講話

9月26日開催の「第5回絵手紙を描こう!」の報告

  先日、ご案内しましたが9月26日(金)の聖典講義で、「第5回絵手紙を描こう!」をテーマに講話を行い、引き続いて絵手紙を皆さんと一緒に描きました。
 参加者は、7人(女性6人、男性1人)でした。
 講話では、まず絵手紙を描くことが日時計主義の生き方の一つの実践であることを、テキストの『太陽はいつも輝いている 私の日時計主義 実験録』(谷口雅宣先生著)を使って説明しました。その後、ブログ「小閑雑感」と「光のギャラリー」を前方のスクリーンに映し出して、それぞれのブログに掲載されている最新作を紹介した後、絵を描く時に大切な心構えを、『絵を描く悦び』(千住博著)の「自然の中に答えがある」から引用して説明しました。要するに、「観察する(対象をよく見る)ことの大切さ」を話しました。
 最後に、「絵てがみで自分史を作る会」の主宰者である増田美恵子さんのエッセイの中から、絵手紙は絵の苦手な人の方が、かえって一所懸命によく見て描くのでいい、というような内容の文章を紹介し、結びとしました。
 今回、参加された方の中には、「誌友会で絵手紙をやりたいので学びに来ました。絵手紙を描くのは初めて」という方もおられましたが、実際に絵手紙を描いてみて、「とても楽しかった」と感想を話しておられました。
 参加者がいつもより少なかった分、お一人お一人と対話をする時間が多くとれ、絵手紙についての質問にも時間をかけて答えられたので、良かったと思っています。
 今回のモチーフは、「梨」「ぶどう」「みかん」「桜の落ち葉」でした。

 次に、当日、デジタルレコーダーで録音した講話の一部の音声データをアップしますので、ご参考まで。

1.『絵を描く悦び』(千住博著)から引用した部分(35秒)




2.『致知』2008年7月号の増田美恵子さんのエッセイから引用した部分(50秒)



 小関 隆史

 2008年9月28日

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第4回絵手紙を描こうの講話音声データ

 去る8月24日(日)に開催しました「日曜大誌友会」における第4回「絵手紙を描こう!」の中での講話を録音したものを掲載させていただきます。
 再生時間は約32分で、MP3形式(約29.4MB)のデータです。



 小関 隆史

 2008年8月27日

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第2回「絵手紙を描こう!」における講話の音声データ

  去る6月1日(日)に開催しました「日曜大誌友会」における第2回「絵手紙を描こう!」の中での講話を録音したものを掲載させていただきます。
 ライン入力ではなく、スピーカーの近くにICレコーダーを置いて録音したものですので、雑音等が入っています。その点をご了承の上、お聴きください。 再生時間は約40分で、MP3形式(約36.8MB)のデータです。


 小関 隆史

 2008年7月9日

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第2回「絵手紙を描こう!」における講話(4) ~絵手紙の描き方

絵手紙の描き方

 最後に、簡単に描き方の説明をさせていただきます。
 前方のスクリーンに描く際のポイントが出てきましたけれども、これから皆さんと、絵手紙を描きますけれども、まず色や形をよく観察していただきたいと思うんですね。
 例えば、シャクヤクでしたら、皆さん、これまでに1回でも2回でもシャクヤクを見られたことがあると思うんですけれども、初めて見るような気持ちで、目の前にあるシャクヤクと相対していただきたいと思うんですね。じっとその美しさを、何もかも忘れてただ眺めるということをしばらくしていただきたいと思います。描く時間はたっぷりありますので、どうぞ、描く時間を気にせずに観察してください。 
 その次に何をするかというと、今日は道具を持ってこられた方もいらっしゃるかも知れませんけれども、こちらでも道具を用意しております。鉛筆を用意しておりますので、鉛筆で、まず描く対象(モチーフ)のアウトライン(輪郭)のスケッチをしていっていただきたいと思います。そしてその次に、アウトラインが描けたら、例えばこのシャクヤクだったらピンク色とか、葉っぱだったら緑色を描くわけなんですが、ここでまた注意していただきたいのはですね、パッとみたらピンク色に見えるこの花もですね、実はよく見ると、紫に見えるところもあれば、あるいは赤の濃い色に見えるところもあれば、青っぽく見えるところもある。その部分部分によってですね、微妙に色が違うんです。そういうものが総合して、シャクヤクの花として私たちに美しさを感じさせるんですね。
 ですから、そういう微妙な色の変化を見て、それを表現していただけたら、よろしいかと思います。まあ、難しく考えずに感じたまま描いていただいたら結構なんですよ。 
 で、今日は絵手紙ですから、スケッチだけでもいいですけれども、そのスケッチを描いて何か感じたことがございましたら、例えば、誰かに自分が感じた思いを伝えたいというふうに思われたらですね、それを言葉にして、ちょっとスケッチの横に書いていただいたら、またそれもよろしいかと思います。
 例えば、「凛としたこの花を見ていると、自分の気持ちも清々しくなりました」とかですね。それは皆さんが感じられるまま描いていただいたら結構です。
 今日は、色鉛筆を持って来ておりますので、ご自宅から絵の具や色鉛筆を持ってこられていない方は、色鉛筆をお貸ししますので、後で、それをお使いください。

 それでですね、ちょっと簡単に紹介させていただきたいと思うんですが、実は、先日、5月18日(日)に第1回目の「絵手紙を描こう!」を開いたんですね、日曜大誌友会で。そこで、皆さんに描いてもらいました。そうしたらね、「絵を描くのは小学生の時以来だ」というような方がたくさんおられました。だけど誰一人描かれない方はおられずに、皆さん描いてくださったんですね。で、それが実にね、久しぶりに描いたとは思えないくらいに皆さんの作品が、素晴らしい立派な絵手紙になってたんですね。
 私は感動いたしまして、ブログに――私はインターネットで「光のギャラリー ~アトリエTK」というものを運営しているんですけれども、そこに早速、紹介しました。「載せてもいいよ」とおっしゃった方の作品だけですけれども。
 ちょっと紹介しますね、こんなふうに、皆さんに描いてもらったわけです(前方のスクリーンにブログに掲載された絵手紙を順次表示させる)。
 それで皆さんがこうして描いておられる間に、私は皆さんが描かれている近くを回って、「これ、どうやって形をとるんですか?」とか、「色はどう塗るんですか?」とかいう質問に答えていきました。ですから、今日も何か質問がある方は遠慮なくおっしゃってください。で、そうやって答えて皆さんに描いてもらったら、皆さんたくさん描いてくださったんですよ。
 それで、今日は一番前の席にいらっしゃいますが、Hさんという方は(実際は本名で呼ぶ)――Hさんちょっと立ってください。この方、Hさんですね。これね、初めて絵手紙を描かれたんですね、キュウリの苗を。そうしたらね、「きゅうりの苗、若い緑が生き生きしています。H」というふうに描いてね、立派でしょう?(拍手)
 そしてまだ他にも、例えばこれだったら、湯飲み茶碗を真上の方から描いたところなんですけれども、「私の大好きな宇宙(そら)がいっぱい湯飲みの中に広がっている」と書かれました。これは陶磁器製の湯飲みの中に塗られた上薬の青色から連想して、自分の大好きな宇宙(そら)と掛け合わせて描かれた。なかなか詩的でしょ? これいきなり描かれたんですよ、来て。
 そのほか、例えばこれは初めて描かれて、「これはKさんかな?(司会席の女性に語りかける)」。司会の方ですね。「おいしそうなサクランボです」 サクランボもですね、前回のモチーフにあったんですが、「Kさん、描いていて楽しかったですか?」 Kさん:「楽しかったです」 そうですか。それがいいですよね。楽しく描くというのが。 
  そういうように、皆さん、初めての方も一所懸命、描いてくださったんですね。ですから皆さん、今日ね、何も知らずにいらっしゃった方もおられると思うんです。「え~、そんなの絵手紙描くなんて!」と思われた方もいらっしゃるかも知れないけれど、これも何かの縁です。巷(ちまた)では絵手紙教室もあるくらいですから、絵手紙って結構ブームなんですけれど、あのね、やったらおもしろいんですよ~。
 ですから、ぜひね、やってみてください。時間は大体、30分から40分ほどありますから、ゆっくりとご自分のペースで描いていただけたら結構ですし、私が手取り足取り、お教えしますので、安心して描いていただけたらと思います。私も一緒に描きますので、よろしくお願いします。
 何か質問がある方いらっしゃいますか?  初めてだけど、よくわかんないな、とか。ありませんか? そうしたらね、ちょっと説明しますから、左手の方に花がずらりと並んでいますけれども、その一輪ずつのものをとっていただいてもいいし、あるいは大きな花でしたら、それを囲むように何人かの人で描いていただいても結構です。
 まず花を選んでいただいて、絵手紙の用紙もありますので、それも私が後ろで配りますので、用紙と鉛筆、色鉛筆、そういう道具をこれから後ろの方で配ります。消しゴムもあります。まあ、お一人お一人に行き渡りませんので、近くに座っている方と貸し借りしながら、やっていただけたらと思っております。
 それでは、講話と絵手紙を描く説明の方はこれで終わらせていただきます。ありがとうございます。(おわり)

 小関 隆史(TK)

 2008年7月5日

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第2回「絵手紙を描こう!」における講話(3) ~真象を見る生き方

真象を見る生き方

  続きまして3番目、「真象(しんしょう)を見る生き方」、これが今日のポイントでございます。これはどういうことかと申しますと、『聖経版 真理の吟唱』にですね、詳しく載っています。もし、今日、この本をお持ちでない方は、何かノートにメモしていただいて、自宅に帰られてから読んでいただければ、非常に参考になると思います。
 まず読ませていただきます。276頁の「良きアイディアを受信するための祈り」です。
  ゆっくり読みますので、お聴きください。

 良きアイディアを受信するための祈り

 神は無限のアイディアの本源であり給う。宇宙の一切のものを観察するならば、神が無限のアイディアの本源であることは誰にも解るのである。宇宙には木の葉一枚くらべてみても同一の樹でありながら、全然同じ葉脈をもった葉は存在しないのである。

 皆さん、前にシャクヤクの花がありますけれども、この葉っぱもですね、一見、同じような形に見えますけれども、このシャクヤクの一つの茎に連なっているこの葉っぱ一つ一つをとってもですね、まったく同じ葉っぱは一枚もないわけなんですね。
 
木の葉一枚一枚の輪郭のえがく曲線の美しさ、葉脈の流れの美しさ、しかも一枚一枚ことごとく異なりながら、美しいのであるから、その無限創造の神秘力に驚嘆するほかはないのである。

  こんなにたくさん葉っぱがあれば、一つくらいは変な形があって、見苦しいのもあってもいいかもしれないですけれども、それがないわけなんですね。みんな微妙に違って、素晴らしいんですね。美しい。

人々の指先にある指紋を見よ、それは一つとして同一のものは存在しないのである。その如くすべての人間の想念感情性格なども、全然同一な者は一人もいないのである。

 ということがありましてですね。皆さん、後で一緒に花をスケッチしますけれども、改めて絵を描くにあたって花を眺めて見た時にですね。今までは見逃していた花の美しさが、きっと見えてくると思うんですね。
 続いて、248頁、「有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り」を朗読させていただきます。

  私たちが花を見て、花の美しさを感ずることができるのは、私たちの生命(いのち)と花の生命(いのち)とが本来ひとつであるからである。私たちが空の星を見て、それを理解し天地の悠久を感ずるのも、星の生命(いのち)と私たちの生命(いのち)とが本来一体であるからである。或いはまた空の鳥を見て、その可憐さを感じ、その声の美しさに聴き惚れるのも、空の鳥の生命(いのち)と私たちの生命(いのち)とが本来一つであるからである。

 花を見て「ああ、美しいな」と思うのはですね、私たちの心の中に同じ美しさがあるから、それがいのちといのち、互いに感応して、感じ合って、そこに私たちが「美しい」という思いをですね、抱くことができる。私たちの中に美がなければ、美は感じることはできないんですね。ですから、絵を見て、その絵の良さが分からないっていう方はですね、やっぱりまだ、美を感じる心が開発できていないんですね。でも、ほんとに美を感じる心が養われてきたらですね。いろんな絵を見ても、その絵の美しさが分かるようになる。そういうことですね。

 私は、もともと大学で日本画を勉強していたんですけれども、最近また、日本画を勉強しようと思って本を読んでいるところなんですけれども、昨日読んだ本の中で、非常に心を打たれた文章がありました。これは、美と創作シリーズ『日本画を学ぶ 2』(京都造形芸術大学編、角川書店刊、税別6800円、平成11年5月20日初版)という題で出版されている本で、日本画家の松本勝さんという方がですね、その本の41頁の中でスケッチをする時にどういうことを感じるかということについて書かれています。それをちょっと紹介させていただきますね。

花を描くうえで大切な点は、花のもつみずみずしさ、質感、形である。そのため花がよく見えてくるまでスケッチに取りかからない。

  スケッチにとりかかるまで、例えばシャクヤクの花を描こうとしたら、すぐに鉛筆で描かないって言うんですね。しばらくその花をじっと眺めてですね、観察するんですね。「なぜこれは美しいんだろうか」などと考えながら、そのまま見つめる。で、この方は2、3時間も見つめていると、2、3時間も見るんですね! すごいですね。画家っていうのは、それほど観察するんですね。どういうふうに花が付いているか。花びらの一つ一つの形にはどういう法則があるか。そこまで見ていくんですね。

2、3時間も見ていると次第に形や色、花の特徴が明瞭となる。花のスケッチは朝が最適で、朝露に光る一花一葉は神秘な美しさに包まれ、触れると肉質を肌で感応できる。半開きの花びらが一瞬、動くときがある。それは感動の時で、花の生命を分け与えてもらった敬虔な気持ちにさせられる。(後略)(『日本画を学ぶ 2』、41頁)

 というふうにあるんですが、私も先日、家の近所の軒先に咲いているピンク色のバラの花と出合ったんですが、そのバラの花を早朝にスケッチしていると、20分ほど描いた時に、ふっと気がつくと花の形が変わっているんですね、最初に描き出したころと。「あっ、花っていうのは生きているんだな」ということをその時に感じるわけなんですね。そういうようにじっと観察していると、花は刻々瞬々ですね、生きていますから動いているということが感じられる。
 そういうことを思った時に、先ほど紹介した文章は、

 まさに、「いのち」と「いのち」が触れあう喜びを表現した言葉ではないでしょうか。
 花を見るという感覚を通して、花の背後(奥)にある神秘なるものに思いをはせる――スケッチは真理を探求することにもつながる行為だと、改めて思ったことでした。(「絵を描く喜び ~アトリエTK」2008年6月1日)

 というふうにね、私は昨日感じて、ブログに描きました。
 そういうようにスケッチを皆さんと一緒に描きますけれども、それは真理とかけ離れたことではなくて、逆にスケッチを通してそのものの本質に迫っていく。その本質――いのちなるもの――を私たちが感じる、それはとりもなおさず、真象(しんしょう:実在の投影のこと)を見て感じて、それを画面に表現するということであり、それは真理を生きるということにつながっていくわけですので、絵手紙を描いたり、スケッチをするということは、最初に申しました“日時計主義”――生長の家の生き方を生きることになるっていうことをですね、皆さまには改めて今日、体験していただきたいな、と思っています。(つづく)

小関 隆史(TK)

2008年7月4日

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第2回「絵手紙を描こう!」における講話(2) ~“感覚優先”の見方へ

“感覚優先”の見方へ

 続いて、2番目として「“感覚優先”の見方へ」というお話をさせていただきます。
  これはテキストの4頁、これは「はしがき」ですけれども、そこをちょっと紹介させていただきます。4頁の5行目からです。

それと同じように、本当の世界は善一元で悪はないという事実も、我々の感覚認識だけでは理解できない。しかし、太陽が東の空から昇るのを見れば、我々は「太陽はいつも輝いている」ことを思い出す。

 今日はですね、時には雨も降っていましたけれども、朝、気持ちがよかったですよね。ほんとに日差しが眩(まぶ)しくて、私は今朝早く起きたんですけれども、通勤途中に日が射してきて、道路脇に咲く花が光を浴びて、すごくきれいに見える。そして、その葉っぱを見れば、雨の滴(しずく)がいっぱい付いていて、きらきらきらきら輝いているわけなんですね。そうした時に、太陽の存在というものに目がいくわけですよね。普段、私たちは太陽の有り難さというものをなかなか改めて感じる機会は少ないですけれども、こういう雨上がりの日に太陽の有り難さを思い出すわけです。

それと同じように、我々はこの世界で実際に真・善・美に触れたとき、「善一元の本当の世界は常にある」ことを思い出すのである。

 ここが非常に大事なんですね。ですから、今日は皆さんと一緒に花をスケッチしたいと思いますけれども、改めて花をこうやって眺めてみたときに、その美しさの奥にあるもの、「なぜこんなに美しいんだろうか?」「何がこういう美を美たらしめているのか?」っていう、そこに思いを馳せながら今日は絵手紙を描いていただきますと、そこから感謝の思いがわいてくるわけですね。
 それが、前のスクリーンの矢印の下に書かれていますけれども、「すべてのものを虚心になって見、感じる」、それが“感覚優先”の生活なわけですね。ものの見方なんですね。 
 ともすれば、私たちは日常生活の中では、“意味優先”の生活をし勝ちなんですね。
 これは、人間の脳だとしますと(ホワイトボードに脳を正面から見た絵を描く)、こちらは左脳、これは意味優先ですね。で、こちらは右脳、こっちは感覚優先。それで、この脳というのは左右に役割分担があるわけですね、両方大事なんですけれども。しかし、ともすれば現代人は、日常生活の中で、忙しさのあまり意味優先の考え方に偏り勝ちなんですね。
 前回の日曜大誌友会でも話しましたけれども、例えば通勤する時だったら、私は家から最寄りのJR「西国分寺」駅まで約25分ほど歩くんですけれども、それが意味優先の考え方だと、「通勤するため」「電車に乗るため」という意味や目的があって家から駅に向かうわけですけれども、それに心がとらわれてしまうと、いくら途中の道路で花が美しく輝いていても、それに気づかずに駅まで歩いてしまうわけなんです。
 しかしながら、こちらの感覚(右脳)を働かせていると、駅まで行くという過程の中で、目にするもの、耳に聞こえてくるもの、肌で感じるもの、それを虚心で感じることが、歩くと同時にできる。駅に向かうという意味ある行動をとりながらも、右脳をうまく働かせることができる。そうやって左右の脳をバランス良く働かせて生活する。そういうことが、非常に私たちの心を豊かにして、人生に生き甲斐を見出すことにつながるわけです。そういう意味で、生長の家副総裁・谷口雅宣先生は、『太陽はいつも輝いている ――私の日時計主義実験録』というこの本に、なぜ今、現代人が右脳を働かせることが大事なのかっていうことを――今、私は簡単に説明しましたけれども――科学的根拠に基づいて、説明されているということなんですね。
 ですからぜひ、今日、このテキストをお持ちでない方は、前に聖典頒布係の方がいらっしゃいますので、買い求めになって読んでいただきたいと思います。谷口雅宣先生が素晴らしいのは、単にそういう理論を述べられているだけじゃなくて、実際にご自分が日常生活の中で絵を描いたり、俳句を作ったりして、実践されているんですね。そういう理論と実践が紹介されている本ですから、ほんとに参考になります。(つづく)

小関 隆史(TK)

2008年7月4日

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第2回「絵手紙を描こう!」における講話(1) ~日時計主義の生活とは

 去る6月1日(日)に開催しました「日曜大誌友会」における第2回「絵手紙を描こう!」の中での講話を筆録したものに若干の修正を加えた文章を掲載させていただきます。
 長文になりますので、何回かに分けて掲載します。 小関 隆史

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 皆さま、ありがとうございます。
 本日は第2回目の「絵手紙を描こう!」というテーマで日曜大誌友会を開催させていただきます。
 まず本日の簡単なプログラムの説明をさせていただきます。最初に30分ほど、私の方から「なぜ絵手紙を描くのか」ということについてお話をさせていただきまして、その後、絵手紙の実修を皆さんと一緒に、40分くらいですね、させていただいて、最後の20分間で神想観(※)を実修させていただいて、正午に終了とさせていただきたいと思っております。 (※  生長の家独得の座禅的瞑想法)
 皆さん、左手の窓際の方をご覧いただけますか? たくさんの花を今日は用意させていただきました。今日は皆さんと花を一緒に描いてみたいと思っています。前回は皆さんだけでしたが、今回は私も皆さんと一緒に絵手紙をこの場で描きたいと思いますので、興味のある方は私が描くところを見学していただければと思っております。
 先ほど司会からお話がありましたように、本日は生長の家副総裁・谷口雅宣先生の『太陽はいつも輝いている ――私の日時計主義実験録』という本をテキストとして使わせていただきたいと思います。それと、サブテキストとしてこの『聖経版 真理の吟唱』(谷口雅春先生著)も使わせていただきたいと思っております。また、時間があれば私が監修した『光のギャラリー 絵手紙はWebにのって』にも絵手紙等が載っておりまして、こちらも使いたいと思っています。

日時計主義とは?

 最初に、「日時計主義とは?」というテーマでお話をさせていただきたいと思いますけれども、前方のスクリーンに、「日時計主義とは、人生の“明るい面”に心の焦点を合わせた生き方である」という文字が出てきましたけれども、テキストの25頁を開いていただきたいと思います。25頁の真ん中辺に小見出し「日時計主義に必要な心」というところがございますので、そこから読ませていただきます。

 前著で詳しく述べたように、日時計主義とは、人生の“明るい面”に心の焦点を合わせた生き方である。日常生活の中で楽しいこと、明るいこと、感謝すべきこと、教えられること等に注目し、それを心に強く印象づけることで、「唯心所現」の原理を発動し、実際の生活を明るく、豊かで、感謝に満ちたものに変革する生き方であり、生活実践である。だから、単に理論や主義主張を訴えるだけでなく、日常の生活で具体的な行動を起こすことが重要である。

 というふうにございまして、簡単に言いましたら、前のスクリーンに出ておりますように、人生にはいろんな出来事がございますけれども、そういう出来事の中の明るい面に心の焦点――そこを心に印象づけて、自分自身も明るい気持ちで生きていくというのが「日時計主義」ということなんですね。
 つづいて、25頁の終わりから1行目のところを読ませていただきます。

まず、人生の光明面を発見し、それを具体的に記録することから始めよう。

 具体的にどのように心の焦点を合わせていくか、というところがですね、次に書いてあるんですけれども、そこを紹介させていただきたいと思います。

物事を心に強く印象づけるためには、単に心に留めるよりは、体を動かしてペンを持ち、ノートや日記帳を開き、そこに文章で記録する方法が有効である。

 例えばですね、今生長の家ではこういう『日時計日記』(谷口純子先生監修、生長の家刊)というものが発売されておりまして、これは毎日の生活の中で、良かったこと、楽しかったこととか、そういうことを、例えば夜寝る前に思い出して書く、あるいは朝目覚めた時にですね、どういう一日であって欲しいか、いうような思いを記すわけですね。
 例えば私、今日でしたら、こういうことをお祈りさせていただきました。「神様すでに本日の日曜誌友会が御心のごとく進行し、大きな実りが得られましたことを感謝申し上げます」。で、夜にですね、その結果、どうだったかということで「皆さんに大変喜んでいただけた」とか、「私自身も今日の誌友会でお話しすることによっていろんな気づきが得られた」とか、「ありがとうございます」と書くわけですね。
 そうしていったらですね、一日一日が「ほんとに神様に導かれているな」とか、「あっ、いろんな方の恵みで、あるいは助けで自分の今日の一日があったんだな」とか、そういう感謝の気持ちが起こってくるわけです。そういうことが、先ほど読んだところにありました「心の焦点を明るい面に合わせる」ということなんですね。
 で、26頁の2行目の終わりから読ませていただきます。

また、それを(そういう明るい出来事をですね)小説や戯曲、ブログの形で表現する

 ブログというのはインターネット上で誰もが見られる公開日記のようなウェブサイトです。そういうところで、明るい出来事を書いていくと世の中のいろんな人が見て、見た人が、読んだ人が明るくなる。そういう表現もできるし、

ものを書くのが苦手ならば、声を出して「ありがとう」「うれしい」「楽しい」「おいしい」「すばらしい」と言ってみよう。

 まあ、ご家庭を持っていらっしゃる方は、料理を作ってくれた奥様に、「おいしいね」と言ったりですね。あるいは、ご主人なり、家族が働いてくれていたら、「お疲れさま。あなたがいてくれるから、私たち生活できるのね」などと感謝の言葉を述べたりですね。「お父さん、お母さんがいてくれるから、自分はこの生命をいただきまして、ありがとうございます」と、そういうように両親に感謝の気持ちを言葉で表すとか、そういうことでもいいんですね。

さらにそれに表情や動作を加えれば、人々に伝わる明るさは倍加するに違いない。

 このご文章の後にですね、例えば詩をつくったり、俳句や短歌を詠んだり、写真やイラスト、絵画、音声、映像、音楽、彫刻…等々。まあ、いろんな表現ができると紹介されています。本日は絵手紙を描きますけれども、絵手紙に限定することなく、そういう美しいものとか、楽しいことを表現するってことが、日時計主義を生きる時にですね、大切なんですよ、ということなんですね。

 画面が変わりました。先ほど、日時計っていうのは、明るい面に心の焦点を合わせるって言いましたけれども、それはなぜなのかというと――「唯心所現」という文字がスクリーンに出てきました――これは「心で認めたものが現れる」という意味の真理なんですけれど、この世の法則で、「心で認めたものが、私たちの周囲に現れてくる」という法則があるんですね。ですから、明るいものを心で認めれば、ますます明るいものが、周囲に展開してくる。自分も健康になるし、周囲にも明るい出来事が増えてくる。
 こういう言葉を皆さん聞いたことはありませんか?
 喜べば 喜びごとが喜んで 喜び集めて 喜びに来る

 そういうふうに、自分がまず喜べば、それに波長が合った「喜びごと」が、喜んで自分に近づいてくる。そして、私自身もますます喜びが出てくる。そういう好循環、喜びが喜びを生み出していくという、そういうのが人生に出てくるわけですね。
 それは、同時に「唯神実相」という、これも生長の家の根本真理なんですけれども、神が創造された本当の世界は善一元である、このことも日時計主義の生き方の大きな柱になっているんですね。
 ですから、ただ単に明るい物事を見ていくという上っ面(つら)の明るさではなくて、物事の奥にある、例えば一見マイナスなり、欠点と見える奥に、すばらしさを見出していくということもまた、日時計主義の生き方なんですね。
 例えば、もし家族なり同僚が機嫌が悪そうに見えたとしますよ。ぱっと見て、「ああ、なんか今日は機嫌が悪そうだな」と。そうしたら、表面的には「機嫌が悪い」というのは、いわば「悪」ですね、良い悪いでいえば「悪」に見えるわけです。しかし、そこで日時計主義を生きる私たちは、「なぜ、そう見えるんだろうか?」とふっと思うわけですね。そうしたら、そういう不機嫌そうに見える奥にある、その人の心はどういうものなのかな、ひょっとしたら、その人に何か事情があって今日は気分が悪いのかもしれないっていうふうに相手の立場に立って見た時にですね、ちょっと自分が一呼吸おいて冷静になれるわけですよ。さらに、「彼も神の子だから本当は素晴らしいんだ」という思いで見直すとですね、その人に対する接し方も変わってくるわけです。ただ単に、「腹を立てているなぁ」という目で相手を見ると、なんか話しかけにくくなったりしますけれども、そういう表面的なものにとらわれずに、その奥を見つめて、相手を思いやって、そして、神の子として尊んで普通に接していくと、意外と相手もこちらの思いが映ってですね、和やかに会話ができるようになったりすることがあるんですね。
 そういうように、ただ単に物事の、誰が見ても良いと思うことを認めるというだけではなくて、一見悪く見えるものの奥にもですね、実は素晴らしいものがあるというように、ものの奥を見つめていく生き方、それが日時計主義でもあるわけなんですね。

 ちょっとここで、まとめてみますと、日時計主義というのは、先ほど説明しました「唯心所現」と「唯神実相」という2つの宗教的原理、これは生長の家の教えですけれども、その根本的な教えに基づいた生活実践であります。ということですから、私たちが生長の家の生活をしていく上で大切にしたい生き方であります。(つづく)

小関 隆史(TK)

 2008年7月3日

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講話 「絵てがみを描こう(5)」  道具から制作の手順まで

*道具を用意します 

 まず、筆を用意します。筆には、細いのから太いのまで、いろいろと種類がありますから、「Web絵てがみ教室(2)筆の選び方」を参考にしてください。
 上の記事の中でも紹介していますが、「水筆ペン」というのが、2、3のメーカーから売り出されています。これが便利な点は、筆洗が要らない点。水筆ペンのボディー部分を手で軽く押してやると、筆先に水がしみ出ます。あとは、濃く塗りたい時は、水分を少な目に、淡く塗りたい時は、たっぷりの水で絵の具を溶いてみてください。一つの色を塗り終わったら、筆先に水をしみ出させた上でティッシュで拭いて筆先をきれいにします。そうして、別の色の絵の具を塗っていく……、この繰り返しです。もちろん、水筆ペンではなく、普通の筆でも結構です。その場合は、次の「その他の道具」で紹介する筆洗を使ってください。
 筆以外の道具を次に紹介します。「絵てがみ教室(3)その他の道具」を参照してください。ここには、筆洗や絵の具からハンコまでの道具が写真入りで紹介されています。それらを見ながら、あなたが必要だと思うものを用意してください。

*絵てがみの描き方

 次に、絵てがみを描く手順について、まず、オーソドックスな「墨」を使って描くケースから紹介します。「Web絵てがみ教室(4)柿を描く」をご覧ください。基本は、まず、描く対象(モチーフ)の輪郭線を筆で描き、その後、絵の具で塗っていきます。その際、「淡い色から濃い色へ」という順番で塗っていくと、色が濁らずに作品に厚みが出てくるはずです。
 また、最後にハンコの事にも触れていますが、消しゴムとカッターナイフで自作のネーム入りのハンコを彫ってみるのもいいですね。私は、タカシの「た」を一字だけ彫ったハンコを何種類か作りました。また、画材店で売っている市販の雅印を使ってみるのも手です。そうしたハンコが用意できない場合は、もちろん手書きのサインで結構です。
一方、最近、「光のギャラリー」の方に掲載した「 Web絵てがみ教室(8)王林を描く(TK)」の場合は、墨ではなくて、耐水性の極細サインペンを使って制作した作品です、ご参考まで。

*絵てがみを送ろう

 絵てがみが普通の絵と大きく異なる点は、文字が入っていることと、それを第三者に送る点。文字は、自然に思い浮かんできた言葉を飾らずに書けばよいですし、送り先は、親しい友人・知人、そして親に送ったらどうでしょう? きっと喜ばれると思います。
 もちろん、送る前に作品をスキャナーでデータ化したり、デジカメで撮影しておき、後から、「光のギャラリー」の方へ投稿くだされば、「Web誌友会 ~絵てがみを描こう」での作品として掲載します。そこで皆さんと一緒に合評会を行ったら楽しいですね。
 もちろん、絵てがみの現物をTK宛に送っていただいても結構です。こちらで、スキャナーで読みとってデータ化して、アップします。送り先は、「光のギャラリー ~アトリエTK」のトップページのタイトル下をご参照ください。

 それでは、皆さん、それぞれが描きたいものを選んで、ぜひ何か「絵てがみ」を描いてみてください。
 どうぞ、楽しんで!

小関隆史(TK)

2008年2月20日

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講話 「絵てがみを描こう(4)」  絵てがみ愛好家の声

*発見する喜び

 次に、実際に絵てがみを描いた方の声を3人ほど紹介しましょう。
 最初は、昨年から絵てがみを始めたというhi-eco-pon-akiさんです。この方が昨年10月に私が運営するブログ「光のギャラリー ~アトリエTK」の方に投稿してくださったのがこの「柿の絵てがみ」です(左の“柿の絵てがみ”の文字をクリックするとリンク先が表示されます)。
 初心者とは思えないほど、柿の特徴をうまく捉えておられるでしょう? この絵てがみが私の手元に届いた時、宛名面に書かれたコメントを読んで、思わず膝を打ちました。次のようなhi-eco-pon-akiさんの言葉が私の胸を打ったのでした。

「描いてみると、描いたあとにも、果物や野菜のすみずみが頭に残り、“色々な表情があったのだ。すばらしい”と思うようになりました」

 絵を描くことで、対象をじっくりと観察し、それまで気づかなかった果物や野菜の固有の特徴に気が付いたというのですね。私は思わず、「絵を描くことによって対象を新鮮な気持ちで見つめ、そのものの特徴や美しさに改めて気づく…というのは、絵を描く醍醐味だと思います」とコメントを付けました。まさに、「発見する喜び」がここにあります。

*絵てがみは心と心をつなぐ“架け橋”

 次の方は、高校で美術教師をされているNさんです。Nさんは、絵てがみ歴2年という方。遠方の郷里に住むご両親に、毎日、絵てがみを出しているということです。
 この方を紹介した記事、「Web絵てがみ教室(6)絵てがみ愛好家、Nさんの場合」をちょっと読んでいただきたいと思います(左の「絵てがみ愛好家、Nさんの場合」の文字をクリックしてください。リンク先にジャンプします)。

「美術作品を作ろう」なんて思わず、昼食に食べたカレー、おやつに出された“せんべい”1枚など、手近なものを万年筆で輪郭を描いて、色鉛筆で簡単に色づけしている――実にあっさりした、肩の力が抜けた作画姿勢でしょう? だから、毎日、続けられるのだと思いますね。Nさんからの絵てがみを、大事にファイリングされているご両親も、すてきですね。絵てがみは、そうやって、送り手と受けての心をつなぐ“架け橋”のようですね。

*千の言葉よりも、心のこもった1枚の絵てがみ 

 最後に紹介するのは、岐阜県在住のミチオさんです。絵てがみを遠方で暮らす知人に送って自殺を思いとどまらせたという体験の持ち主。その話を、「Web絵てがみ教室(7) 絵手紙こぼれ話~遅咲きのサザンカ」で紹介しました。
 絵てがみに込めた真心は、必ず相手に届く――そんな感を強く抱きました。

 以上、今回は、絵てがみ愛好家の実例を紹介してみました。絵てがみの魅力の一端を感じていただければ幸いです。

 次回から、いよいよ「絵てがみを描く」の実践編に入っていきます。(つづく)

小関隆史(TK)

2008年2月18日

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講話 「絵てがみを描こう(3)」  何を描くか?

*何を描くか

 前回お話ししましたように、絵は基本的に自由に描いてよいのですが、「何を描くか」というのは、非常に重要になってきます。そうですね~、まずは、自分が興味を引かれるもの、好きなものを描いたらよろしいんじゃないでしょうか。私のごく身近な方で、ハイエコポンさんという方がおられるのですが、実にケーキの絵が多い。作品例)「サクラロール」 どうです、楽しい絵でしょう? ケーキの各部分も、よく観察して描かれています。こういう絵の雰囲気は、描く対象のケーキが好きだからこそ描けるのだと思うのです。
 風景、人物、静物…、描く対象は無限にあります。絵てがみの場合は、そうした描く対象(モチーフ)を前に、スケッチをするように描いてもいいですし、次に紹介する作品のように、楽しかった出来事を思い出しながら、絵日記をつけるように描いてもいいと思います。作品例)木綿豆腐さんの絵てがみ

*絵を描くことが“日時計主義”を生きることに 

 皆さんは、“日時計”ってご存じですか? 日常生活の中ではあまり見かけないかも知れませんね。これは屋外にある時計なのですが、1本の直立した棒があって、それを囲む平面上に時計の数字(盤面)が刻まれている。どうして、それで時間が分かるかというと、太陽が出ている時だけは、その直立した棒に陽光が当たって盤面に影を落とすから、つまり、太陽の角度によって刻々移り変わる影の変化によって時を知ることができるのです。そのように、太陽に象徴される「明るい出来事」だけを心に記録していこうという生き方を生長の家では、“日時計主義”と呼んでいます。
 今回のテキスト『日時計主義とは何か?』(谷口雅宣先生著)の中に、“日時計主義”の説明がありますので、少し紹介します。(以下、引用)
 
私のいう「人生の喜び」とは、収入の多寡や所有物の多さのことではない。他人と比較などしなくとも、自分の周囲に、そして自分そのものの中に、真実や善や美はあるのである。それを見出すための心の訓練が「日時計主義」である。(同書5ページ)

 ですから、私たちが日常で出合った美しい風景や花をスケッチしたり、先ほど紹介した木綿豆腐さんのように、家族や友人との楽しい出来事を思い出して絵てがみに描いたりすることは、実在(本当の世界)に根をおろした真実や善や美を日常生活の中で見出していくための心の訓練にもなり、それがそのまま「日時計主義」を生きることになるわけです。

*“意味優先”から“感覚優先”へ

 一方、何かと忙しい現代社会の中で、ともすれば私たちの生活は、“意味優先”“目的優先”の生活になりがちです。例えば、会社に来客があり、ラウンジで応対する際、席についたテーブルの上に花が生けてあったとします。その時、“意味優先”で生きていると、来客との仕事の打ち合わせという「目的」だけに集中してしまって、いくら美しいユリの花が生けてあっても、「花が生けてあるな」くらいにしか思わないかも知れません。目の前にある美も、私たちが認識しなければ、「ない」のと同様です。そういうように、この世界には、真実や善や美がたくさんあるのに、それを見たり、感じたりする心のゆとりがないばかりに、気づけないでいる。随分、もったいないことだと思います。
 その点、絵てがみなどを毎日のように描いていると、“感覚優先”のモード、すなわち常に題材を探して、美のアンテナを張っていることになりますから、先のテーブルに置かれたユリを見ても、「ユリがある」という意味にとどまらず、「なんて優美に咲いているんだろう」と心が動く。それと同様に、職場のカウンターに置かれた一輪挿しのガーベラ、昼休みに外食を兼ねて散歩していた時に見つけたレンガづくりの興味深い建物などを見ても、「花」「建物」というそのものの意味を超えて、「描きたい対象」として迫ってくることがあります。描く時間がなくて、歯がゆい思いをすることも多々ありますが…。(笑)

 次に、テキスト『日時計主義とは何か?』の中で、こうした“意味優先”と“感覚優先”について言及されているところを紹介します。

 私は先に“意味優先”と“感覚優先”の視点を紹介し、前者の視点で見るとつまらないものでも、後者の視点に切り替えると、その価値が認められる場合があると述べた。そして、「感覚は私たちを直接感動へと導くことができる」と書いた。しかし、それは、感覚の刺激によって「本当にある世界」を知ることができるという意味ではない。それでは、快楽主義と何も変わらないだろう。私が言いたいのは、私たち人間にとって、肉体はこの世における表現の唯一の媒体だから、肉体の付属器官である感覚からのメッセージをないがしろにするな、ということである。
 すでに何回も書いたように、「人間が感覚する世界(現象)と本当にある世界(実相)は異なる」というのが生長の家の信仰の基本である。だから、感覚によって直接“神の国”や“仏の浄土”を見たり、感じたりすることはできない。私たちにできるのは、感覚を通しながらも、感覚の背後にある「本当の世界」を知ることである。(同書、87ページから88ページ)

 私たちが目の前の風景や生き物の絵を描きながら、自然や生命(いのち)の神秘に感動することが、「本当の世界」を知ることにつながることを思うとき、絵を描くことって素晴らしいなぁ、と改めて思うのです。(つづく)

小関隆史(TK)

【参考資料】
○『日時計主義とは何か?』(谷口雅宣先生著)生長の家刊

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講話 「絵てがみを描こう(2)」  絵を描く魅力

*絵を描く魅力

 皆さんの中には、「これまでに絵を描いたことがない」という方は、ほとんどおられないと思います。なぜなら、子供のころに幼稚園や小学校で必ず、図画工作の授業を受けておられると思うからです。でも、中には幼いころに絵が思うように描けず、「自分には絵の才能がない」と思い込んで、長じるにつれて、「絵を描くこととはオサラバ~」、と思うようになった方もいらっしゃるのではないかと想像します。
 私のごく身近にも、そういう人がいて(あえて誰かは伏せます、笑)、以前、市販のカット集なんかを見せてイラストを描き写してもらったことがあるのですが、もちろん、コピーするように「そっくり」というわけにはいきませんが、一見、稚拙な感じに見える表現の中にも、なんともいえない“ほのぼのとした味わい”や“人柄”がにじみ出ていて、私などは、「いいなぁ」と思ったものです。

 この例のように、絵はその描き手の、「その人らしさ(人柄)」が自然ににじみ出るもの。これは絵の最大の魅力だと私は思いますね。音楽なども同様なのでしょうね。例えば、ピアノでも同じ曲を違う人が弾くとちがった感じに聞こえてくる。私は音楽に関してはまったくの素人ですが、それでも違いが分かることがあります。2、3年前から日本でも有名になったピアニストで、フジコ・ヘミングという日本人女性がおられますが、あの方の演奏を聴くと非常に“哀愁”を感じるといいますか、情感が伝わってきて胸を打たれるものがあります。幼いころから才能豊かな方だったようですが、海外でこれから売り出そうという若き時代に病気で難聴になり、孤独な生活の中で大変な苦労をされたようです。でも、そうした苦難を乗り越えた強さが、得難い人生経験となり、彼女のかけがけのない音楽的個性となって今、花開いている――私はそう感じているのです。

 ちょっと話がそれましたが、絵の魅力の2つ目として、「絵は初心者でも始めやすい」ということが言えると思います。極端な話、鉛筆1本と白い紙が1枚あれば、絵が描けるんですから。難しい音符なども覚える必要がない。自分が見たまま、感じたままを画用紙に描けば、それが他人の評価は別として、絵になる。こう描かないといけないという型はまったくないのです。美大受験の予備校や美術研究所などで、「影はこういう鉛筆のタッチでつける」とか細かいことまで最初から型にはめて指導するところがありますが、あれは目前に控えた受験用の教え方であって、できれば避けたい。なぜなら、いったん身に付いた型、クセから抜け出すのは大変で、そういった「硬さ」がデッサンに限らず、絵の制作の方にも反映されてしまうからです。
 ちょっと専門的な解説になってしまいましたが、とにかく本来絵には決まった描き方はないということをご理解いただきたいと思います。   
 とはいえ、絵の基本は写生、つまりデッサンということには変わりありませんから、まずは、何か自分が描きたいと思うモチーフ(絵を描く際の対象物、りんご、みかん等)を選んできて、それを鉛筆やサインペン、あるいは毛筆で描くことから始めてみるといいでしょう。最初は、思うような線が引けなくて、嫌になることもあると思いますが、少々、曲がった線になっても「これは味わいのある線が引けた」と自己満足して微笑むくらいの気持ちで(笑)、楽しんで描いていただければよろしいかと思います。大家といわれる画家のスケッチを見ても、部分的に建物の線など「ぐにゃり」と歪んでいる場合があります。でも、スケッチ全体を見た時に不自然ではなかったりします。それは、作者の感動が絵に表れているからです。一見ゆがんだ線が、かえって温もりを感じさせてくれることもありますからね。
 子供が描く絵もそうですね。写真のようには形を描き写せてはいないかも知れませんが、何を描きたいのかが、はっきり伝わってくる場合が多いです。例)子供たちの絵てがみ
 そのように絵はどのような表現をしてもいい、自由自在なのだという点で、安心して描いていただきたいと思います。(つづく)

小関隆史(TK)

2008年2月16日

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講話 「絵てがみを描こう(1)」 はじめに

* はじめに

 みなさん、こんにちは!
 私は、生長の家本部講師の小関隆史です。今日から、何回かに分けて、「絵てがみを描こう!」というテーマでお話しさせていただきます。
 テキストは、宗教法人「生長の家」が発行しております『日時計主義とは何か?』(谷口雅宣先生著)を使います。参考資料は、追々ご紹介します。

 すでに私は、「絵てがみ教室 ~アトリエTK」というブログ(日記形式のウェブサイト)を2006年6月に開設して、そこに「Web絵てがみ教室」というカテゴリーを設けて、絵てがみの描き方を紹介していますので、今回の講話では、その「Web絵てがみ教室」と随時リンクさせながらも、主に、絵てがみを描く意義説明の部分に力点を置いて、話を進めていきたいと思います。

 Web上での講話の特徴は、ネットにつながっている方でしたら誰でも、それぞれの都合の良い時間に閲覧できる点であり、さらには連載の途中からでも、前の回の内容に関して感想や意見、質問などがコメントとして書き込めることです。つまり、時間と空間の制約を超えられるメリットがあります。もちろん、顔と顔を合わせての直接的コミュニケーションがもたらす魅力が享受できないことは残念ではありますが、ともかくも、今可能な手段を使って試みる価値はあると思っています。

 それでは「絵てがみを描こう」のテーマで、次回からいよいよ講話の本編がスタートです。

小関隆史(TK)
 
2008年2月15日 

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