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講話

2010年9月 9日 (木)

講話「子供は皆、天分をもって生まれてくる」(2)

○障害や能力の有無に関係なく人間は皆尊い神の子

 思い返せば、長女が3歳くらいの時、言葉の発達の遅れに気がつき、専門家に相談した際、「お父さん、もしお子さんを大学に行かせたいと思っておられるなら、それは難しいかも知れません。成長するにつれて今よりもほかのお子さんとの発達の差が広がっていくことが予想されますから…」とはっきり言われ、涙がこみ上げてきそうになったことがありました。
 しかし、幸いなことに、私は生長の家で「人間は、障害や能力の有無に関係なく、すべて神の子で尊い存在である」と教えられ、信じておりましたから、すぐに気持ちを切り替えて、「先のことは分からないけれど、この子に最大限の愛情を注いで育てていこう」と心に決めたのでした。
 おかげで、長女は、明るい人柄で、人と交わることが大好きな少女へと成長し、将来の自立への道をしっかりと歩んでいます。
 私たちはともすれば、子供に何か問題があった時に、親である自分がなんとかしないといけないと思って力んだり、先のことを心配して暗い気持ちになり勝ちです。でも、本当は何も心配はいらないのです。

○絶対安心な“神様エスカレーター”に載せる教育を

 谷口清超・前生長の家総裁の著書『さわやかに暮らそう』(日本教文社刊)には、子供たちをそのコースにのせたら大丈夫という「神様エスカレーター」の話が載っています。



《 このエスカレーターでは、神に全てをうちまかす。神様エスカレーター上では、一切の「荷物」をおろしてしまうことが義務づけられる。一切のはからい心、世俗心、ひっかかり、体面などをすべて、神様への捧げものとして、差し出してしまわなければならないのである。(同書、32ページ) 》


 子供たちは、それぞれ使命と天分をもってこの世に生まれてきました。ということは、親が力んで頑張らなくても、ちゃんと使命を生きるために必要な資質はすでに子供たちは神様から与えられ備えているということです。親がここをしっかりと認識することが子育てで重要なところだと思います。
 私は今、ベランダでささやかな菜園をつくっています。プランターでミニトマトやゴーヤを育てているのです。ホームセンターで黒土と有機肥料を買ってきて土壌をつくり、そこに苗を植えて、水をやっています。すると、自然につるが伸びて、花が咲き、その後、小さな実がたくさん表れて、毎日、少しずつ大きくなっていきます。太陽の日差しを浴びながら、水と土から養分を吸収して野菜たちは、どんどん育っていくのです。
 まるで子育てのようです。実の中には、まっすぐなもの、曲がったもの、小さいもの、大きいもの…同じ茎から出ていても実に形や大きさはさまざまです。でも、その一つ一つには、“いのち”が宿っていて、毎日観察していると実に愛おしくなってきます。
 私も、自分の子供たちが大好きです。だから、その子らしく伸び伸びと育って欲しい。子供たちがお世話になっている学校の先生方、生長の家の講師の方々、地域の皆さんに感謝しつつ、私も一番身近な子供たちのサポーターとして、これからも彼らの歩調に合わせて歩んでいくつもりです。<了>

小関 隆史

2010年9月9日

※この原稿は、インターネット上にある「生長の家相愛会父親教室」の2010年「8月の講義」として掲載された文章を加筆・修正したものです。
「生 長の家相愛会父親教室」:http://www.jp.seicho-no-ie.org/father/index.htm

講話「子供は皆、天分をもって生まれてくる」(1)

○小学生練成会で副班部長に抜てきされた長女

「ええっ! 副班部長に?」

 今年7月、合宿形式で小学生が真理を学ぶ夏季小学生練成会(東京第二教区)で、中学1年の長女が、班ごとに分かれた小学生の参加者たち7人ほどをまとめる班部長を補佐する副班部長を任せられると聞いて、一瞬、耳を疑いました。

 長女は、現在、身体や知的の障害をもつ生徒が通う「特別支援学級」というクラスのある中学校に通っています。長女の場合は、知能指数が少し劣るため、学習面では普通学級の授業についていけないのですが、身のまわりのことは何でも自分でできます。しかし、それにしても小学生の子供たちをうまくリードできるのだろう か、親としては多少心配でした。

 小学生練成会が近づいてきたある夜、子供部屋から何やらブツブツとつぶやく長女の声が聞こえてきました。いぶかしく思った私は、後で部屋から出てきた長女に尋ねると、練成会で副班部長として小学生たちに伝えたり、案内することを想定して予行演習(練習)していたと言うのです。やる気満々なのです。これには感心しました。
 さらに、今回、長女が副班部長に抜擢されたのは、長女が小学生練成会に参加していたころから、ずっと班部長としてお世話してくださっていたOさんという50代の女性信徒(白鳩会員)の方が、「私がサポートしますから」と強く推薦してくださったということが妻の話で分かりました。私は、そのことを聞いて、長女に役を与えて成長させたいと願ってくださっているOさんのお気持ちが強く伝わってきて、大変ありがたく思いました。

○

生き生きと活躍する長女の姿に安堵

 こうして迎えた小学生練成会の当日、なんと、班部長の予定だった女子高生がほかの班の班部長になり、長女が副班部長から班部長に昇格することになったというのです。それを、当日、会場に長女と小学3年の次男を送って行った妻から聞かされた私は、また「えっ!」とビックリしました。
 が、あとは長女を副班部長の立場でサポートしてくださるOさんに任せるしかなく、不安と期待が入り交じった気持ちで、練成会の最終日、会場に子供たちを迎えに行った私は、広い会場で長女が生き生きと小学生たちをお世話する姿を見て、ほっとしました。
 そして会場でOさんの姿を見かけてお礼の言葉を告げるや否や、「○○ちゃん、がんばってましたよ。みんなの前で披露した寸劇でも大きな声でセリフも言え て…。褒めてあげてください」と、にこやかに報告してくださいました。
 その時、私は思いました。子供は夫婦だけで育てているんじゃない。Oさんのように、たくさんの方が私の子供たちに成長の機会を与えてくださり、導いてくださっている。心からありがたいと思いました。
 私たち夫婦には4人の子供がいます。そのうち、この長女と小学5年生の長男が軽度の知的障害をもっています。一番下のもうすぐ4歳になる三男も、言葉の発達が同年代の子供よりも遅れていて、発達の遅れがある就学前の幼児が通う保育施設に通っています。以前に、「障害のある子供たちを育てるのは、大変でしょう?」と言われたこともあります。実際、子育てに手がかかることは事実です。しかし、私は、子供たちが私たち夫婦を親として選んで生まれてきてくれたことを、心からうれしく思い、感謝しています。ふと、愛しくなってじっと子供の顔を見入ってしまう時がよくあります。今は休日くらいしかゆっくり接してあげることができず申し訳ないと思っているのですが、4人の子供たちには「生まれてきてくれてありがとう」と機会あるごとに伝えてきました。
 
今回、班部長の“大役”を果たした長女のように、それぞれの子供たちが一歩ずつ成長する姿を見させてもらえるのは、親として何よりの喜びです。
(つづく)

小関 隆史

2010年9月9日

 ※この原稿は、インターネット上にある「生長の家相愛会父親教室」の2010年「8月の講義」として掲載された文章を加筆・修正したものです。
「生長の家相愛会父親教室」:http://www.jp.seicho-no-ie.org/father/index.htm

2010年7月 2日 (金)

特別授業「絵手紙を楽しもう!」(4) 〜感じたものを素直に描く

◆写真みたいに描かなくていい
 ですから、あまり自分は上手に描けないとか関係ないんですね。自他一体を感じるということが大事なわけですから。今回の事前アンケートの中にも、「絵を描くことが好きですか?」という質問したら、「いいえ」にチェックされた方がいらっしゃったんですけれどーーほんとに率直に答えていただいてうれしかったんですがーーその理由として、「上手に描けないから」あるいは「イメージ通りに描けないから」とありました。よく誤解されるのはね。絵というのは写真のように描けばそれが上手な絵かというと実はそうではないんですね。写真のように描けば…というんだったら写真を撮ればそれで済むわけでしょう? 何もわざわざそれを絵にしなくても。ですから、絵を描くっていうことは、その人の感動が表れているところにその絵の価値はあるんです。ですからね、後で私も皆さんと絵を描きますけれども、描く時に少々線がゆがんでたっていいんですよ。あとで見本を見せますけれども私だって写真みたいに描いてないですよ。これは私が母に出した絵手紙なんですけれど、「みかん」ですけれど、歪んでいるでしょう? でも実際ね、よく観察してみたら、みかんはまんまるじゃないですよね、歪みがある。歪みがあるけれども、そこに生命の温かさっていうのを感じますよね。そしたら皆さんは、感じてーーこの感じることが大切なんですーー例えばこのジャガイモ、ボコボコしているけれども何となく素朴な魅力があるな。そういうのを感じることが大事なんです。そうしたら、その感じたものを、じゃぁそのまま描こう、ということで筆で描いたりする。たとえ思ったように線が引けなくても、感じているから、自然とそれが表れるんです。感じたものが表れる。これ不思議ですけれどもね。私はいろんな絵手紙を見ていますけれども、それは確かです。ですからどうぞ、皆さんも安心して描いてください。

◆感じるまま、思いのままに描けばいい

 それでね、最後になりましたけれども、『光のギャラリー 〜絵手紙はWebにのって』の221ページ「あとがき」の上から5行目のところから読ませていただきます。

 私は、ブログを通して「絵手紙を初めて描きました」とおっしゃる方の作品をたくさん見てきました。そのたびに、「本当に初めてなの?」と疑いたくなるほど、どの作品も立派な絵手紙になっているのです。(本書に収録した作品のように!)
 私は、「どんな人にも美点があるように、どんな絵にも必ず良いところがある」と思っています。その視点で絵や絵手紙を鑑賞しています。例えば、同じ「みかん」を描いても、描く人によって異なった味わいの絵になります。色に感動した人、形に感動した人…、それぞれ感じ方が異なるのですから、その表現も異なるのは、当然といえば当然です。(いいんですね。人が描いたみかんと違っていても、その人なりのみかんが描ければいい)それが、おもしろいのですね。
 どうぞ、感じたまま、思いのままに、絵筆をもって、気軽な気持ちで描き始めてみてください。(引用おわり)



 今日は、こういう気持ちで皆さんに絵手紙を描いていただければいいと思います。


 

小関 隆史



 

2010年7月2日
 


2010年7月 1日 (木)

特別授業「絵手紙を楽しもう!」(3) 〜絵手紙は自他一体の真理の実践


◆芸術の本質とは

 次に『自然と芸術について』(谷口雅宣著、生長の家刊)をテキストに使って、芸術の本質、絵手紙を描く意義について学んでみたいと思います。
 まず、「芸術の本質」について、この本の18ページに次のように説かれています。

 芸術と云うものは、生命を捉えて生命で描いたものである。(同書18ページ)

 生命っていうのは、例えば、ここにボウルに入ったお野菜(ニンジン、タマネギ、ジャガイモなど)がありますけれど、これらは生命ですね。生きている命。これを、「ああ、きれいだなぁ」と私たちが感動して、それを絵に描く。生命と感動する自分(生命)との触れ合い、そこから生まれてくるのが芸術なんだということなんですね、簡単にいうと。

 その生きている生命を画家が生きている生命で捉えて描けばそこに立派な生々とした絵ができるのである。(同書19ページ)

 皆さんに今日は絵手紙を描いてもらう時に、伝えたいポイントが一つあるんですけれども、それは20ページに書かれています。つまり、感動が大事だということですね。やっぱり、描く対象に魅力を感じないと、絵を描こうという気持ちは起こってこないんですね。ですから、先日皆さんにお出しした絵手紙に「当日は何か自分が描きたいモチーフを持参してください」と書いたのは、そういう理由です。
 何か描きたいものーーそれは果物であったり、花であったり、マスコットであったり、動物であったり、いろんなものであっていいんですけれども、それを描きたいと思うのは、その対象に魅力を感じているから、そう思うのですね。そこで「描きたい!」という気持ちが起こってきた時に、すでにもう皆さんの生命が動き出しているんです。それが大事なんです。ですから、その感動なり、「おもしろいな」と感じるような、何らかの心が動き出すことが大事なんですね。そういうモチーフを後で皆さんに選んでいただいて、絵手紙を描いていただければなぁ、と思っています。

◆絵手紙は「自他一体」の真理の実践
 そして、今日は一番お伝えしたいことは何かというと、この本の26ページに書かれているのですけれども、前から4行目のところから読みます。

 芸術というのは、このように本質的に「いのちは一個として孤立していない」ということを表現の場で体験することなんですね。生命は孤立していないーーここに私がいて、その外に世界が広がっていて、世界と私との間には何の交渉(関わりのことですね)もないのではなくて、あそこに素晴らしい建物がある、あそこに見事な野菜がある、あそこに魅力的な自動車がある……でもいいです。そういう何か自分を惹きつけるものは、生命の表れなのです。(同書26ページ)



 ですから皆さんね。これはちょっと聞き慣れないかも知れないけれども、こういう果物が「生命の表れ」だというのは、しっくりくるでしょう? まさに生きているという感じがする。でも、これも(と言って、置き時計を手にする)生命の表れって言うと、「えっ?」っと思うかも知れません。だって、動かないし、無機物ですよね。でも、こういう置き時計にしても、テレビにしても、あるいは建物にしても、それは誰かの思いがここに表れて、こういう形になっているんです。それは、一つ一つのパーツは物質なんですけれども、それをこういう形に表している何者かがある。それは、これを設計した人の心が表れている。ですから、その設計者の生命がここに表れているんです。だから、感動するんですね。建物を見ても、建物自体は単なる物質かも知れないけれども、それを設計した人の心がそこに表れているから、私たちは「きれいな建物だなぁ」と感動する。それは、その建物を通して「いのち」を感じているからなのです。
 私たちが何かの絵を描く時も同様です。その対象を物質だと思って描くんじゃなくて、そこに素晴らしい生命が表れているんだな、と感じることが大事。そのペンケースだったら、その赤い模様、これをデザインした人がこれを伝えたかったんだなぁ、などと感じながら絵手紙を描く。そうしたら、次に書いてあるように、



 そういう「対象」を通して、いのちの触れ合いが行われるのが芸術制作の現場である。だから、そこには「いのちは皆つながり、お互いを高め合っている、感動し合っている」という自他一体の体験がある。(同書26ページ)

 ここでね、「いのちは皆つながり」とあるでしょう? だから、私たちが絵を描く時に、生命と生命が触れ合うことを通して、一体感を感じるわけですね。絵を描くということは、単にモノを写すこと以上に一体感をもたらす。例えばこのグレープフルーツ描くことによって、グレープフルーツとして表れた生命と一体になる、それが絵手紙を描くことの大きな意義なんですね。次も読みます。



 言い換えれば、そこには実相が映し出された“真象”が表れている。(同書26ページ)



 この「真象」というのは「ほんとうの形」という意味で、神様の世界の素晴らしさが現象世界(目、耳、鼻、口、皮膚の五感で感じられる世界)にそのまま“素通し”で表れてきた姿。それが、絵手紙を描く行為を通して表れているわけなんですよ。

 それを自分の仕方で表現することで芸術が生まれる。だから、芸術表現は「自他一体」の真理の解説にもなるし、実践でもあるわけです。(同書26ページ)



 ですから、今日一つ覚えていただきたいことは、絵手紙を描くことは、自他一体の真理の実践なのだと。皆さんね、絵手紙を通して、自他一体(自分と他のものは、心の世界で一体なんだ)ということが実践できる、そういう価値があるんですね。だから、生長の家が今、絵手紙だけではないですが、さまざまな芸術活動を通して、そのような自他一体の自覚を皆さんに感じて欲しいがために、今日も、こういう絵手紙の特別授業を行っているわけです。これは単なるカルチャー教室を生長の家が開こうとしているのではなくて、真理の実践の機会(場)なんですね。そこを、しっかり認識していただけたらと思います。(つづく)


小関 隆史



2010年7月1日


【参考資料】

○『自然と芸術について』(谷口雅宣著、生長の家刊)、2009年6月発行

 

2010年6月29日 (火)

特別授業「絵手紙を楽しもう!」(2) 〜母に送る絵手紙

 ◆母への絵手紙がきっかけで
 次に私が絵手紙を描くようになったきっかけを、『光のギャラリー 〜絵手紙はWebにのって』(生長の家刊、2008年5月)の中から引用する形で紹介します。56ページをご覧ください。
 以下、引用

 私が絵てがみを描くようになったきっかけは、平成14年4月に実母が東京から和歌山に転勤になったことだった。
 慣れない土地での一人暮らしは心細い面もあるだろうと思い、自分に何ができるかを考え、絵てがみを毎日出すことにした。
 (中略)
 母は、「絵てがみを毎日見るのが楽しみ」などと言って、喜んでくれ、16年10月に初めて母が住む部屋を訪れた時には、リビングルームの白い壁いっぱいに、私が送った色とりどりの絵てがみが張り出してあった。
 それを見たとき、母が私からの絵てがみを、どれだけ喜んで受け取ってくれていたかが、一瞬にして分かったような気がして、うれしかった。
 (引用終わり)

 この前も、6月初めに母が住む京都に帰ってきたのですがSk_woal、今も部屋の壁にこんなふうに絵手紙が何枚も張り出されていました(右写真)。

◆絵手紙は今を生きる喜びにつながる
 次に、ちょっと飛ばして57ページの上から4行目から読みます。(以下、引用)

 絵てがみを描いて送るということは、相手を喜ばせるだけではなくて、自分自身の人生をも豊かにしてくれると思っている。身近な日用品、近所の家の軒先に咲く花、趣のある建物、子供たち…そうした普段は見過ごしがちな自分と触れ合う周囲の存在(もの)を、立ち止まって見つめ、その中に美しさや神秘さを見出すことは、今を生きる喜びにつながる。
 幼いころに絵日記を付けていたような無垢で気軽な気持ちで、これからも、絵てがみを続けられればいいなぁ、と思うこの頃だ。(引用終わり)

 このように、絵手紙を描いて送るということは、相手に喜んでもらえるだけではなくて、自分自身にもいろんな発見の喜びをもたらしてくれるものです。

◆絵が苦手だと思う人でも…
 次に紹介する作品は、田中道浩さん(生長の家本部講師、現在は青森教区教化部長)が初めて絵手紙に挑戦された作品「すっとんきょうなブタくん」です。私が毎月1回、住んでいる寮で開催している「絵手紙教室 アトリエTK」に初めて参加された時に、ご自宅から持参したこのブタの貯金箱を描かれたのです。なかなかかわいいでしょう? ご自身にとっても手応えがあったらしく、この作品を描いたことがきっかけで、それからどんどん絵手紙を描いていかれるようになりました。
 この田中さんは、実はかつて「絵を描くのが苦手」だったのですが、絵手紙を描き始めたことで、次のように変わっていかれました。
 生長の家の総合誌『いのちの環(わ)』Vol.2(2010/5)の23ページから、田中さんの言葉を引用します。

「絵手紙を描き始めてから、周りを見る自分の目(心)が変わりました。先ず周りを、ものをよく見るようになりました。今までは踏みしめることしかなかった落ち葉を見てきれいな葉を探している自分がいました。(中略)雨の降る日に蜘蛛の巣の十字に重なっている所に雨の滴がたまり、きれいな円形の巣が輝きを放っているのを発見しました」(『光の泉』2010年2月号、信仰随想「絵を描くよろこび」43頁、日本教文社刊)

 この落ち葉の話は、私は直接、田中さんから聞いたのですが、見る目(心境)が変わると、ここまで見える世界が違ってくるのですね。歩くために踏みしめる落ち葉から、美を鑑賞する落ち葉へ。
 皆さん、私たちの周りには、私たちが気づかないだけで、美しいものに満ちあふれています。こちらが、美のアンテナを立てるだけで、それは見えてくるものなのですね。絵手紙を描くことで、美に対する感性は磨かれ、自然に自分の周りの美しさが発見できるようになってきます。(つづく)

小関 隆史

2010年6月29日

 

特別授業「絵手紙を楽しもう!」(1) 〜導入

 22年6月26日(土)、生長の家養心女子学園における特別授業「絵手紙を楽しもう!」を担当した際の導入講話の主な内容を数回に分けて紹介します。
      *          *           *
◆絵手紙を描く喜び、もらう喜び
 皆さん、はじめまして。このたびは養心女子学園の特別授業に呼んでいただき、ありがとうございます。
 また、絵手紙に関する事前のアンケート調査にも協力くださり、ありがとうございました。アンケートを見て、「絵手紙をもらったことがある」という方がほとんどおられませんでしたので、「絵手紙をもらった時にどんな気持ちになるか」をまず皆さんに体験していただきたいと思い、先日、私から事前に皆さんに絵手紙を送りました。届きましたよね。
 私から送った絵手紙の画像を前のスクリーンで紹介します。
Tk062210a_2  まずは、Sさんに送った作品です(左)。実はSさんは今年の5月3日の生長の家青年会全国大会で体験発表されていたので面識がありました。その際、「明るい方だな」という印象がありましたので、ひまわりの絵を描き、ひまわり=太陽というイメージがありましたので、こういう言葉を添えました。
 Tk062210c_2次の絵手紙はAさんに送ったものです(右)。Aさんのお名前から「茜空」を連想して、私がかつて羽田空港で見た「夕日に富士のシルエット」の光景を思い出して描きました。
 Tk062210d続いては、Rさんに送った作品(左)です。こちらもお名前から「夏」を連想し、先日、私が出張先で見た鹿児島の桜島を描き、大きな島に「でっかい夢」をかけた言葉を添えました。Rさんはどんな夢をお持ちか知りませんが、大きな夢を描いて進んで欲しいという願いを込めて描きました。
 次は、SSさんに送った作品(右)。お名Tk062210e前から、赤いハイビスカスが咲く南の島を連想しました。安直かも知れませんが…(笑い)。やはり、夕日が思い浮かびました。
 最後に、Mさんに送った作品を紹介します。実は、Mさんのお名前と名字からすぐに連想できなかったので、祈りました。「Mさんにとって、もっともふさわしい絵手紙が描けますように…」と。すると、花のイメージが浮かんできましたので、このような花を描きました(左)。
Tk062210f  以前にスケッチをしておいた花がありましたので、それを見ながら描いたものです。小さな一つ一つの花にも生命(いのち)が宿っていることを言葉に添えてみました。
 この5枚の絵手紙を実は明け方までかかって一気に仕上げたのですが、描いていてすごく気分が良かった。一人一人の相手の方のことを想像しながら絵を描いている時に、何か自分の思いが、距離を超えて絵手紙を送る相手のところまで飛んでいっているような不思議な感覚がしました。
 皆さんにも、今日は後で絵手紙を描いてもらって、そうした喜びを実感していただきたいと思っています。(つづく)

 小関 隆史

2010年6月28日

2009年10月 1日 (木)

「第10回絵手紙・絵封筒を描こう!」における講話(5) ~最終回、心惹かれるものを描きましょう

心惹かれるものを描きましょう

 皆さんもどうぞ今日は後ろのテーブルにいろんなものを――こういう「つっこみ如来」を描いてもらっても良いし、あるいはこういう落ち葉をこの機会に、いっぱいありますから是非見てみてください。実にこの一枚の落ち葉の中に微妙な色彩が表れてます。千住博という世界的にも評価の高い日本画家の方はですね、“自然の中に、もっとも美しい配色のパターンがありますよ。葉っぱの緑を見てください。その葉っぱの緑の中にほんとに美しい配色があるんですよ”って言ってますね。ですからそういう「美しさを発見する」っていう気持ちでね、見ていただいたら、そこには形の美しさ、色の美しさなど今まで感じたことのない世界が皆さんの前に開けていきます。それを素直に絵で表現していただければ、そこに皆さんの感動が絵に表れて、それはきっと私が見たら「あぁ、この方はこういうところに感動されたんだな」っていうふうに分かる。良さが必ず表れている。それが私に伝わってくると思います。
 ですから今日は皆さん是非、絵手紙でも絵封筒でもいいですし、チャレンジしていただきたいというふうに思います。どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございます。

 絵の題材を選ぶポイントは、眺めてみて、「面白そうだな」とか「これは綺麗だな」とか、心惹かれたものを描いていただけたら結構かと思います。それが一つモチーフ選びのポイントでございます。鉛筆も用意していますので、基本的な描き方としては、鉛筆やペンや筆で、ものの輪郭(アウトライン)をとって、それに色を着けるというのが一つの基本です。基本はあくまで基本で、「いや、自分は色から描きたい」と思われる方は色鉛筆から描いていただいても結構ですし、「この描き方でないといけない」っていう、そういう決まったルールはございませんので、どうぞ自由にのびのびと描いていただけたらと思います。
 ハガキからはみ出るように描いていただいても結構ですよ。「あぁ、これは迫力があるなぁ」と思ったらですね、バーンと思い切って画面からはみ出ても、逆に良いのができるかもしれません。御参考までに。よろしくお願いします。
 私はちょうど前の席でですね、絵手紙を実際に描きますので、最初どう描いたらいいか分からないという方はそれを見学に来ていただいても結構ですし、後ろにあるモチーフをすぐに描きたい、じっくり時間をかけたいという方は即描いていただいても結構です。よろしくお願いします。

(おわり)


小関 隆史

2009年10月1日

「第10回絵手紙・絵封筒を描こう!」における講話(4) ~才能がないと思っている人に

才能がないと思っている人に

 それでですね、この中に「自分は絵なんか描いたことない。絵というのは才能のある人だけが描けるんであって、自分にはムリです」って思ってる人もいるかもしれないけれども、そうじゃないんです。皆さんの中にね、才能が隠れてるんです。

 実例を紹介しますね。私は毎月第2木曜日の午前中、自分の住んでる寮で絵手紙教室(リアル版アトリエTK)というのを開いてまして、まさに今日のような場ですね。その絵手紙教室に、半年ほど熱心に通ってこられた方で、今は青森教区の教化部長をされている田中道浩さんが、最近「そのままのこころ」というご自身のブログで絵手紙を描くようになったきっかけを紹介されてたんですね。「僕が絵を描くようになったわけ」っていうタイトルの今年9月19日の文章で。その内容をちょっと朗読させていただきますね。
 ※ 以下の( )の中は私の註釈です。

 ぼくが現在のように絵を描くようになったのは昨年の9月11日からだ(まだ最近ですよね)。それまでは絵が得意でなく、自分には描けないと思いこんでいた。でも、生長の家では絵手紙を描くことを勧めている。さて、どうしようかと考えていた時だ。同じ寮に住む小関さんが寮で絵手紙教室を開催してくれることになった。最初は参加するかどうか迷っていたが、家内と2人で思い切って参加してみた。最初に文房具屋に絵手紙の道具を買いに行った(最初に参加者全員で道具を買いに行ったわけです。大手の文具店が私たちの寮の真向かいあるので)。それで、その道具を見ていると不思議なことになんだかやる気が湧いてくる(絵でもね、絵の具とか画材をそろえるとやる気が出て来るんですよ)。寮に帰り、小関さんの指導、描く対象をよく見ること。一番良いと思う角度から描くこと

(まぁ、こういうカボチャでもね、一番美しく見える、「あぁ、いいなぁ」と思う角度から描いたら良いですよと、そういうことをアドバイスしたんですね)

と指導があった。そして目の前で手本に果物を描いてくれた。それが大胆な色遣いで「あぁ、そういう風に大胆に塗っても良いんだ」と思った。


 まぁ、ほとんどの参加者が初心者でしたので、見本にまず私が描いてみたんです、皆さんの前で。今日も後で皆さんの前で描いてみます。もう充分ベテランの人は見なくて良いですよ。即実習に移って欲しいんですけれども、絵てがみを初めて描くとか、「どうして描いたらいいか分からない」という人は私が前で描きますので、それを見て参考にしてもらったらよろしいかと思いますね。でね、この田中さんが描いたのはブタさんの貯金箱。これ初めて描いた絵手紙だそうですね(と言って作品を見せる)。「はじめて絵てがみかきました! すっとんきょうなブタくん」と言葉が添えてあります。それで私がですね、「あぁ、良い色が出てますね」と良いところを褒めてあげたんですね。そうしたらすごくうれしかったようで、この初めての絵手紙制作を通して、次のようなことを田中さんは気づいたんですね。

 絵を描いている時は今に集中して、ほんとに今を生きている。頭の中を過去や未来が占めるのではなく、今、その今を生きている。頭の中ですごい切り替えが行われたと思う。そして自分でも全く描けないわけではなく、描けるということが分かった。

 素晴らしいことに気づかれたでしょう。それがね、田中さんの中で大きな自信になって、今や青森教区の教化部長として、自分が描けるようになった喜びがあるもんですから、教区の信徒の皆さんに絵を描く喜びを伝えておられるんです。それで、先日もこういう皆さんに集まって絵を描いてもらったら、こんなステキな絵手紙が描けましたということで、ご自身のブログで参加者の絵手紙をされて、今、青森教区で絵手紙を描く人が増えてきてるということを知りました。

 ですから私は田中さんが喜んで絵手紙を描き、「どなたでも描けますよ」と絵手紙の輪を広げておられる姿を見た時にですね、私自身は小さなころから絵は好きだったけれども、絵が苦手だと思ってる人も、絵手紙を描くことがきっかけで絵を描く喜びを感じることができると改めて気づかされました。

 そして田中さんは直接私に言ってくださったことがあります。「今までだったら落ち葉なんか踏んで歩くもんだと思ってたけれども、今はそれを拾ってその美しさを眺めて、それを絵を描く事ができるようになった」と。ずいぶん大きな変化ですよね。「踏む物」と見ていたものから「美を愛でる対象」への変化です。そういう変化が起こってきて、見える世界が変わってきた。ほんとにそういう自然の美しさを感じたりできる感動ある日々を送ることができるようになったということなんですね。
(つづく)

小関 隆史

2009年10月1日

2009年9月30日 (水)

「第10回絵手紙・絵封筒を描こう!」における講話(3) ~感じたままを素直に表現する

感じたままを素直に表現する

 感動ある生活を送るための第1番目に大切なことは、感覚優先モードに切り替える事。第2番目に何が大事かというと、「感じたままをそのまま素直に表現する」こと。これが実は、絵手紙を描くコツでもあるんです。「感じたままをそのまま素直に表現する」っていうことがすごく大事なんですね。
 これに関する部分が説かれたところを紹介します。テキスト『自然と芸術について』の47ページをちょっとお開きいただけますか? 『新版 幸福生活論』をお持ちの方は318ページに書いてありますね。「いのちといのちと触れ合っていのちを表現したのが芸術である」って言うことですね。その真ん中辺のところを読みます。

 そういう具合に、いのちといのちと触れ合って、いのちを表現したのが芸術である。先ず芸術家が無我になって対象に対して自分のいのちを投げかける。そして対象のいのちと一つになって対象のいのちを自己に摂取してそれを表現するのである。(『自然と芸術について』47ページ)

 これはどういう事かと言いますとね、私が今日持ってきました「カラスウリ」。面白いでしょ、このカラスウリ。これは、私の同僚の方が趣味で農園をされてるんですけれども、草刈りをしていてこのカラスウリを発見して、そのまま捨てるんじゃなくて、「小関さんに持っていったら絵手紙描くんじゃないかな」と思って職場に持ってきてくれたんです。それで、これを見てたらですね、同じカラスウリの実でも色が違ってね、両方きれいでしょう? 緑の実は緑の美しさがあり、このオレンジ色の実は、オレンジの美しさがあって互いに引き立てあってますよね。これを見て、「ああ、きれいだなぁ」って感じるわけです。このいのちが。このカラスウリのいのち、カラスウリのいのちは、いわばここに現れているわけですよね。その現れているカラスウリのいのちを私が「ああ、きれいだな」と思うことによって、私のいのちがカラスウリのいのちと触れ合ってるんです、ここで。感応しあってるんですね。そして「きれいだな」と私が思ったその思いを絵に描くとそのいのちが表現されることになる。そこに客観的にね。で、それを見た第三者が「小関さんはカラスウリのこういう色の対比を美しいと思ったんだな」と思って、絵手紙なんかをもらった人に私の感動が伝わるわけです。絵手紙を通して。

 それでここが大事なんですけども、じゃあ、普通のこういうビンとか、一見、死物――いのちが無いと見えるもの――に対してはどういう気持ちで描いたらいいか、ということもこの『自然と芸術について』には分かりやすく書いてあるんですね。今日は時間の関係でかいつまんで説明しますと、この容器だったら容器を作った人がいるわけです。設計した人がいる。それで、これはですね(と言って、踊るようなおどけたポーズをとった玩具の“仏像”を掲げる)、先日ちょっと子供たちと、遊園地に行った時にゲームをして入手した景品です。面白いでしょ、仏さんがなんかこんな風におどけてますけど、「つっこみ如来」って言う、これ懐中電灯なんです(笑い)。これ“意味優先”だったら懐中電灯なんてこんな形にデザインしませんよね。遊び心があるからこういう形してるんです。

 でね、やっぱりその物にもね、それぞれの作者のいのちが表現されてるっていうことがこのテキストに書かれてるんですね。それはどういう事かというと、このオリーブオイルのビンだったら、オリーブオイルらしい色をしてますでしょ? グリーンの濃い。そこにこういう反対色である赤い帯のラベルが貼ってあって、その上にはオリーブオイルのイラストが白地に深いグリーン色で描いてあって、なんかステキじゃないですか。一目見て、「ああ、いいなぁ」と僕は思ったんです。家の食器棚にあったんですけれども。そうした時に、作者のいのちと私のいのちがここで触れ合う。そういうことなんです。
 こちらの仏像型懐中電灯は、これを企画・デザインした「みうらじゅん」っていうタレントさんと私のいのちが、私が「あぁ、おもしろいな」と思うことで触れ合ってるんです。それを感じたままをそのまま素直に表現すればいいんですね。絵手紙や絵封筒で。
 今日は、私が後ろに用意した、落ち葉や花、置物などの中から、皆さんが気に入ったモチーフを選んでいただいて、絵を通して感動を表現していただきたいと思っております。
(つづく)

小関 隆史

2009年9月30日

【参考資料(テキスト)】
『自然と芸術について』(谷口雅宣著、生長の家刊)

2009年9月28日 (月)

「第10回絵手紙・絵封筒を描こう!」における講話(2) ~感動ある日々を送るためには?

感動ある日々を送るためには?

 それでは、次に、どうすれば感動ある日々を送れるようになるのか、というポイントをお話ししていきたいと思います。
 もうすでにここにいらっしゃる方の中には、「日々感動している」という方も多いと思うんですけれども、「感動したいんだけれども、なかなか感動できず平々凡々な日々を送ってしまっている」という方も世の中にはいらっしゃるわけなんです。
 まず、感動できるきっかけは、“感覚優先モード”になる必要があるんですね。
 で、これは、生長の家総裁・谷口雅宣先生が常々ご指導くださっている事なんですけれども、この人間の脳――脳の話を簡単にしますね――ごくごく単純に脳を図に描くと、正面から見たらこんな感じで、こっちが左脳ですよ。左にありますからね。こっちが右脳。右側にある脳ですね。これはですね。左脳というのは、「論理的」。これは、こういう意味があって、こうするんですよ、というように論理的に判断する脳。それに対して、右脳は「感覚的」。「この落ち葉、きれいだな!」とかね、そういう感性を司る脳なんですね。で、双方には、メリットとデメリットがあるんですね。左脳のいいところ、メリットはですね。いろんな判断ができる。これは自分にとって必要か、必要でないかとか、それぞれに意味づけをしたりできる。そうすることによって「効率的な生活」ができるわけです。例えば、真っ赤なリンゴを見てもね、「ああ、そろそろ熟してきているな」とか判断できるわけです、色を見て。一方、デメリットもあるんですね。全部、意味とか目的ばかりを優先に生活してしまうと、例えば、家から最寄り駅まで行く際、「駅に行く」という目的を持って歩くわけです。すると、その目的ばかりにとらわれていると、道中にどんなに美しい風景があったとしても、それに気づかなかったりする。そういう「意味優先」、「目的優先」に偏ってしまうと、「潤いがない生活」になってします。
 ところが、この右脳の場合のメリットは、感覚器官を司りますから、感動があるわけです。花を見て「きれいだな!」とか、そういう感覚器官を通して感動を得ることができる。じゃあデメリットはどうなのかというと、いわゆる感覚にばかり流されてしまうと、日常生活に支障が出たりする。日常生活が滞ったりする。
 例えば、今朝、おもしろいことがありました。「今日は皆さんと一緒に何を描こうかな?」と思って、家から最寄り駅までの間で、ちょうど今、桜の落ち葉がきれいなんです。私の家の前には、桜並木がずっと続いている。今朝、まず目に付いたのは、桜の落ち葉。すごくきれいでしょ(と、参加者に落ち葉を見せる)。黄色から緑に変わるグラデーションがなんともいえない美しい色です。それから、家から駅までずっと25分くらいあるんですけれども、ずっと下を向きながら歩いていたんです(笑い)。いつもは、前向きに生きているんですよ(笑い)。でも、今日は下向きに生きてたんですけれど。そして、途中で武蔵台公園の中を通ったら、ドングリの実が落ちていたんです。ドングリもまたかわいいな、と思って、また下を向いて実を拾いながら歩いていたんです。そしたら、気がついたら、全然、駅と違った方向に向かって歩いていたんです(笑い)。これがデメリットです。日常生活に支障が出るんです、感覚にばかり流されちゃうと、気がつけば方向違いの方に行ったりする。「ああ、そうか、これが右脳に偏るデメリットだな」と今朝は再確認しました。
 それで、じゃあ、その辺のことがテキストにどのように書かれているかというと、42ページの最初から3行目ね、ちょっと読みますね。

  普段我々は、多くの場合、物事に名前をつけて、それで事足れりとしている。

  これは左脳がやっていることです(論理を司る脳)。名前をつけるということは、言語を操作して、物事に意味を与えるということで、左脳はそれで事足れりとしている。

  あそこにミカンがあり、テレビがあり、テーブルがあり、電話が鳴っている――という程度の認識しかしていない。そこに置いてあるミカンの表面の滑らかな曲線や、艶やかで弾力のある皮の質感、手に取った時の心地よい重さ、鼻を近づけると分かるあの甘酸っぱい香りなどは一切無視して、「あ、ミカンだ」と対象に名前を貼りつけて、すぐに別の対象に注意を移していく。                (同書42ページ)

 というふうにね、皆さん、普段ね。私たちは日常生活の中で、いろんな周りのものに接している中で、「あっ、カボチャがある」と見て、今日の食材はね、これの「煮物にしようかな?」とか、そういうように考えるかも知れないけれども、まじまじとですね、カボチャを手にとって、この模様のね、なんともいえない美しさを味わうということは、なかなか普通の方はできないですよね。それは、ついついモノに名前をつけて、これはこういう意味なんだと、この左脳だけを使ってしまっている傾向があるんじゃないか、ということなんですね。
 で、43頁の終わりから7行目をちょっと読みますね。

 普段から「忙しい、忙しい」という心で生活している人にとっては、そうしないと(さっき、みたいに意味づけをしないとですね)会社や子供の学校に行く時間に遅れてしまうのでしょうから、無理のない面もあります。しかし、そのために分刻みで効率のいい生き方を左脳を使って行っても、それをやればやるほど、右脳の方がおろそかになる危険性がある。

 っていうことなんですね。
 ですから、谷口雅宣先生は、現代人の生活が、皆さんそれぞれ、右脳も左脳も持っているんですけれども、忙しい人なんか特に左脳に偏りがちじゃないでしょうか、もっと右脳の方を、感覚的な面を開発していくことで、左右バランス良く使っていく、これが大事なのだと。左脳は左脳としての役割がありますから、これも大事です。私みたいにね、ドングリを拾っていて、あらぬ方向に行っては生活できませんから。左脳も大事にしながら右脳も働かせる、左右の脳をバランス良く働かせた生き方をしていきましょうっていうことなんです。これが、私たちが豊かに感動ある日々を送る大きなコツというかポイントなんですね。
 そうして皆さんが、今まで活用してこなかったかも知れない右脳を開発していく時にですね。どうしたらいいか、ということが次に書かれているんですね。 
(つづく)

小関 隆史

2009年9月27日

【参考資料(テキスト)】
『自然と芸術について』(谷口雅宣著、生長の家刊)

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