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TKの本棚

2011年9月 1日 (木)

TKの本棚(23)被災地への思い新たに 〜河合隼雄著『「日本人」という病』より

『讀賣新聞』(8/28朝刊)の書評欄で、臨床心理学者の故・河合隼雄さんが阪神・淡路大震災の際に書かれた文章「震災後の復興体験」という原稿が掲載されている『「日本人」という病』という書が紹介されていた。
 薄れがちな被災地への思いを新たにしたいーー。そう思って、近くの図書館で同書を借りて読んだ。
 同氏の他の書と違わず、説得力があって読み易い、というのが第一印象。読んでいると著者を前にして話を聴いているという感覚になる。

本当に分かってくれる人に悲しみを打ち明ける

 河合さんは、阪神・淡路大震災の際、奈良に住んでいて自身は大きな被害に遭わなかったものの、従兄弟を一人亡くされている。
 震災の被災者ではないが、河合さんは、心に大きなショックを受けた数多くの人の相談にのった経験から、被災者の心理を説明していく。
 そこで教えられることは、
 人間は大きなショックを受けると、自身の身を守るために、瞬時に感覚が麻痺して、その体験自体を忘れてしまうことがあるということ。なぜなら、ショックで死んでしまうことがあるから。
 しかし、人間は忘れ切ることはできず、後から徐々に思い出し、悲しみがやってくることも。個人差があり、年数を経て思い出すこともある。
 また、天災の場合、怒りの矛先を向けるところがなく、やり場のない怒りの感情を、家族に向けてしまうこともあるという。
 そこで、河合さんは、震災で出た悲しみや苦しみは、「本当にわかってくれる人に向かって表現する」といいと指摘する。つまり、悲しみを語る(表現する)側と、聴く側との人間関係が非常に大切で、信頼関係があってこそ意味があると。 
 私は、被災地に行った際に、1カ月経っても夫が行方不明だという知人に会ったが、その方も、ある時期が経ってから、自分と同じように夫と早い時期に死別した人たちに電話して相談した、とおっしゃっていた。まさに、河合さんの指摘通りだ。自分の気持ちを分かってもらい、慰めや励ましを受けることで、気持ちが前向きになる。被災者と支援者との信頼関係が大切だというのは、被災地で合わせて半月間、活動した私の実感でもある。

つながりと決断の両立という課題

 さらに、興味深いのは、被災者が震災後も暴動を起こすことなく秩序を保っていたことと、政府の対応の遅さが、「ひょっとしたら日本人の同じ心のあり方から来ている」と河合さんが指摘している点。つまり、日本人の良い面と悪い面が出ているのだと。
 その同じ心というのは、簡単に言えば、「みんなで一緒に」という考え方。今回の東日本大震災でも、「絆」「つながり」という言葉が、被災地内外を問わず、いろんなところで見られていたが、日本人には西洋の個人主義と対極にあるところの一体感がある。それが、被災地での助け合いの姿となって現れてもいた。
 一方、政府もまた、いろんな省庁間で「つながり」があり、関係各方面と「調整」をしなければ動けない、ということがあったのではないか、だから阪神・淡路大震災の時も政府の対応が送れたーーと河合さんは指摘する。
 つまり、「みんなと一緒」という日本人的な考え方は、一方では調和という良い面で現れ、他方では、危急に際しても、「勝手なことはできない」という理由で迅速な判断、対応ができず、後手後手に回ってしまう、というキケンをはらむ。
 これは、今回の東日本大震災においても同様だろう。
 そこで、河合さんは、「日本的なつながりを維持しながら、ここぞというときに決断できる自分があり得るのだろうかということを、よく考えて欲しいのです。私はそういう気持ちでさえいれば、できると思っています。簡単にはいきませんが、心に留めているだけでも、ずいぶん違うと思います」と語る。よくよく自分の肝に銘じたい。

 ほかにも、さまざまな実例を挙げて、人間の心の素晴らしい仕組みを、臨床心理学の立場から紹介している本書は、被災者も復興支援に取り組んでいる人にも、ぜひ、一読して欲しい良書だと思う。

小関 隆史

2011年9月1日

○河合隼雄著作集(第2期)10『「日本人」という病』(岩波書店)
○『「日本人」という病』(河合隼雄著、静山社文庫) 

2011年3月 1日 (火)

Brooklyn Parlor(ブルックリン・パーラー)

 仕事が半ドンだったので、前から一度来てみたかった新宿の「Brooklyn Parlor(ブルックリンパーラー)」に来てみた。最近、「古書店とバー」「書店とカフェ」を組み合わせた店が都内に少しずつ現れてきている。この店もその一つ。デパートの地下一階にあるのだが、ブルックリンの名の通り、レンガの壁や古材風のフローリングなど、どこか古きアメリカという感じの落ちついた雰囲気の店。壁面には備え付けの書棚があり、「グラフィック」「たてもの」「絵本」「雑誌」などのカテゴリ別にいろんな種類の本が並び、好きな本を手にとって席で読める。購入も可能だ。近頃流行の“マンガ喫茶”とは随分異なり、上品な大人の雰囲気がする。座席にもいろいろタイプがあって、ゆったりしたソファー、アーリーアメリカン風の木のテーブル、相席になる大テーブル等々。私は一人だったので、ステンレス製のオシャレな2人用のテーブルに案内された。
 マシュマロの付いたラズベリーホワイトラテをオーダーして、『光の教会 〜安藤忠雄の現場』という本を書棚から選んで席で読む。店内を見渡すと、本を読まずに会話をしている人、私のようにパソコンを打っている人、読書をしている人、さまざまだ。「図書館みたいだね」と隣席から声が聞こえてきた。無線LANでネットにもつながるので、この記事もあとでこの店からアップしようと思う。

 さて、私が手にした『光の教会』だが、やはり読むべくして手にとったということが分かった。無意識のうちに、私の問題意識に合う本を選んでいたのだ。この世には偶然はないというが、つくづくそう思う。
 この本は、建築家の安藤忠雄氏が、大阪にある教会の礼拝堂の建築を依頼されたことについてのドキュメントなのだが、安藤氏の建築に対する考え方が素晴らしい。建築というものを、地域との関係性の中でとらえ、環境を生かすことを重視していることが分かった。少し、文章を引用してみよう。

「前に木があって通る時邪魔ならば、木を避けて通ったらええわけで、それをみんな伐りすぎるんですね。人間、なんで、いつもいつも真っ直ぐ歩く必要あるか、僕はそこで人間が曲がったらいいと思う」
 つまり、人間の便利さを追求するのではなく、すでにある「自然」を生かすということだ。
 さらに同書では、地域の中における宗教施設のあり方について、次のように言及する。

 これから時代が「地域」を大切にするということになっていくとすれば、お寺や教会というものが重要な役割を果たすことになるのではないか、と彼は考える。(中略)例えば、緑があって人々がホッと息をつくことができる場所。子供の遊び場になる場所。祭りがあって地域の人々が参加する場所。そのような「場」をそれぞれの地域が持ち、人々がその「場」を大切にする。(同書32ページ)

 これにも私はまったく同感だ。生長の家が目指す「森の中のオフィス」も可能な限り、地域の中でこうした“役割”を果たせる施設でありたい、と私は思う。
 さらに、安藤氏は、「光の教会」という「場」をつくる上での願いを次のように語る。

「心で伝達していく、つながっていく、そういうことが非常に重要やなぁと思ってますけどね。だけど僕はますます難しい社会になっているなぁという気がしますね。今は日本中、お寺とか神社とか教会とか、そういう人が集まる『場』を非常に気楽に考えていますから、もっと真剣に、こういう社会にこそ、そういう『場』に集まって来て、精神的な拠り所にするべきなのではないかと。だから、そんな『場』をつくろうと思いました」(同書32ページ)

 こうして彼は、教会の要望で極めて低コストで、教会を設計・建築していくことになる。今の私の仕事にも、とても参考になるテーマなので、続きをぜひ読んでみたいと思った。
 つくづく、いい本を手にしたと思う。

 さて、そろそろ愛用のMacBook Airを閉じる時間がきた。この文章を無線LANでブログにアップしてから、家族が待つ家に帰ろうと思う。
 人に教えたくない店、ブルックリン・パーラーを後にして…。

 小関 隆史

 2011年3月1日

【参考資料】
○『光の教会 安藤忠雄の現場』(平松剛著、建築資料研究社刊、2008年12月24日 第8刷)

岡本太郎著『今日の芸術』を読んで(1)

 最近、文庫本の『今日の芸術 〜時代を創造するものは誰か』(岡本太郎著、光文社刊)を読み始めている。先月の26日、生誕100年を迎えた岡本太郎の足跡をたどる試みは、3月8日から東京国立近代美術館で開催される「生誕100年 岡本太郎展」をはじめ、NHKのテレビドラマ「TAROの塔」などさまざまな形で行われようとしている。その流れの中で本書も書店の目立つところに置かれていた。

 彼は油絵などの平面作品だけでなく、立体造形も多く手がけ、彼を象徴する代表作の一つは、1970年に開催された「大阪万博」のパビリオンとなった「太陽の塔」だ。当時、5歳だった私は、両親と一緒に京都から大阪まで出かけ、太陽の塔に登ったことを強く覚えている。細長く上に伸びた塔内の薄暗い急な階段と、内部に何かしらの展示がされていたことを思い出す。
 長じて美術の道に進んだ私だったが、岡本太郎の芸術にさほど興味を抱くことはなかった。率直に言って、作品からエネルギーは感じるものの、「芸術は爆発だ!」などの岡本太郎の言動や、焦点が定まっていないようなその表情に何か違和感を感じていたことが大きい。そうした彼の表面的な奇抜さが、どうしても受け入れられず、彼に対する理解を妨げていたのだろう。
 そうした彼への偏見〜偏った見方が薄れてきたのは、近年のことだ。彼の短い言葉を集めた著作の一つを読んで、しびれるような感動を覚えた。それは、異動で職場を離れる後輩を勇気づける書籍を探していたときのことで、パラパラとその本のページを繰って、短いフレーズを読んだだけで、大いに勇気づけられた。

 このたび、彼の「芸術論」というよりむしろ「生き方」「人生のあり方」をしるした本書を読んでいて、またまた彼に対する見方が変わっていくのを感じている。
 彼の作品から受けるイメージとは裏腹に、その語り口は実に穏やかで紳士的だし、論旨も明快で論理的だし、何より真理を穿った内容にみちている。
 本書から、芸術に対する彼の基本的な考え方を次に紹介しよう。

 芸術は、ちょうど毎日の食べ物と同じように、人間の生命にとって欠くことのできない、絶対的な必要物、むしろ生きることそのものだと思います。
 しかし、なにかそうでないように扱われている。そこに現代的な錯誤、ゆがみがあり、またそこから今日の生活の空しさ、そしてそれをまた反映した今日の芸術の空虚も出てくるのです。
 すべての人が現在、瞬間瞬間の生きがい、自信を持たなければいけない、そのよろこびが芸術であり、表現されたものが芸術作品なのです。(同書16ページ)

 この「よろこびが芸術」とする岡本太郎の考えに私は深い感銘を覚えた。
 生命と芸術とを切り離さず「ひと連なり」だとする考え方は、「美とはそこに生命があらわれていることである」(谷口雅春著『生命の實相』頭注版13巻)とする生長の家の芸術観に非常に近いと思う。
 まだ本書を読み始めたばかりだが、今から60年近く前に書かれた本なのにまったく古さを感じさせないことに驚いている。この先の内容がとても楽しみだ。(つづく)

 小関 隆史

2011年3月1日

【参考資料】
○『今日の芸術』(岡本太郎著、光文社刊)光文社知恵の森文庫
 ※初版は1954年

2011年2月27日 (日)

TKの本棚(21)コミック『岳(ガク)』(石塚真一著、小学館刊)

 今、私が一番お気に入りのコミックを挙げるとすれば、この『岳(ガク)』。
 日本アルプス山中でテント暮らしをしながら、ボランティアで救助隊員をしている島崎三歩が主人公。毎回、いろんな人が山に登ってきては、遭難したりして、三歩が救出活動に向かう。いつも助けられるわけではなく、遭難者が目の前で死に至るケースも。でも、決して暗い話ではなく、毎回、山を愛する人々が登場し、救助する人、される人、遭難者の家族らによる温かい心の交流が描かれていて、人間存在の素晴らしさを感じさせられる。そして、本書を読みながら、家族に気づかれないように、しばしば一人涙してしまう。

 私は、登山はあまり多く経験したことはないが、好きな方だ。困難を克服して頂上に到達した時の爽快感、達成感は格別だからだ。だから、2年後に職場が八ヶ岳南麓に移転することも、山に近くなるから、うれしい。
 そんなこともあって、数カ月前にこの『岳』を読み始めるようになり、山の厳しさ、美しさにわくわくしながら、連載を読み進めている。ロッククライミングのような、ほぼ垂直の山を登っていくような場面もよく出てくるが、一歩間違えば命を落とすようなキケンがあるのに、なぜ人は挑戦するのだろうか、と考えてしまう。そこには、きっと経験した人でないと分からない魅力が隠されているのだろう。しかしながら、この物語に描かれている山々の風景は、とても魅力的だ。3000メートル級の山の山頂から眺める朝日、夕日はきっと格別だろうな、と思う。星や月も、近くに感じられるに違いない。山で飲む温かいコーヒーも、思わず飲みたくなるほど、おいしそうに描かれている。

 第6巻では、主人公の島崎三歩の次のようなセリフが心に響いた。

「遠くで見た時 ずっとキレイになるんだよ!! 頂上まで登った山は!!」

 一度、頂上に登った山は、遠くからその山を見た時に、ずっと美しく見える、という意味だ。今も大好きで、美しく見える富士山。頂上に登ることで、もっと美しく見えるのか……と、俄然、頂上に登ってみたくなった。
 文明社会の恩恵を受けている都会に住む今の私には、山々などの大自然は遠くにある憧れの存在だ。だが、一方で、都会の便利さに慣れ親しんだ身にとっては、ふと、この便利さとも、もうすぐお別れだな、とちょっぴり感傷的になる時もある。ともかく大自然が憧れの存在から、いつも目にし、触れられる身近な存在となる日も近い。
 自然と直に触れ合うことで、私の中の眠っている何かが目覚める、そんな楽しみを抱きつつ、『岳』を楽しんで大自然に思いを馳せるこのごろだ。

 小関 隆史

 2011年2月27日

【参考資料】
○『岳(ガク)』(石塚真一著、ビックコミック、小学館刊)第6巻

「いや、まて…」の教え

 最近、出版の仕事の関係で、童話や絵本などの児童文学に親しむ機会が増えてきた。今朝は、ふと通勤電車の中で、かつて小学校のころに読んだ児童向けの物語のことを思い出した。その本の書名は忘れたが、鮮明に残っているのは、小学校で展開される物語で、担任教師が「井山(いやま)」という名字だったことだ。そのいやま先生は、子供たちに、こんなことを教える。
『みんな、腹がたって怒ったりケンカしたくなったときは、先生の名前を思い出すんだよ。「いやま」って。それに「て」をつけて、「いやまて(待て)」と。それから15秒数えなさい』

 なんかダジャレみたいな話だけど、これがカッとなった子供たちを落ち着かせる有効な指導となり、クラス内のケンカも減ってみんなが仲良くなる…という話だった。

 この話は、短気だった少年時代の私の心にも深く残り、腹立ちを覚えた時になんどとなく「いやまて…、1、2、3、4、5…」と心を落ち着けたことを思い出す。

 児童文学は、幼い真っ白な子供たちの心に鮮烈な印象を与え、時にその子の人生を左右する影響を与えることを思う時、子供たちに与える書を大切に選びたいとの思いを新たにする。
 物語を創作する場合も同様である。



小関 隆史

2011年2月27日

図書館で『チャンスの神さま』と出合う

Chance_no_kamisama_2   先日、渋谷区立中央図書館を訪れた際、「今日返却された本」の棚に置かれた『チャンスの神さま』という名の童話が目に留った。表紙絵には、前髪しかないキューピー人形みたいな“ちびっこ”が追いかけられている光景が楽しそうなマンガで描かれていた。
 この書名と“前髪”との組み合わせでピピッときた方は、『生命の實相』第7巻生活篇(谷口雅春著)をよく読まれている方に違いない。同書の6章「“今”を全力を出して戦いとれ」には、次のような一節がある。

「機会」という神様は前額にだけ髪の毛があって、後頭部には髪の毛がないと言われている。「機会」の神様と正面衝突して、その神様の前額の髪をひっ掴(つか)め。これが生長の秘訣であるのだ。(同書頭注版56〜57ページ)

 今年1月に文研出版から発行されたばかりの『チャンスの神さま』は、藤田千津さんという1944年生まれの東京出身の児童文学作家によって書かれたもので、私はこの作家のことはまったく知らなかったのだが、児童向けの本を多数著している方のようだ。著者が、同書の創作に際して、先述の“「機会」の神様”のくだりを読まれたかどうかは分からない。なぜなら、ネットで「チャンスの神様 前髪」などとキーワード検索してみると、随分たくさんの記事にヒットするからだ。それだけ認知度が高い格言なのだろう。

 それはともかく、『チャンスの神さま』のあらすじは、こんな感じだ。
 小学生の男の子が主人公。その男の子が、母方のおばあちゃんが夫(おじいちゃん)を亡くして元気がないんじゃないかと心配して、訪問するところから話は展開する。
 男の子の心配とは裏腹に、おばあちゃんは心を切り替えて、すでに新しいことにチャレンジしていた。しかも、その積極的な行動の支えには「チャンスの神さまは前髪しかないそうだから、つかみそこなわないように」という考え方があることを男の子は知らされる。男の子には、どうしても仲良くなりたい意中の女の子がいて、その子のことを意識すればするほど、素直になれないもどかしさを感じていた。
 果たして、男の子は、“チャンスの神さま”の前髪をつかんで、女の子に気持ちを伝えることができるのか……。

 私は自分でも子供向けの話を書くので、“チャンスの神さま”というキーワードから想像を広げ、子供向けの物語として展開する手法が、本書を読んで参考になった。
 また本書には、こぐれけんじろうという画家による挿絵(イラスト)が随所に描かれていて、読者を物語の中に引き込む重要な役割を果たしている。“チャンスの神さま”も、とってもかわいらしく描かれていて、好感をもった。

 童話を創作するヒントは、意外と私たちの身近なところにあるものだ、と改めて思った。あとは、ヒントを見出すセンスを磨き、“チャンスの神さま”の前髪をつかむだけである。

 小関 隆史

 2011年2月27日

【参考資料】
○文研ブックランド『チャンスの神さま』(作者:藤田千津、画家:こぐれ けんじろう、2011年1月31日第1刷、文研出版刊)ISBN978-4-580-82124-8

2010年8月29日 (日)

TKの本棚(20)『そうか、君は課長になったのか。』佐々木常夫著(WAVE出版)

Kacho_2 最近、課長を購読ターゲットにした“課長本”というのが多く出版されているらしい。
 不況のあおりを受けて人員が減らされ、職場のチームリーダーたる世の課長職にとっては受難の時代を迎えているとことがその背景にあるらしい。

 この著者は、課長時代に、妻が病に倒れ、3人の子育てをしながら、しかも子供の一人は自閉症で手がかかるという中にあって、家庭と仕事を見事に両立させたスゴイ人らしい。
 新聞広告で知って入手したわけだが、薄くて手紙形式で書かれた平易な内容なので、すぐに読めた。
 ようするに、課長といっても、何も特別のことをしなくても、人間として当たり前のことができれば務めを果たせるという内容だった。
 が、この当たり前のこと、というのができないから人は悩むのだ。

 でも、本書を読んでほっとする新任課長は多いと思う。私もその一人だ。
 すぐにできるかどうかは分からないけれど、課長としてのあるべき方向性は見えてくるから。中でも「やっぱり」と思ったのは、課長が現場の仕事を抱え込まないこと。これは耳が痛かった。人が少ない、期限があるーーとなると、ついつい部下に任せずに自分で仕事をやってしまうのだ。が、それをやっていては、課長本来の仕事である、部下の管理・監督などのマネージメント業務が滞ってしまう。

 課長になったからといって、すぐにスーパーマンのようにならなくてもいいと分かって気が楽になった。虚勢を張らず、へんなプライドももたず、専門知識のある部下には、仕事の実情を教えてもらうーーという謙虚な姿勢でのぞめばいい。
 大事なことは、いろんな得意分野をもつ部下の能力を生かしながら、一つの方向にもっていくこと。そのためには、一人一人と話し合いながら意志疎通をはかること。そうした時間をできるだけもちたいと思った。

 著者は言う、課長ほどやりがいのあるポジションはない、と。
 仕事(課長)を続けていたから、うつ病の妻を看病しながら3人の子育てを続けることができた。それは仕事からエネルギーをもらっていたから。もし、仕事をしてなかったら、とうてい看病も子育ても続けられなかっただろうーーと。

 時間に余裕があるから物事が成し遂げられるとは限らない。短時間でも、家族との絆は深められると著者は言う。
 今では著者の奥さんは、見事に完治し、今は、家族でたまに外食した時など、至福の気持ちになるそうだ。

 課長という大きな責任ある役職を喜んで受けとめながら、ポジティブマインドで生きていこうと、改めて思った。

 小関 隆史

 2010年8月29日

○『そうか、君は課長になったのか。』(佐々木常夫著、WAVE出版、2010年4月6日第4刷発行)

TKの本棚(19)『永遠の0(ゼロ)』百田尚樹著(講談社文庫)

Zero 放送作家・百田尚樹氏の小説デビュー作。太平洋戦争の時、零戦で特攻隊員として最後を遂げた祖父・宮部久蔵の生き様を知るべく、主人公(孫)が祖父を知る老人たちを訪ね歩き、祖父の思いに触れ、自らの生き方を見直す。

 妻と生まれたばかりの娘を残して海戦の地に赴いた宮部は、「必ず生きて帰る」という妻との約束を守るべく、数々の激しい戦闘を乗り越える。優秀なパイロット技術に加え、“臆病”と揶揄されるほどの用心深さ、飛行準備に万全を期す心がけなどで、宮部は終戦直前まで生き残る。「玉砕」「散華」などという、死を美化するような言葉が新聞紙上を飾るようなムードの中にあって、彼はあくまでも「いのち」の尊さを重んじる。それは、自らがたとえ犠牲となっても戦うという当時の海軍の常識の中では異質な存在であったが、そんな周りの空気に染まらず、宮部は戦場にあって平常心を貫き通した。
「必ず生きて帰れ!」ーー零戦に爆弾を抱いて敵の陣地に飛び立つ部下にも、こう告げる宮部。自他のいのちを徹底的に大切にする宮部の生き方が、触れ合う部下を感化していく。
 読み進むにつれて、宮部と自分が重なっていく。
 妻や幼い子供を残して死にたくない気持ちは痛いほど分かるし、部下のいのちを大切にしたい思いも同様だ。そうした当たり前の感覚を戦時中に持ち続けたということがすごいと思う。

 逃げるのではなく、流されるのではない、第三の選択。
 勇気をもって自分の信念を生きること。 
 それは、会社組織の中にあっても同じだろう。

 戦争という非常時のことが描かれた小説でありながら、平時の生き方を問われているような気がした。
 自らが犠牲になることを容認する生き方は、他者のいのちを犠牲にすることをも容認することにつながりはしないか。
 生長の家では、神の子の尊い自分が何かの犠牲になるような生き方を是としない。自分も生き、他者をも生かすのが本当の道であると説く。

 だから心情的には小説中の宮部にも、最後まで生きて欲しかった。
 が、前言の「犠牲にならない生き方」と矛盾するようだが、最後の最後に見せた宮部の決断は、「生きたい」という自らの欲求を超えて「生を他者に譲り、その相手に大切な妻と子を託す」というものだった。

 この小説は、もちろんフィクションだし、主人公たちが実在するわけではない。が、兵士の多くの尊いいのちを犠牲にして行われた日本海軍の無謀な作戦の数々はほとんど真実なのだろうと思った。命令を出すものの責任は重い。それだけに、真の勇気と、一人一人の部下のいのちを尊ぶ精神のあり方が問われると思う。

 本書を読み終わって、自他のいのちを限りなく尊ぶ、そんな生き方を普段から心がけたいと心から思った。それがきっと、非常時の決断にもつながるのだから。

 小関 隆史

 2010年8月29日

○『永遠の0(ゼロ)』(百田尚樹著、講談社文庫、2010年7月27日第11刷)

2010年1月 9日 (土)

『余命一年 落語家になる』が読みたい!

 今朝、新宿駅で山手線の乗り換えて、ふと、高島屋のビルに目を向けると、赤地に白く染め抜かれた文字が目に飛び込んできた。

「余命一年 落語家になる」 ――テレビで話題

「なんだこれは!」と目が釘付けになった後、すごくポジティブなエネルギーが心の中に入ってくるのを感じた。
 タイトルだけで詳しい内容は分からないけれど、人間ってすごいな、と思った。 

 新聞等には、次のように紹介されているという。
「余命宣告後、寄席で初めて落語に触れ、笑いから力をもらって、けいこと病に向き合う日々を記した」
 どうやら今も存命中の方で、余命宣告後に、落語家を志したらしい。

 とはいえ、今は舞台に立てるような病状ではなく、それでも希望を捨てずに再び舞台に立つ日を夢見て、闘病されているようだ。
『余命一年 落語家になる ―楽しいことはラクなこと―』(天神亭楽々+テレビ朝日取材班著、ぶんか社刊)

 書店で手にしたら、ぜひ読んでみたい。

 小関 隆史

 2010年1月9日

2009年10月 3日 (土)

TKの本棚(18) 『NHN趣味悠々 動物を描く 竹内浩一の日本画入門』(NHK出版)

Nhk091003 これは、先月から10月にかけてNHK教育で毎週月曜日に放映されている「NHK 趣味悠々」のテキストになっている本です。
 竹内浩一さんという京都在住の日本画家が講師となってのテレビ講座。「動物を描く」がテーマです。この竹内さんは、日展の評議員をされている偉い方で、私の高校の大先輩。この方のお嬢さんと私は美大の日本画科のクラスメートでした。
 そんなご縁もあり、9月28日放映の第4回「動物園で描く」から見始めました。とは言っても、たまたま沖縄滞在中のホテルでチャンネルを回していたら、この番組に行き当たり、夢中で見たという経緯。実は、新聞の番組欄で見て、気にはなっていたのです。見るべきもの、出合うべきものは、必然的に目の前に現れてくるこの世界。偶然はないのですね。

 ところで、私がホテルで見た9月28日の番組(再放送:10月5日(月)正午~12:25)の中では、噺家の桂南光(なんこう)さんと竹内さんが一緒に動物園に行き、猿やダチョウなど、さまざまな動物をクロッキー(スケッチ)していくわけですが、竹内さんの優しい人柄が画面から伝わってきて、ほのぼのとします。
 竹内さんは、動物と対話しながら描くなかで、目の前の動物の姿と自分の生き方を重ねる時があるといいます。そんな思いが、最終的に本制作を行う時に生きてくるのだそうです。

 竹内さんは、テキストの「はじめに」の中で次のように語っています。

 いつからか、動物をよく描くようになっていたが、なぜなのかはっきりしない。「竹内さんは動物が好きなのですね」と声をかけられる。愛おしく思っているが、素直に「はい」と応えられないでいる。知らぬうちに虫を踏み、鳥や動物を殺生している。ほどをわきまえていても心は痛む。侘びるおもいだけは持っていたいと思う。

 「心は痛む」との、この優しさに、私は思わず目頭が熱くなりました。
 竹内さんは、「はじめに」の最後を次の言葉で結んでいます。

 心の軸にあるのは、絵の空間からはるかな慈悲の心が漂うよう願っている。いつの日か、明恵さんの楽園に遊んでみたい。

 明恵さんとは、鎌倉時代の高僧、明恵上人のこと。明恵さんのように、生きとし生けるものすべてを慈しむ境地を目指して制作を続ける日本画家の心中を思い、身が正される思いがしました。

 日本画に興味がある方、これから学んでみたい方にお勧めの一冊。


 小関 隆史

 2009年10月3日

【参考資料】
○『NHN趣味悠々 動物を描く 竹内浩一の日本画入門』(NHK出版、定価1050円)

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