紹介し、プレゼンを始める。そうした、何の話から入り、どのような流れで話を展開すれば、商品の魅力を聴衆に伝えられるかを、考えに考えて抜いているのだろう。

 まさしく、これは、これまで論考してきた「戦略ストーリー」の考え方と合致する。プレゼンのストーリーを考える際にも、まず商品のコンセプトがはっきりしていること。そして、そのコンセプトを実現させるキラーパスつまり、ほかにはないその商品の特長を表現できなければ、魅力あるストーリーは描けない。まだ同書を読んでいないので、憶測でしかないが、おそらく彼のプレゼンの流れには、明解なコンセプト、キラーパス、そしてゴールが盛り込まれているに違いない。私は、一度、ビデオで彼のプレゼンを見たことがあるので、自分の印象としても言える。詳しい内容を知るためにも、同書を一読してみたいと思った。

 きっと誰かに何かをプレゼンする場合に、記憶に残るインパクト(印象)を残すためにも戦略ストーリーを作ることは有効だと思う。

 小関 隆史

 2011年2月23日

2011年2月22日 (火)

“戦略ストーリー”について(4) 〜アートとしての戦略

 戦略に関する楠木健氏の説明の中で、次の一節を読んで目を見開かされた思いがした。

「戦略とはストーリーであり、その企業の固有の文脈に埋め込まれた特殊解であり、サイエンスというよりアートに属するものです。だとすれば、優れた戦略を構築するために必要なのは、スキルよりもセンスです」(『週刊 東洋経済』2011/1/18P58

 これを私なりに解説すると、戦略を立てるヒントというものは、各企業(事業)の中に隠されている固有のものであるということ。その戦略の核となりキラーパスとなるを見出すにはセンス(感性)が必要であるということだ。物事の本質を直感的に見抜く力と言ってもいいだろう。それは、芸術家が最も得意とするところだ。そのあたりのことが、楠木氏が一番言いたいことではないか、と思う。
 要するに、戦略を立てるには理系よりも文系ないしは美術系の思考回路の方が適している、ということだろう。私はこれまで逆だと思い、自分には不向きだと思い込んでいた。でも、それは間違いだったということは、前回のシリーズ(3)で自分の戦略ストーリーを描いてみて、よく分かった。やはり最初に核の部分のイメージが描けることがとても重要で、あるべき姿が見えていれば戦略は描けるのだ。私の場合は、すべての活動が集約する絵本を制作するということを、自分の戦略の軸としたが、それは論理で導き出したというよりも、ひらめきの部分が大きい。

 楠木氏は、冒頭で紹介した文章に続いて次のように語っている。

『自分にとっての「面白さ」を大切にする。人の作った戦略ストーリーを読解するときも、自分のストーリーのラフなドラフトを作るときも、まずは「自分にとって面白いかどうか」に軸足を置くべきです。
 自分で心の底から面白いと思っていれば、努力が苦になりません。自然とのめり込みます。自分で面白くて仕方がないような戦略ストーリーであれば、何度でも自然に人に伝え、共有したくなります』(同書P58

 昨日、たまたま手にした月刊誌『プレジデント』(2011/3/7号)にソフトバンクの孫正義社長と脳科学者の茂木健一郎氏の対談が載っていた。そこにも、イメージを描くことの重要性が双方の視点から語られていて参考になった。
 孫氏曰く、『先日、ソフトバンクの今後30年間の経営方針となる「新30年ビジョン」を発表しましたが、そのときもまずやったのは、「30年後の未来ってどんなだろう」と想像することでした。30年後の街並み、オフィス、自宅のリビングで最新のデバイスを持っている自分の姿。「こんな素晴らしい未来がきた!」って一人、喜んでいました。(中略)これがもし「いまできることから始めましょう」なんてやっていたら、到達する前に諦めてしまっているでしょうね』(同書P30)。

 これは、いわゆる「バックキャスティング」と言われる考え方だ。先に「あるべき姿」を描いて、その実現のためのステップを考える手法。現状からどうするかを考えると、さまざまな障壁が見えてきて、嫌になってなかなか思考が進まない。孫氏のように、ステキな未来を想像して喜び、その喜びのエネルギーをドライビングエンジン(原動力)として困難を乗り越える。実に合理的でもある。
 さらに孫氏は、『最初は右脳を使って思う存分、成功のイメージをつかみますが、その次の段階では、そのイメージを実現するための具体策を左脳で翻訳していくんです。「この未来を実現するためにはどうすればいいか」と。そこからはもう、完全に論理の世界です』。
 右脳でイメージを描いて、左脳で論理的に詰めていく。そんな構図だ。

 まず現状は無視して、あるべき理想の姿を徹底して描き切る。これが戦略ストーリーを作る大きなポイントだと思う。

 小関 隆史

 2011年2月22

【参考資料】
『週刊 東洋経済』(2011/1/8号)「特集 ストーリーで戦略を作ろう」
『プレジデント』(2011/3/7号)「成功する脳習慣とは何か」孫正義VS茂木健一郎

2011年2月21日 (月)

“戦略ストーリー”について(3) 〜TKのダイアモンドストーリー

Tk_story20110221s  今回は戦略ストーリーの実践編として、私自身の戦略ストーリーを左のチャート図のように考えてみた。これを「TKのダイアモンドストーリー」と銘打ったのは、チャートが示す多面形がダイアモンドの形に似ていたことと、個性がキラリと輝くということをかけた“言葉遊び”のつもりなのでご容赦いただきたい。
 さて、最初に断っておくが、このストーリーは私の今の人生におけるいわば“幹”の部分を示したものなので、枝葉の部分は含んでいない。人間は多面的な存在であるから、一人の人間の生活ストーリーを1枚の図でなど到底表すことは難しい。とはいえ、今回、私の戦略ストーリーを作って、自分自身の“幹”となる部分は何かを考えるいいきっかけになったので、こうした自己実現のための戦略ストーリーを作ることを皆さんにもお勧めしたい。
 さて、私のストーリーについて少し説明したい。ポイントは、目立つように図示した「キラーパス」と「UP」の部分だ。まずキラーパスについてだが、前回の論考(2)を読んでいただいた方にはお分かりだと思うが、ここでのキラーパスとは、他とは異なる“特長”であり“シュートにつなぐ決定的なパス”という意味だ。一つ目の「子育て」については、現在、私が4歳から13歳までの4人の子供たちを育てていることをさす。私は積極的に子育てに携わっている方だと自負している。毎日、「子供の心をつかむにはどうすればいいか?」をさまざまな出来事に直面しながら考えさせられ、鍛えてもらっている。ゆえに、子供たちが何に興味があり、何に笑うのかなどが、ある程度分かる。これは子供向けの絵本を作る上で大きなアドバンテージだ。 
 二つ目の「postingjoyおよびブログ」は、いずれも、私にとって身近で気軽な“発表の場”である。そこで私は、絵手紙や絵画等の作品や考えをつれづれに発表することで、閲覧者の反応を確かめる。それが制作・論考の上での励みにもなり、新たな創作へのヒントにもなる。
 そうした「キラーパス」を受けて「真理に基づく絵本の制作・出版」することが、いわば今後の私の創作活動の軸となり、「UP」としたのは、いろんな活動がここにつながることで、新たな作品がどんどん生まれていくことを示したかった。しかしながら、絵本の制作については、紙芝居というような形で作品を作ったことはあっても、本格的なものはまだ作ったことはない。あくまでもまだ夢物語なのだ。しかし、自分自身の中では、今後はそこに私の活動が“集約”されていくのではないか、と予感している。私の芸術的な面、編集者としての面、信仰者としての面、親としての面、それらのすべての要素を生かすのには、絵本が一番適していると思う。
 そうした私の活動が、最終的に社会貢献につながり、私自身の才能開花につながる、そんな青写真をこのストーリーは示している。
 僭越ながら、皆さんの人生と使命を考える上での一つの参考としていただけたら有り難い。

 小関 隆史

2011年2月21日

2011年2月20日 (日)

“戦略ストーリー”について(2) ~キラーパスを組み込む

 戦略ストーリーをつくる上で、重要なポイントは、その組織あるいは個人が持っている“特長”をうまく生かすことだ。このことを、『ストーリーとしての競争戦略』の中で著者の楠木健氏は、「キラーパス」という言葉で表現している。
 キラーパスとは、サッカー(フットボール)などでよく使われる言葉で、要するに味方がゴールを決めるための決定的なパスを送ることを指す。だから、何かの事業における“決め手”という表現で言い換えてもよいだろう。
 このキラーパスは、同業他社とは異なる何か、即ちほかがまだやっていない特徴であるべきだ。その企業なり組織あるいは個人がもつ特徴、それを戦略の軸に置くという考え方が必要になる。
 前回の(1)の論考でも参考にした『週間 東洋経済』(2011/01/08号)の「特集/ストーリーで戦略を作ろう」の中では、戦略ストーリーを作ることで成功している10の企業・組織が紹介されている。そのいずれもが、独自の「キラーパス」を持っていることが注目に値する。やはり、魅力的な事業にはほかにはない独特の魅力があるものだと、一読して痛感した。
 一例を紹介しよう。
 料理レシピの投稿サイトの「クックパッド」(http://cookpad.com)は、月間利用者数が1000万人を超える人気サイト。このクックパッドのコンセプトは、「毎日の料理を楽しくする」こと。そのためのキラーパスは、「高速で画面が表示されること」だそうだ。料理サイトの利用者はネットに詳しくないビギナーが多いということを前提に、作りたい料理のレシピの検索が簡単にできて、しかも画面がストレスを感じることなく素早く表示されるように工夫している。驚くことに、どのページもクリック後0.2秒以内に表示されるシステムを自社開発し、表示スピードが遅い場合には即座に修正できる体制をつくっているという。その対応を速くするための自社開発なのだ。もちろん、ユーザーの要望に対するシステムの修正も外部業者のシステムを利用するよりも迅速に対応できるだろう。こうした徹底してユーザーの使い勝手の良さを追求する姿勢が、人気の秘密だろう。

 個人レベルの生き方を考える場合にも、キラーパスを見出し活用することは、その人が輝く上でとても重要だ。
 インターネット時代の到来で、個が輝く時代になってきた。つまり、自分のブログなどを持つことにより、費用をそれほどかけずに、個人が情報を大多数に発信できる仕組みが出来上がってきた。大多数が情報メディアを持つことは良しとしても、その中で個としての光を放つには、やはり“自分の特長・特質”を知ることが重要になってくる。まさしく、その人にしか出せないような情報、即ち“キラーパス”を閲覧者に送ることができるかどうかがカギなのだ。そのためには、自分の良さを知ることから始まる。その意味で、宗教もしくは信仰の目的である「自己の本質を知ること」は、自分の良さを知る上での大切なステップとなるだろう。

 だから、事業を展開する上でも、豊かなライフスタイルを築くためにも、自らの魅力を生かす「わくわくする戦略ストーリーを作る」ことは、多くの共鳴者を生み出すことにつながるのだ。

 小関 隆史

 2011年2月20日

【参考資料】
○『週刊 東洋経済』(2011/1/8号)「特集 ストーリーで戦略を作ろう」

2011年2月19日 (土)

オークヴィレッジの稲本代表の講演を聴いて

 昨日、職場で開かれた職員対象の「環境教育研修会」で、招聘講師としてオークヴィレッジ株式会社代表の稲本正氏が約2時間にわたって講演してくださった。
 内容は、森の大切さの基本に始まり、「心に木を育てよう」、「日本の森から生まれたアロマ」、そして最後に質疑応答があった。
 オークヴィレッジとは、飛騨高山にある工芸村のこと。同社は今から30年以上前、荒れ地だった同地に植林するとともに、木工を中心とした工芸品の製造販売を始めた。現在、同ヴィレッジは、上空から見ると立派な緑が生い茂る森になり、小さな木工品から建築までを手がける大きな会社に成長。近年では、森の木々からアロマの材料を抽出して作った製品を販売し始めているという。

講演の中で同氏が語った印象的な言葉を挙げると…
「自分が植えた木が育ってくるのを見るのは、すごく気持ちいい」
「“荒れ地に住んでいたのに、今は森に住んでいるんだね”と知人に言われる」
「木工製品よりも、森に感動する人が多い」
「適地適木」
「私たちの森の2つの自慢。一つは川がきれい。二つ目はオオタカがいること。オオタカがいることで森の自然の生態系が保たれるから」
「100年かかって育った木は100年使えるモノ(製品)になる」
「森の手入れをしながらつきあうと、いろんな豊かな恵みが発見できる」etc.

 そして講演会の最後の質疑応答の時間に、私は思い切って最初に質問した。
「オークヴィレッジの従業員さんは、専門職の傍ら、どのようにして森の手入れをされているのですか?」と。
 それに対して稲本さんは、「個々の特技を生かした形、趣味を生かすことが大切」とおっしゃり、オークヴィレッジでは、仕事で使う漆と会話するほど木々に愛着をもっている人、野鳥が好きで観察する人、農業を行う人…などいろいろで、プロの林業家について、従業員が森の木々の手入れを手伝う日も設けている、などの回答があった。Shitamachi_b
 私は「なるほど」と思った。森との付き合い方にもいろいろあっていいんだ、と。ならば、絵が好きな人、音楽が好きな人、木工が好きな人、花や木々が好きな人、山歩きが好きな人…それぞれに、森との付き合い方を見つければいい。
 そんなことを考えていると、生長の家の投稿SNSサイト「postingjoy(ポスティングジョイ)」の絵手紙・絵封筒のコミュニティに、下町の素浪人さんというニックネームの方が昨日、木片に絵手紙を描いた投稿されているのを見て、ビビッときた。Shitamashi_a 「そうだ、北杜市の森で仕事をするようなったら、山の手入れをする際に出る間伐材を使って、こんな絵手紙を作ったらいい」との考えがひらめいた。
 画用紙に描く絵手紙ももちろんいいけれど、木目のある下地に絵を描くのも、右の2枚の写真のように、なんともいえない味わいがある。
 こうした作品を例えば、小さなギャラリーにたくさん並べて展示してみたとしよう。きっと、木のかぐわしい香りがして、心地よい気分になることだろう。
 間伐材を薄く切って、はがきのような形に加工しても良いだろう。

 森を育て、そこから得た恵みを生かして芸術表現を行い、それを一堂に集めて展覧する、リアルなギャラリーに展示するのみならず、インターネットのウェブサイトやポスティングジョイなどに展示作品を発表していく。森に関心を持つ人が増える、そんな好循環が生まれてくるといいと思う。

 森で何をするか、のいいヒントがもらえて、稲本氏と下町の素浪人氏には感謝している。

 小関 隆史

 2011年2月19日

2011年2月16日 (水)

“戦略ストーリー”について(1)

 今、私が一番関心をもっているのは、“戦略ストーリー”。
 これは、『ストーリーとしての競争戦略』(2010/5初版)という本を著した一橋大学大学院国際企業戦略研究科の教授、楠木健さんがいろんなところで説いている戦略の捉え方。この言葉だけでも、なんとなく言わんとするイメージが伝わってくるところがこのネーミングの妙だと思う。
 どうやら、前からよく使われてきた“ビジネスモデル”とも意味が異なるらしい。
 私がこの戦略ストーリーを気に入った理由の一つは、モデルではなく“物語”ならば、多少気楽に自由に発想ができるところ。自分がわくわくするイメージを物語にすればよいのだ。物語には、必ず伝えたいコンセプトがある。登場人物もいて、いろんな出来事を通じて話は展開する。それと同じように、事業も、最初に目指すべき目的もしくは目標があり、そのために地域の顧客とどう関わり、どんなサービスを与えられるか、どう発展していくかを、ストーリーとして描くことができる。それが素晴らしいストーリーならば感動を与えられるだろうし、感動した人は、それを伝えずにはおれなくなる。そこがポイントだ。

 前述の楠木氏は、「多くの日本企業に欠けているもの」は、「思わず人に話したくなるような、面白い戦略ストーリー」だとズバリ指摘する。
 それを証明するかのように、今、5000部売れれば上出来という学術書分野にあって、楠木氏の持論を展開した『ストーリーとしての競争戦略』がなんと5万部も売れているのだそうだ。
 その理由を、楠木氏は、「本書でいちばん受け入れられているのは、やっぱり面白いことをやろう、という単純な論点。戦略の実行にかかわる社員の人たちも、自分がそれに乗っかって頑張りたくなるようなワクワクするストーリーを本能的に求めているのだと思う」と語る。
「仕事は自分自身の投影であり作品」が私の持論。だから、自分がワクワクしないものをつくっても他者が感動してくれるはずがないと思う。それは、雑誌の編集者が興味のないありきたりのテーマで、旧態依然とした内容の雑誌を出版しても喜びがわいてこないのと同じだ。やはり、今の世間ないし組織の人は何を求め、そのニーズにどうすれば応えられるか、それを常に問いかけ、工夫しながら編集できるかどうかがワクワク感をもてるか否かの分かれ目だと思う。もちろん、芸術制作でも同様だ。

 その点で、組織内外の多くの人の共感を得る上でも、この戦略ストーリーを描けるかどうかは、とても重要になってくる。
 楠木氏は言う。戦略の本質を一言で言うと、「違いをつくって、つなげる」。
 同業他社との「違い」がないとその事業に目新しさがなく魅力は半減するだろう。では、「つなげる」とはどういうことか。そこにストーリーの必要性が出てくる。そのポイントは「連動」。一つ一つの“手段”即ち“取り組み”が連動してこそ、大きなウネリを生み出し、より多くの人々の共感を得ることにつながる。
 それは、今年度から生長の家の月刊誌とインターネットのSNSサイト「ポスティングジョイ」が連動することで、読者参加が広がり、さらにポスティングジョイと生光展(美術展)が連動することで、同展覧会の入場者が大幅に増えたことにも証明されていると思う。

 こうした個別の取り組みを結んで連動させるワクワクするストーリーを描く。これが、これからの企業、組織の発展、そして個人の人生を豊かなものにするためにも、とても重要だと思う。

 小関 隆史

 2011年2月16日

【参考資料】
○『週刊 東洋経済』(2011/1/8号)「特集 ストーリーで戦略を作ろう」

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